おまけ:とある手芸店にて
私は某手芸店に勤めて五年になる。元々手芸好きなので布や毛糸に触れていると幸せ。新製品が登場すると取り敢えずお試しし、お客様にアドバイスする。そう言う接客も私の生き甲斐。
難点は出会いと手取りが少ないこと、かな。社員もアルバイトもお客様も殆ど女性。商品の入れ替えが頻繁にあるから残業も多め。合コンする時間も資金もない。
だけどいいバイト先を見付けたのですよ。結構時間の融通が利くキャバクラ。ノルマはあんまりきつくないし、客層は上品。美味しいお酒飲めて時々お客様に美味しいもの食べに連れて行って貰えて、時給めっちゃ良い。こっち本業にしちゃおうかな、なーんて。
でも、手芸店のお仕事も好きだからな。しばらく二足のわらじを履いて、お金を貯めてから身の振り方を考えよう。手芸店の方でも、出会いが皆無という訳ではないし。
お客様の九割は女性だけど、時々男性客がやってくる。男性客はデザイナーとか、服飾関係のお仕事をしている人が多い。趣味じゃなくてお仕事でお店に来ているプロフェッショナル。こういう人達って、格好良いのよね。
だから、出来るだけ話しかけて商品選びをお手伝いさせて頂いているの。
そんなある日、珍妙な客がやってきた。品の良いスーツを着た三十代の男性。スーツ姿で手芸屋に来る人って珍しいから目立っていた。明らかに挙動不審だし。
コソコソ、オドオド商品を探していたけど、彼は一人のデザイナーさんを見付けて人間観察を始めた。五分程その男性客を見つめた後、すっと背を伸ばして余裕の表情を作り、キリッキリッとした視線で商品を点検し始めたのだ。それでも、お目当ての物が見付けられなかったみたい。
「何かお探しですか?」
仕方が無いので私は声を掛けてみた。彼は一瞬ホッと表情を緩ませたけど、瞬時にキリッと表情を繕う。それが可愛くて、キュンとしちゃった。
「UVレジンいう物を探しているんですが」
言葉遣いや仕草が、とても上品。でも、UVレジンって。今女子の間でめっちゃ流行っているやつじゃん。しかも、アクセサリー作るものだよ。分かって言ってる?
売り場にご案内すると、彼はほーっと息を吐いた。売り場面積が広くて、アイテムも豊富。最初は偽プロ姿勢で商品を見ていたけど、段々好奇心旺盛の少年みたいになってくる。
三十分くらいくまなく売り場を点検した後で、彼は眉をハの字に下げてやって来た。
「ビギナーはまず、何を揃えたらええのでしょうか?」
「お客様、何か作品を制作したことはありますか?」
「いえ、全く」
全く初心者なのに、道具揃えちゃう? 驚いたけれど、そういうのって顔に出したら絶対に駄目なのよ。どんな一歩も踏み出すのは勇気が要る。増して男性がUVレジンを始めようなんて。きっと何か深い想いがあるはず。
私はにっこりと微笑み、一枚のチラシを手渡した。
「三十分後にワークショップがありますよ。そちらを体験してから道具を揃える、というのは如何でしょう? 一口にレジンといいましても、色んな作品がありますから、自分が目指したい方向を確認されてからそれに見合った物を取りそろえても遅くはないかと」
彼は顎に指を添え、そのチラシを眺めた。そして小さく頷いてから、上着の内ポケットをまさぐる。
「ワークショップも興味深いのですが、あまり多くの時間を取ることが出来ないので。僕は、これを作りたいと思ってるんですよ。それに必要な道具を見繕って頂けませんか?」
スマホ画面にドーム型のヘアゴムが映し出されていた。ピンクベージュの土台にスターチスが花束のように浮んでいる。女子力高ーい。
「彼女へのプレゼントですか?」
思わず問うと、彼は顔を真っ赤にした。可愛い。なのにズキンと心が痛む。見るからにお金持ちそうなのに、敢えて手作りアクセサリーをプレゼントするなんて。いいなー、彼女さん。愛されてるー。
「でしたら、まずUVランプをお買い求め頂きます。レジン液は、こちらの作品ですと高粘度のハードタイプが良いですね。お値段はピンキリですが、一般的にお値段が高いほど高品質で透明度が高いですね」
「じゃあ、お勧めの高粘度ハードタイプで一番良い物を」
ほう、金に糸目は付けないってか。良いお客様だ。
「では、これとこれ」
