エピローグ

第58話 グランプリは……

 ジャワジャワジャワジャワ……

 暑さのピークもすぎた夕方五時。それなのに、目眩がするほどの熱気と蝉の声。

 ここまでうるさいと、もう蝉の声なんて公害でしかない。

 七月末で終わったラーメンGPは、それから十日経った一昨日、やっと公式ホームページにて総合結果が発表された。

 2回目の中間結果が発表された七月二十日からその日までがどれだけ長く感じたか。

 もしくはたった一ヶ月の投票期間がどれだけ短く感じたか。

 いつもの帰宅時間より若干人の少ない駅を南出口から出て、商店街の手前を右手に折れる。その先にある住宅街の一角にあるお店を目指して黙々と歩く。距離にして約1㎞。

 今日は金曜日ということもあって、少しだけ早く仕事を上がってらぁ麺わかばに行くことにした。定時まで仕事をしていたら、きっと並びがとんでもないことになると思ったから。

 わかばは淡麗スープ部門を一位のまま独走――ぶっちぎりの部門優勝だった。

 ラーメン嫌いになった私が再びラーメンを食べられるようになったお店――ラーメン好きになったお店。そんなわかばが優勝したことは本当に嬉しいし、何ヶ月後かに発売される予定のカップ麺も凄く楽しみにしている。

 それを伝えに、今日はちょっとお高いお菓子を手土産に、若槻大将におめでとうございますとお祝いの挨拶に行く。前に辞退してほしいなんて失礼なことを言ってしまったから。

 そして、私達が応援していたてんやわん屋の結果は……

「あっ!」

 準備中と札のかかったわかばの店先に並べられた椅子の一番右に、有方大将が座っていた。

「おや、フラワーちゃん」

「どうしたんですか、大将。珍しいですね」

「バイトくんが急用で人手が足りなくなったから、折角だし今日の夜営業は臨休にしたんだよ」

 ピオッターを確認すると、なるほど確かに公式からの告知が二時間前に入っていた。気づいていなかった。

「まあ、座って」

 大将が隣の空いた椅子をポンポンと叩く。私は小さく頭をさげて大将の隣に腰をおろした。

「昨日個別にお礼できなかったけど、今回は本当にありがとう。フラワーちゃんをはじめ、たくさんの常連さん達が応援してくて本当に嬉しかったよ」

「いえ、そんな。私なんて何も……」

「期間中、何度も食べに来てくれて、ピオッターで店の宣伝までしてくれたじゃないか。本当に感謝しかない」

 そう言うと大将は立ち上がり、深く頭をさげた。

「ちょっ、ヤメてください! 私が不甲斐なかったばかりに……」

 てんやわん屋はまぜてナンボ部門で最終的に二位に終わった。

 最初の中間結果で圏外だったのに二位にまでなれたのは本当に凄いことだ。凄いことなんだけれども、このイベントの入賞は部門優勝と総合優勝しかなかった。

 私は最初から最後までずっとてんやわん屋を応援して、フォロワーのみんなも一緒になってピオッターでリピしてくれたりして。会長さんやサブさんたちに比べ自分の力がどれだけ微力で儚いものだと痛感したか。

 なんで私のフォロワーはたった七十人なんだろう? 私がもっと有名で、インフルエンサーで、一万人とか十万人とか、何なら百万人とかフォロワーがいたら、てんやわん屋が優勝していたかもしれないのに。

 昨日の会社帰り、てんやわん屋にはでたくさんのフォロワーさん達が集まった。その中には、清水さんや泉くんもいた。

 泉くんは「僕は行くべきじゃない」と断ってきたけれども、おばけ会長が「絶対に来なさい」と言っていたと伝えるとしぶしぶ一緒に来てくれた。

 泉くんがてんやわん屋を好きなのはみんな知っているからって。

 お店でみんなと話しているとき、泉くんが少し涙目だったのは黙っておこう。

 そんな和気あいあいとした中で、大将はついに今年いっぱいでお店を閉めることを口にした。

 何人もの狼狽えるフォロワーさんに混じって、会長さんやサブさん、ロンリーさん、他常連さん数人と泉くんは、大将の言葉を噛み締めるように聞いていた。

 知っていたんだ。泉くんは。わかばに勝てなかったらお店を閉めることを。

 それなのに、何で? 何でてんやわん屋じゃなくわかばだったの? 何でてんやわん屋を応援してくれなかったの?

 何で? 何で? 何で何で何で?

