おまけ:マジで恋する50分前?

「部長に昇進おめでとう!」

「ありがとう。うーん、めでたいんかなぁ。面倒な事が増えるだけと違うやろか」


 赤ワインで満たされたグラスを持ち上げると、佐緒里は困ったように眉を寄せる。眼前の鉄板ではメインディッシュのステーキがジューッと音を立てている。なかなか予約の取れないステーキハウス。鉄板の上で繰り広げられるシェフのパフォーマンスを楽しみながら、A5ランクの肉を今日はたらふく食ってやる!


「でもさー、びっくりやんね。社長が咲良ちゃんと婚約するなんて。……あ、名前変えたんやったっけ。咲愛良ちゃんに」

「そうそう。いずれ改名するんに、通称で使い続けた実績があった方がええらしい。色々ややこしい事情があるし、大丈夫なんやろか」


 佐緒里はこてんと首を傾ける。丸い顔に垂れ目が愛らしいのだ、我が同期は。

 この春入社したクリーンスタッフの畑中咲良。それが今世間を騒がせている十年前の放火殺人事件の犯人だと思われていた人の娘らしく。ただ、お父さんは冤罪で、真犯人として捕まったのは我が社とも取引があった昇陽建築の社長夫人だなんてね。そのニュースだけでもびっくりなのに、彼女と同棲してるだなんて。


「あれだけコンプライアンスに反することをすんなと言うたのに」

 彼女が現われてからの社長の言動と、それによってぶっかけられた多大な迷惑を思い出し、怒りが込み上げてくる。


「まあまあ」

 佐緒里が私のグラスにワインを注ぐ。


「咲愛良ちゃん、ええ子やのよ。一生懸命で。それに、仕事出来る子なん。アルバイトの子らに限定メニューの案を募ってな、採用されたらメニューを出してる期間時給アップ。期間中に好評でソールドアウトしたら、金一封と手書きの感謝状出すっての、やり始めてんやんか。ほな、アルバイトの子らのがんがんやる気になって、店の雰囲気よーなって、売り上げめっちゃ上がってん」

「ほー」

「あの子、カフェに置いとくの勿体ないで。本社で使うた方がええよ」

「えー……。そんなんしたら、また社長が仕事おろそかにして鼻の下伸ばすやん」


 まぁ、出来るだけ早く家に帰ろうとしてくれるお陰でこっちの残業少なくなって助かってんだけどね。佐緒里はぽっちゃりした手を口に当ててふふふっと笑った。


「しばらく社長が車で送り迎えしてたんやけど、こないだから自転車通勤に代わってんやんか。どないしたん? って聞いたら、『送迎してくれるのは嬉しいけど、残業とか寄り道とかしにくいから断ったんです』やて。社長のがっかりした顔が目に浮ぶわ-」

「あー、確かに。しばらく元気なかったわー。ええやんねぇ、帰ったらおるんやもん。愛しの彼女が」

「同棲かぁ。咲愛良ちゃん二十七歳か……。私らにもそんな時期あったよなぁ」

「う……。それを言うでない」


 二十七歳の時、私達にはそれぞれ彼氏がいた。そろそろ結婚かな、どっちが先かなって言い合っていたのだ。その時期に先代の社長が病魔に倒れ、息子が北海道から戻ってきた。札幌で建築デザイナーをしていた彼は、「これからの時代、物を売るだけやなくてクリエイティブな事をせなあかん」と建築デザイン部門である「スペースデザイン事業部」を立ち上げる。佐緒里はその事務方としてサテライトオフィスを任されることになった。


 私は残された時間で出来るだけのことを新社長に仕込まなければならなかったし、佐緒里は新事業に振り回されて。毎日仕事に追いまくられている間に彼氏を逃がしてしまったのである。


 二十代後半で彼氏を失う。同時に婚期も逃しちまった。九条涼真、いつか丑三つ参りしてやるからな。


 徐に佐緒里がでっかい溜息をつく。私は彼女のグラスが空になっていることに気付き、ワインを注ぐ。


「どないしたんよー、溜息付いて-」

「いやなぁ、自分年取ったなぁって思ってな。最近生理周期狂い初めてな。あー、もうすぐ女終わるんかなーと思うと寂しなるねん」

「うう……」


 佐緒里の言葉はグサッと私の胸を突き刺す。私にも覚えがある症状なのだ。


「大丈夫ですよ、お客さん達。お二人ともとっても魅力的ですよ」

 慰めの言葉と共に、香ばしい香りを放つA5ランクのステーキがやって来た。高々としたコック帽を被るシェフのウインク付きだ。佐緒里と私は、それを拍手で迎えた。


 ステーキは既にカットされている。早速お箸で頂くのである。


「ふわ! 溶けた!」

「脂が甘ーい!」


「あー幸せー。美雪ー、何時までも二人でこうやって美味いもん食べよな-」

「うん! そして美味い酒飲んで社長の悪口言おな-」

「なー。でもなー。本音を言うとな-」

「あー、分かる-」

「「恋したいよなー!」」


 私達はグラスを合わせ、それを一気に飲み干した。


「あー、美味い! この後行っとく?」

 佐緒里がバットの素振りをしてみせる。

「いいねぇ、行っとこう!」

 私も素振りを返す。美味しい物を食べた後、バッティングセンターで憂さ晴らしをするのが、二人のお決まりのコースなのである。


 ***


 カウンターの端っこの女性達、賑やかだな。俺の隣の男は、項垂れてビールをチビチビ飲んでいる。高校時代からの親友、裕次郎は昨日離婚届に判を押したばかり。八歳になる娘と離れるのがとても寂しいらしい。家族のために一生懸命働いてきたのに、残業残業が徒になり、嫁さんとすれ違ってしまったのだ。


 因みに俺は嫁も彼女もいない。俺の職業は漫画家で、家に引きこもり状態だから出会いがない。若干コミュ障だから、一人が苦にならない。とは言え、一人が寂しくないのかと言われれば、答えに窮する。


「お待たせいたしました!」

 シェフが肉の載った皿を俺たちの前に置く。俺は肘で裕次郎を突いた。


「ほい、食え。食って元気出せ」

「うう……」


 唸りつつ、肉を口に入れる裕次郎。こいつ高校時代は男前でモテたんだけど、今じゃ立派なビールっ腹だ。かく言う俺も、白髪が目立ってきたよな。


「お互い独身やし、お見合いパーティーでも行ってみるか」

「四十やで、相手してくれる女、おらんやろ」

「おるって。婚期逃した女、世の中には一杯おる。……例えばあそこの二人。俺らと同じくらいの年と違うか? 女が二人でこんな値の張る店に来るって、独身やないと無理ちゃう?」


 特に関心があったわけでは無いが、裕次郎を励ます話題提供のために彼女らに注目する。


「お、あの黒縁の丸眼鏡の女、結構美人やな」

「そうか? 俺、あのぽっちゃりしてる方が好み」

「あー、お前ぽっちゃり派やもんな。声、掛けてみろよ」

「いやぁ、向こうも楽しそうにしてるんやし……」


 そう言って、裕次郎は溜息をつく。その背中を、バン、と叩いた。


「要は元気だせっちゅう事や。あ、そや。食い終わったら久しぶりにかっ飛ばしに行こうか」

「おー? バッティングセンター? それもええなぁ」


 裕次郎は頷いて、肉を口に入れた。

「美味い」


 そして、やっと笑顔になった。


***


 おまけエピソードは以上となります。

 お付き合いくださってありがとうございました。

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君の嘘は日なた雨のように 堀井菖蒲 @holyayame

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