2089/11/08 鶺鴒

 もうじき冬になろうとする、ある日の午後のことだった。カズキの自室の窓辺に立ったタマザカが、何やら熱心に庭を見つめていた。

「何見てんの」

 午睡から覚めたカズキは、ベッドから身を起こしながら尋ねた。先に起きていたらしいタマザカは、窓の景色を逆光に微笑んだ。

「こちらにもセキレイがいるんだなって、ちょっと懐かしくなりまして。俺の故郷にもいたんですよ。種類そのものは違うみたいですけれど」

「セキレイ?」

「鳥ですよ、ほら、あそこ。バードバスのところ」

 タマザカが指差すが、あいにくベッドからはあまり窓の外は見えない。カズキは仕方なく立ち上がり、窓辺まで歩いた。タマザカのすぐ隣に立って、庭を見る。

 彼の話す通り、バードバスに小鳥が二、三羽集まっているのが見えた。

「セキレイっていうのか、あれ」

「ご存知なかった?」

「知らなくても困らんし……」

 知っているのは教義、神への祈り、天国と地獄、そして人知れず暗躍する怪物たちのこと、そうした悪の存在との戦い方。

 カズキは信仰を語るのではなく行動で示した。彼は父に倣い、ひたすら怪物を狩った。父が生きていた頃はその背を追って二人で、死んでからは一人で。戦うための技術と祈りとがあればよかった。まだ若く、後ろ盾であった両親を失い、アジアの血が半分混ざったカズキの立場を守るためには、実力を示すほかなかった。

 ここのところ変化があったとすれば、彼の悪魔祓いにタマザカが同行するようになったことだ。神学の勉強のための留学というのは半分は正しいが、もう一つの目的があり、そちらが悪魔祓いの教えを乞うことだった。彼の故郷でも魑魅魍魎が跋扈しており、主の威光を届けなければならないのだ、とタマザカは以前語っていた。カズキより背も低く、やや細身ないでたちの彼は意外に力持ちで、怪物たちとの戦いには大斧を振るった。

 そんな彼は、今はカズキの隣でくすくすと笑っている。

「なんだよ」

「いえ、本当に真面目な方ですね、カズキは。まっすぐに信仰に向かっていらして」

「トラに言われたくねえよ。あんたのほうがよっぽどクソ真面目だろ」

「そんなことはないですよ。真面目さは装えるものです」

 その頃には二人はファーストネームで呼び合うようになっていて、タマザカ、つまりトラがカズキの部屋に滞在することも増えていた。今日などは、カズキ一人には広すぎるベッドに二人で寝そべり、雑談をしているうちに寝入っていた有様だ。教会に知られたら「必要以上に親密である」と警告されたかも知れない。

 トラがやってきて一年が経っていた。たった一年でここまで距離が縮まったのは、歳が近かったこともあるだろうし、彼が日本の――カズキの父と同じ故郷から来た人間だったこともあるかもしれなかった。

「冷えてきましたね」

 窓から視線を外し、カズキの顔を見上げてトラが言った。

「食堂でお茶でもお淹れしましょうか。それとも……もう一眠りします?」

 冗談混じりに言いながらベッドを見る彼に、カズキは苦笑いした。

「腹減ったし、食堂に賛成。ついでに何か食お」

「そうですね。メアリさんに聞いてみましょうか」

 トラは唯一の使用人であるメアリとも随分親しくなっていた。時折彼女に料理を教わっているのをカズキも目にしていた。

 そうして二人は、連れ立って部屋を出た。


 また嫌な夢を見た。

 カズキは朝から不機嫌だった。何故「あの頃」の夢を見るのか、思い当たる節しかないのも嫌だったし、あの夢に対して忌々しいと思いながらも、抗いようのない懐かしさを覚えてしまうのも嫌だった。

 だから、たまさかの魔が宣言通りニューヨーク(だった場所)に降り立った時も、むすっとして一言も口をきかずにいた。

「なんと言いますか、想像していたよりずっと小さかったんですねえ、自由の女神」

 11月8日の昼過ぎ、かつてリバティー島だった場所に立ち、退屈そうにたまさかの魔が呟いた。彼の視線の先には、台座もろとも無惨に倒れ、歪んで崩れた自由の女神像がある。崩落の衝撃のせいだろう、掲げていた右腕は二の腕から先が折れていて、純金に輝いていたはずのトーチはどこにもなかった。海の中に転がり落ちたのかもしれない。

 巨像が倒れるほどの衝撃は、リバティー島もめちゃくちゃにしていた。もともと湾内の水面に張り付くようにして存在していた島にも破滅の爪は容赦なく襲いかかっていて、あちこちで崩れ、浸水し、たまさかの魔が確認している地図よりも随分と面積が減ったようだった。

 当然ながら、誰もいない。人間どころか、あらゆる生物の気配がない。植物は長く続いた曇りと雨に枯れ果て、海は濁っている。ニューヨークの港も例外ではなかった。

「どこもかしこも、死んでますねえ。大砲は生きてましたのに。皮肉なことで」

 たまさかの魔は低空飛行でニューヨークに侵入した。無数の島と川で複雑に入り組んだ港は大災害の影響で更に混沌と化していたが、人類が滅びる前に残していた防衛装置はまだその機能を残していた。十分に警戒をしていたたまさかの魔は砲撃を全て回避してみせ、リバティー島に降り立った時などは「どんなもんです!」などと胸を張っていたが、カズキはただあくびをしていた。

「どこに行きましょうかねえ。噂のエンパイアステートビルとやらも見に行ってみます? 残っていれば、ですけれど」

「知らん。興味ない」

「まあまあ。どっちにしろ、この島で物資を探すのは難しそうです。街の方は探索しないとですよ。セントラル・パークに行ってみるのもいいですね。動物園や美術館もある、大きな公園だと聞きましたよ」

 カズキは本当に興味がなかったので答えなかった。それに、動物園だろうが美術館だろうが公園だろうが、間違いなく壊滅しているだろう。世界の他の場所と同じように。

 ただ、公園、と聞いたとき――ちらりと夢のこと(かつての自宅の庭、そこに来た名も知らない鳥、彼との会話)を思い出して、また嫌な気分になった。

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