おまけ:柔道部顧問の四月一日先生
教師になって初めての夏休み、私は軽井沢の旅館に来ていた。と言っても、レジャーではない。柔道部の合宿に付き添うためだ。我が校の柔道部は二十人を越す部員がおり、顧問だけでは対応が難しいと補助教員を募集していた。因みに顧問は定年間近の三園先生と、新任の
「部員が増えたみたいなもんだな」
三園先生の嫌味に返す言葉がない。ごま塩頭の三園先生、性格悪くて有名なんだから。
嫌味を言われようと、私は断固合宿に付き添いたかった。
だって、四月一日先生格好良いんだもん。
背が高くって筋肉質で美形。さっぱりした性格で笑顔がとっても素敵。私は彼に一目惚れしてしまったのです。
***
私と山口先生の仕事は、マネージャーの代わりみたいなものだ。お茶やお弁当を用意したり、洗濯したり怪我の手当てをしたり。一番大変なのは柔道着の洗濯。練習後の道着は鼻が曲がりそうなくらい男臭くって、水を吸うと重たくて。思わず溜息が出てしまう。
「面倒臭いよね-」
私の溜息が聞こえたようで、山口先生が道着をパンパン叩きながら言う。襟足を刈上げたショートボブで、子猫を連想するような小柄な女性だ。私は密かに彼女をライバル視している。山口先生と四月一日先生は大学時代から知り合いみたいで、仲が良いから。
「二十二人分の柔道着、干すの大変だよね」
表面上は、にこやかに返答しておく。
「小山先生。……ね、同期なんだし仁美ちゃんって呼んでいい? 仁美ちゃんさ、省吾のこと狙ってるでしょ」
「な……!」
驚いて唾液が喉にひっかかり、咳き込む。いきなり馴れ馴れしくちゃん呼びしたと思ったら、爆弾発言。美術系の人間ってぶっ飛んでて嫌だわー。
「あ、応援してるんだよ、私。あいつ女性不信だからさ、何とかしてやって欲しいんだよねー」
「え!? 女性不信?」
干した道着をぐいっと避けて、子猫ちゃんをガン見する。彼女はニッと笑って見せた。
「知りたい?」
私はコクコク頷いた。
山口先生改め昌子ちゃんの話を要約すると、こんな感じ。
昌子ちゃんの美大時代の同級生に珠希って言う人がいる。彼女の幼なじみの貴和子という女性と、四月一日先生は高校時代から付き合っていた。元は珠希さんが図書室で度々顔を合わす四月一日先生と意気投合したんだけど、貴和子さんが猛烈にモーションを掛けてきて、断り切れなかったんだそうな。
貴和子さんって、美人だけど自惚れ屋で「ちょっとイタい感じ」の人らしい。
ところが彼女、大学生になってから悪い友達にそそのかされてデートクラブに登録したんだって。あれって結局お金持ちが愛人を探すところでしょ。なんか汚らわしい。お金持ちにちやほやされている内に、四月一日先生の電話に出なくなっちゃったらしい。自然消滅は気持ち悪いから関係をはっきりしたいと伝えたら「未練たらしい男。つきまとわないで」と言われたんだとか。
それ以来、女性不信に陥ってしまったと……。その気持ち、分かる気がする。
***
合宿最終日、屋外でバーベキューをしてから花火大会をする事になった。手持ち花火を手にはしゃぎ回る肉団子みたいな高校男児達。最初は暑苦しかったけど、可愛くなってきた。合宿終わるの、寂しいな。結局四月一日先生と、あんまり親しくなれなかったし。
公園の端っこに、外灯に照らされたベンチがあった。なんだか仲間はずれにされて要るみたいに寂しそうな佇まい。私はそのベンチに座って、空を眺める。東京と違って星が綺麗。天の川がくっきり空に浮んでいる。
「小山先生」
空を眺めていたら名前を呼ばれてびっくりした。やだ、私口開けてた。四月一日先生が少し離れて隣に座る。
「こ、今晩は」
彼の顔を見ることが出来なくて、手をモジモジと動かしていた。触れているわけじゃないのに、右の肩が熱を持っているみたいに熱い。
「ありがとうございました」
「え!? な、なにが?」
「何がって……。合宿、付き添ってくださってありがとうございました」
「ああ。お役に立てたか分かりませんけど」
つっけんどんな言い方になってしまう。言葉がきついとか、目が怖いとか、生徒からよく言われるんだよね。
もっと可愛い女になりたいなと、いつも思う。思うけど、女を前面に出した言葉遣いとか仕草とか、見るとなんか腹立つの。私って、天邪鬼だな。
「凄く助かったんですよ。洗濯とか、大変だったでしょ」
「あー、確かに。あれ、自分たちでやらせちゃ駄目なんですかね。当番制にするとか。そもそも洗濯とかご飯の準備とかの為に女教師連れてくって、男尊女卑の表れですよね」
「……ごもっともです」
ああ、何言ってんだ私。いきなり批判したら怖い女だと思われちゃうじゃん。
「俺もそう思います。三園先生が引退したらそういうの、変えていこうと思います。あ……でもそうなったら、小山先生合宿来てくれなくなるのか……」
「え?」
思わず顔を上げる。四月一日先生が私を真っ直ぐに見て、眉尻を下げていた。
「い、行ってもいいですよ、別に。何かお役に立てるなら……」
「本当ですか。良かった」
ホッと息を吐いて笑顔を見せる。ど、どういう意味だ。この「ホ」はどう解釈すれば良いのだ?
混乱している私の眼前に、四月一日先生は長細い物をピランと翳した。
「線香花火、しませんか」
「線香花火? いいですね」
彼はにやっと口角を上げる。
「ただやるの、つまらないんで賭けしませんか」
「賭け?」
彼は頷き、人差し指で鼻の頭を掻いた。
「最後の火の玉、先に落ちた方が負け。負けたら幸楽苑のラーメン奢る」
「なんで幸楽苑?」
「安いから」
思わず吹き出してしまった。そして、気付いた。
勝っても負けても、一緒にご飯行けるってこと?
気付いたら、心臓バクバク言い出した。ロウソクに火を灯しながら、四月一日先生が言葉を続ける。
「小山先生って、裏表なくていいですね。言いたいこと、ズバッというからわかりやすくて」
「あー。ちょっとくらいオブラートに包めって、よく言われます」
「包まなくて良いですよ。わかりやすい人の方がいいです」
この「いいです」。どう解釈したら良いの?
「それに、凄く一生懸命ですよね。生徒の相談に乗ったり、教材丁寧に準備したり。毎日遅くまで残って」
「まぁ、帰ってもする事無いんで。今は教師一年生だから、なんでも勉強になるし。手際も良くないし。音楽教師なんて、五教科担当の先生と比較して軽んじられるじゃないですか。それ、悔しいんですよね。音楽ってね、人間が生きていくのに必要なんですよ。数学とか理科なんかよりもずっと太古から人の生活にあるものなんです。芸術って娯楽だと思われがちですけど、太古から人間と共にあるものは人が生きていくのに絶対必要なものなんですよ!」
思わず拳を握り、力説していた。四月一日先生が「ほー」と言いながら拍手をしている。恥ずかしい。おしゃべりしていたら、どんどん墓穴掘っちゃいそう。
「じゃ、じゃあ、いざ勝負!」
四月一日先生から線香花火を奪い、袋を破く。チラリと見上げると、彼は微笑んで私を見つめていた。
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