 お店の片隅で泉くんの胸に顔を埋め、ポスポスと拳を彼の胸に打ちつけ嗚咽を漏らした。すぐに清水さんに引き剥がされたけれども。

「泣いてどうにかなるなら私だっていくらでも泣くわ!」とブツブツ文句を言いながらも、清水さんは私の涙を自分のハンカチで拭いてくれた。

 生意気な後輩はやっぱりつよかった。けれどもその顔はとても悲しそうだった。

 てんやわん屋はたくさんの人に愛されていた。

 有方大将のラーメンはみんなに愛されていた。

 悲しみにくれる店内で、有方大将だけはまるで肩の荷がおりたようなスッキリとした顔をしていた。

「本当にお店を閉めちゃうんですか?」

 昨日も大将に聞いた。

 家に帰って寝て起きたらこれは全部夢で、私たちはまだ七月半ばの朝ラー限定メニューをてんやわん屋で食べていて、ラーメンGPに向けて応援頑張ろうって店内でシュプレヒコールを上げていて。でも容赦なく現実を突きつけられただけだった。

「やり残したこともなくなったからね」

 大将はそう言って笑った。

 前に大将が言っていた。やり残したことがあるから負けられないって。

「新店なんて三年保てばいいこのご時世、僕は二十五年間今の店を続けてこれた。修業時代まで入れたら三十年近くラーメン屋をやってきたことになる」

 大将は私が生まれる前からラーメン屋だったんだ。それなのに常に新しいものを取り入れて年間五十杯にも及ぶ限定メニューを提供してきたなんて恐れ入る。

「僕の師匠がね、言ったんだ。個人経営のラーメン屋なんてその殆どが一代限りだ。だから、弟子の作った美味いラーメンが食べれるのは幸せなことだ、ってね」

 膝に肘をつき前屈みの格好で椅子に座り、大将はどこか遠くを見つめた。

「僕がグランプリを取った十三年前の話だよ。そう言って、師匠は店を閉めたんだ。わかるだろ?」

 そんなにいい笑顔をしないでほしかった。

 わかりたくなかったけれども、わかってしまった。

 大将はわかばに――若槻大将に負けて、心が折れたからお店を閉めるんじゃない。

 自分よりも育った弟子を見ることができて、満足してお店を閉めるんだ。

 二十五年間、試行錯誤を繰り返し常に攻めの姿勢を貫いてきた有方大将。そんな大将の自慢の弟子が日本一になった姿を見られたなんて、それは師匠として最高の喜びだったのかもしれない。

 投票方法が理不尽だとか納得いかないところもあったけれども、勝負は勝負。

 大将は十三年前にそれに勝ち残って、そして今回は弟子に敗れた。

 大将はそこに、ラーメンの未来と可能性を垣間見たのかもしれない。

「今まで美味しいラーメンをありがとうございました」

「えっ!?」

 勢いよく振り返ると、そこには泉くんが立っていた。

「ななな、何で泉くんが!? 仕事は!?」

「小麦さんがそれを言いますか? 考えはきっとみんな同じですよ」

 大将との話に夢中になっていて、列がのびていることに気づいていなかった。

 部門優勝に加え総合優勝――グランプリ。明日からのお盆休みに合わせての結果発表。

 今日の並びは想像を絶する。そう思ったから早く仕事を切り上げたんだ。

 確かに、考えることはみんな一緒か。

 並びの後ろの方でサブさんが手を振っている。あ、今日はおばけ会長さんやミカン姐さんもいる。ロンリーさんや神無月兄弟、他にもみんな、みんな。

 私がラーメン嫌いになったお店で、私がラーメン好きになったお店で、大好きなみんなとラーメンを食べられる幸せ。

「ねえ、泉くんは大将の気持ちを知っていてわかばを応援したの?」

「知らなかったですよ。そうじゃないかなとは思いましたけど。そもそも若槻大将に発破をかけるためにエントリーしたって言っていたので、有方大将もわかばを応援しているんじゃないかな、って。だから僕も……」

 言われてみれば……こういうところだよ。言ってほしいことは何も言わないくせに、ひとりだけ知った風で。それなのに女心にはてんでなんだから余計に腹立つ。

「さあ、そろそろ時間だ」

 有方大将が椅子から立つと同時に、わかばの入り口の引き戸が開いた。

 中から出てきた若槻大将が一瞬目を大きくさせたあと、ふっと嬉しそうな笑みを浮かべ有方大将に深く深く頭をさげた。 

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