2089/11/03 だんまり
「カズキー、カズキってば」
「……」
「機嫌直してくださいよお、お願いですから」
甘ったるい声でたまさかの魔が語りかけても、カズキは口を閉じたままだった。目線はたまさかの魔とは決して合わせようとはせず、ただどこへともない虚空を――あるいは荒廃した世界を見つめている。
2089年11月3日の白昼、たまさかの魔とカズキの首はロンドンを出て西に向かっていた。たまさかの魔は陽光に耐性こそあるが、全力が出せるわけではない(昼間は馬力が全体的に落ちる、と彼自身は表現する)。そのため、日が出ている間は休息を挟みつつ徒歩、夜も基本は徒歩だが時折飛行する、といった形で移動を行っていた。
夜の間ずっと飛び続ければ、二人の移動ペースはもっと速かっただろう。たまさかの魔がそうしないのは、明らかにこの吸血鬼が自身の体力を温存していることを示していた。しかし、そのことについて彼がカズキに説明することはまだなかった。
と、いうのも。
「昨日の夜からずーっとお喋りしてくれないじゃないですか」
「……」
カズキはどう見ても起きている。だが、何も答えない。
昨晩、いささか調子に乗ったたまさかの魔の行動にひどく腹を立てたらしいカズキは、今朝になって目を覚ましてから一言も口をきかないのだった。
首だけのカズキは食事を必要としない一方、睡眠はとった。奇跡をもってしても脳を常時覚醒状態に置くことは難しいらしい。あるいは、そこが「人間としての復活」の境界なのかも知れなかった。たまさかの魔が願ったのは自分を討伐した頃、つまり悪魔祓いとして全盛期を迎えていた時期のカズキの復活で、そしてその頃のカズキは人間のカズキに他ならなかったからだ。
夜の間、たまさかの魔が飛行する際は可能な限りカズキの首を揺らさないよう、しっかと胸に彼の首を抱えた。トランクはベルトで背中にくくりつけた。飛んでいる間、カズキが目を覚ましたかどうかは、たまさかの魔には分からなかった。腕には彼が、首だけでわずかに動くのが伝わってきた。朝になってカズキが大きく息を吐いたので、目を覚ましたのだと気がついた。
しかしたまさかの魔が「おはようございます」と声をかけても、カズキは何も言わなかった。復活してからもうおなじみになった不機嫌な顔で、じっとりとたまさかの魔を睨みつけるばかりだった。
「ちょっと強引なことしたの怒ってます? 怒ってますよね?」
「……」
「その、つい気が昂ってしまって。何せ二百年ぶりじゃないですか」
目の前に走る大きな地割れをひと跳びで超え、ヒビだらけになったアスファルトの上をどうにか歩きながらたまさかの魔が弁明する。
「地獄での記憶は、実のところ、復活してからはぼんやりとしか思い出せないんですけど――それでもずーっとあなたのことを考えていたことだけは覚えてますよ」
「……」
この吸血鬼は気がついているのだろうか。滅んだ世界のまっただ中を歩きながら甘く愛を囁く、その異常さに。
ロンドンを出た彼は、ひとまず目についた大きな道路に沿って西へ向かっていた。沿って、というのは、廃車が一塊になって道路を塞いでいたり、大穴が空いていて迂回するか飛行するかしなければならなかったからだ。木々は燃え落ちたあとばかりが目につき、通り過ぎた都市や町は例外なく崩壊していた。生存者の姿はなかった。
これほど大規模にこの国の土地が破壊されているのを、たまさかの魔もカズキも見たことがなかった。イギリスどころか世界中がこうなっているのだと、ロンドンで手に入れた新聞の燃え残りは伝えていた。
「ねえ、カズキ。もうあんな強引に血を飲ませたりなんてしませんから」
「……」
「お願いですから、お話してくれませんか? これから俺たちは、二人で世界の果てに行くんです。長くて短い旅になるでしょう。その間に、あなたと色んなことを話したい。俺たちがまたこの世界からいなくなる前に」
これが普通の、滅んでいない世界での言葉であれば、歯の浮いた口説き文句だと笑われるところだっただろう。しかしこの状況では彼の言葉は異質に響くばかりだった。
吸血鬼自身がそのことに気がついていないらしいことに、ふん、とカズキが笑った。馬鹿馬鹿しくて仕方がない、という声色だった。
「あ! カズキ、今笑いました?」
途端、たまさかの魔の声が嬉しそうに跳ねる。カズキは続けて大袈裟にため息をついた。
「ちょっと黙ってろ。世界の果てとか吐き気がする」
「やっと喋ってくれた! ごめんなさい反省してます、本当ですって、俺は」
「うるさい。人の話聞く気がねえならまた黙るけど?」
ようやくたまさかの魔は口を閉じた。それでも、彼が喜び勇んでいるのは足取りが軽いことからでも察せられて、カズキはうんざりと顔をしかめた。
「……で、世界の果てがなんだって?」
「はい、一緒に行きたいところがあるんです。ですから、うってつけの場所からイギリスを発とうと思います」
うってつけの場所、と聞いて、カズキは何か思い当たったらしい。しかめ面が呆れ顔に変わる。
「お前、ランズ・エンドに行くとか言わないだろうな」
「え、そのつもりですけど」
イングランド本土の最西端の岬、ランズ・エンド。確かに地の果てだ何だと言われていた場所ではあるが。
「世界の果てからもう一つの世界の果てへ飛び立つんですよ。ロマンがありません?」
「
吸血鬼の腕の中、カズキは首だけでも脱力ができるのだということを知った。
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