2089/11/07 まわる

「やはり、ここは陸ではありませんでしたね。ナンタケット島のようです」

 2089年11月7日の朝。

 商店だったと思しき廃墟を一通り漁ったあと、たまさかの魔はそう言った。その手には新聞の切れ端と汚れたガイドブックがある(二人には知る由もないことだったが、結局、2089年に至って人類が滅亡するまで、紙の書物が絶滅することはなかった。2050年代における超巨大フレアによる大規模停電で痛手を被った人類は、アナログの文字にもまだ価値があると見直していたのである)。

「ナンタケットって、あれか。捕鯨の」

 かろうじて無事だったカウンターの上、例によってクッションの上に乗せられたカズキが尋ねると、ええ、とたまさかの魔は頷いた。

「よくご存知で」

「どっかで聞いたことがあるだけだ。細かいことは知らん」

「昨今は別荘地兼観光地になってたみたいですよ」

「こんな海と原っぱ以外何もねえところに別荘? 金持ちの考えることは分から――おい、何がおかしい?」

 うっそりと微笑んでいるたまさかの魔にカズキが尋ねると、彼は嬉しそうに言った。

「今日はいっぱいお喋りしてくださるんですね」

 舌打ちして、カズキは吸血鬼から目を逸らした。相槌ぐらいはしてるだろうがクソ野郎、と口から出かけた罵倒も飲み込んだ。この吸血鬼は、首だけのカズキが発するあらゆる言葉を、声を、欲しているのだった。血か、あるいはそれ以上に。


 先日、砲台の群れを避けて浜を出た二人は、そのまま道なりに進もうとした。しかし墜落した浜辺は長い砂州の一部で、道路こそ通っていたものの、歩いても歩いても町らしきものは見えてこなかった。おまけに(これまで通ってきた場所の例に漏れず)道はあちこちで崩れ、割れ、水没していて、ひどい悪路だったため、途中からたまさかの魔は昼間にも関わらず飛行を余儀なくされた。吸血鬼はあまり高度を上げなかった。無人砲台の類に撃ち落とされることを警戒してのことだった。

 砂州は大災害によって大きく崩れてこそいたが、その痕跡はぐるりと海を抱いていた。陸側にも地割れや浸水が見られたが、そもそも何もない場所――起伏がほとんどない、だだっ広い草原ばかり――が多いようだった。そうして、どうやらここは大陸ではなく島らしい、ということが分かってきたところでやっと、大きな町の廃墟を見つけたのだった。

「しばらく休みましょうか」

 疲労がまだ残っているらしいたまさかの魔は、町の名前を確かめることもなく、そのまま拠点にふさわしい場所を探し始めた。比較的状態の良い廃墟を見つけると(誰かの別荘だったらしい)カーテンの切れ端やらテーブルクロスの残骸やらで、吸血鬼は即席の寝床を拵えた。窓から陽光が直接当たらない、部屋の隅だった。たまさかの魔はトランクを広げ、クッションを取り出して寝床のかたわらに敷き、カズキの首をその上に優しく据えた。そうして、カズキと向き合うように寝床に横たわった。

「俺は別に休まなくても平気だけど?」

 カズキが嫌味を言ってやると、たまさかの魔はとろけるように笑った。

「それなら、良かったです。あなたに負担がないのなら」

 時折この吸血鬼は、二百年を生きたとは思えないほど無垢な声を出してみせる。それと同時に、カズキは揶揄さえもたまさかの魔を喜ばせるのだと思い出して、今更自分の発言を後悔した。

 相変わらずの曇りだったが、日はまだ高かった。たまさかの魔は目を閉じてまどろんでいた。撃ち落とされた時のように完全に眠っている訳ではなかった。しかしながら、陽光に耐性を持つ彼が日中の活動を避けるのは、これが初めてのことだった。

 疲労か、あるいは、別の要因か。

 いずれにしろ、カズキにはどうでもよかったし、どうしようもないことだった。

 日が沈みきった頃、吸血鬼は活動を再開した。壊れた町を歩き回り、残骸から物資を漁り、いくつかの看板を確かめていた。月のない晩だった。カズキは夜目が効かないし、何より夜は大半を眠って過ごしていたから、まだここがどこかなのかは分かっていなかった。


 そうして話は現在に戻る。

「さて、どうしましょうかね」

 ガイドブックを眺めながらたまさかの魔が言った。

「大西洋渡りほど長くはかからないはずです。三、四時間もあれば北米大陸には到達できるかと。問題はどこに着陸するかですが――カズキ、どこかご希望あります?」

 カズキは吸血鬼の問いを無視した。生前にアメリカに行ったことはなかったし、さして興味もなかった。それに、これ以上口を開くのはなんだか癪だった。

 無視されることにも慣れたのか、たまさかの魔は気にせずにぱらぱらとガイドブックをめくっていた。

「うーん……じゃあ、迷うところですが、寄りましょうか。ニューヨーク」

「……は?」

 思いがけない言葉に、思わずカズキは聞き返していた。 

「俺の飛翔能力なら到達は難しくありません。ニューヨークはロンドンとはまた違うタイプの大都会ですし、自由の女神像もありますよ! 無論、残っていればの話ですが――実利的な面で言うなら、もっと北に行きたいんですが、もう冬になります。北上前に物資調達は済ませておきたい。ニューヨークなら見つかるものも豊富でしょう。それに」

 一息置いて、微笑みながら吸血鬼がいう。

「あなたといろんな場所を回りたいですからね、カズキ」

 何故ニューヨークなのか。北に向かって何をするつもりなのか。

 疑問は尽きなかったが、いい加減に馬鹿馬鹿しくなったので、カズキは尋ねるのをやめた。

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