「使い方にコツはありますか?」
「そうですね。高粘度のレジン液は気泡が発生しやすいです。爪楊枝なんかで突いて気泡を取り除きながら作業を進めてください」
一番高いランプとレジン液をカゴに入れる。着色剤、アクセサリーパーツ、ピンセット、ハウツー本。彼は勧められるがままに商品をカゴに入れ、その度に使い方のレクチャーを求めた。私は結構な時間を彼の接客に費やしたのである。
***
インパクトの強いお客様だったなー。
あれから時々、彼の事を考えた。その度に、「ダメダメ、彼女いるんだから」と頭を振る。
でも、もしももう一度来店されたら、玉砕覚悟でアクションを起こしても良いんじゃないかしら。なんてね。
彼は、そんなに間を開けずにやって来た。
キョロキョロと店内を見渡し、私を見付けるとホッと息を吐いた。そして、真っ直ぐにこちらへやって来る。
私の胸は、早鐘のように高鳴る。
「早川さん、先日はどうもありがとうございました」
私の目を真っ直ぐ見つめて、軽く頭を下げる。今、名札を見なかったよ。彼、私の名前覚えていてくれたんだ。わー、どうしよう。
彼は困ったように紙袋から茶色いボアを取り出した。私は思わず息を飲む。
それは、熊のぬいぐるみだった。胴体から首が取れている。布地が切り裂かれ、引きちぎられたように見える。なんだか悍ましい。
「これ、3011gの重量で元の姿に戻したいんです。ご協力頂けないでしょうか……」
懇願するような視線を向けてくる。
「3011g。メモリアルベアなんですね、この子……」
可愛そう。という言葉を呑み込む。彼の表情に悲壮な影が見て取れた。尋常ではない事情がある、そう察した。
もしかしたら、彼女が感情にまかせて壊した。とか。
だったら、そんなヒステリックな彼女と付き合うのはやめた方がいいんじゃないかしら。だって彼、手作りアクセサリーを作ってあげるような、優しい人なんだし。
切ない気持ちが胸に押し寄せてくる。その気持ちを呑み込んで、私は彼を売り場にご案内した。
ガラスペレットと手芸綿を、お腹に詰めてあげた。そして、黒い糸を針に通し、縫い方をレクチャーする。
「コの字縫いという方法で繋げましょう。まず胴体を5㎜くらい縫い、向かい側の頭を5㎜縫う。交互に縫い進めていきます」
彼はぎこちない手つきで私の伝えた通りに手を動かした。でも、これまでの生涯で一度だって縫い物なんかした事がありませんという手つき。危なっかしくて仕方ない。
「もし、良かったら、なんですけど。私、縫って差し上げましょうか?」
思わず突いて出た言葉に、彼は目を見開いた。しばらく私の顔を見つめ、それから微笑んで首を横に振る。
「いいえ。これは、僕自身が治してあげたいんです」
きゅうううううーん。
目を伏せてそう言った彼に、私の心は完全に持って行かれてしまった!
その後のことは良く覚えていない。彼はぬいぐるみの補修に使った材料と新しいレジンの材料をカゴに入れ、売り場を後にした。
彼の後ろ姿が、ガラス戸の向こうに消える。私の胸がギュッと痛くなり、次の瞬間走り出していた。
彼は紙袋を二つ下げ、駐車場に向かう階段を降りるところだった。
「待ってください!」
声を掛けると、彼は振り返った。怪訝そうに首を傾げる彼の元へ、私は駆け寄る。
息を整え、ポケットから名刺を取り出して彼に差し出した。
「あの。私このお店で働いています。良かったら、一度飲みに来て下さい」
「え……」
顔が熱くなった。でも次の瞬間我に返る。
キャバクラ嬢のお名刺なんて渡しちゃって、ドン引きされるんじゃないか? ハッと気付いたが、もう遅い。
「えっと……」
彼は困惑したように名刺を見つめた。
しばしの沈黙を、街の雑踏が埋める。しばらくして彼は、名刺を胸ポケットに入れて頷いた。
「では、機会があったら。色々教えてもろうたので、その時はボトルを入れさしていただきますね」
そう言って微笑み、人差し指と中指を額に当ててから背を向けた。
一歩踏み出すって、大事よね。よく頑張った、私。
彼の後ろ姿を見つめながら、私は今日の自分を褒めた称えたのである。
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