第7話 もう一つの家族の決意

「はい、どちら様でしょうか?」

『私、栗田菜摘様から依頼された者の代理で参りました』

「え、菜摘の?」

『はい。よろしければ……』

「どうぞ」

「失礼します」


 平日の昼過ぎに栗田家の玄関チャイムが鳴らされたので、栗田菜摘の母親が玄関を開けないまま対応していると、玄関扉の向こう側から『菜摘に依頼された』と聞こえたので母親が急いで玄関扉を開けると、そこには仕立てのいいスーツに身を包んだ細身でメガネを掛けている男性がブリーフケースを手に立っていた。


 母親は男の他に誰もいないことを確認すると、玄関の中へと招き入れ、父親が座っている居間へと案内する。


「どうした?」

「あのね、この方が……」

「失礼します。私はこういう者です」

「ん?」


 男は畳の上に正座すると、座卓テーブルの向こう側の座椅子に腰掛けている父親の元に名刺を差し出す。


「弁護士? 弁護士がなんの用だ?」

「はい。私は生前、栗田菜摘様から依頼された方からの代理で、こちらへ訪問させていただきました」

「菜摘の依頼だと? 君は揶揄いに来たのか。不愉快だ!」

「お父さん……」

「お前もお前だ! なんでこんなのを家に入れた! 出て行ってもらえ!」

「でも……」


 弁護士の男は父親の罵声を気にすることなく胸ポケットからボイスレコーダーを取り出すと徐に再生する。


『はい、そうです。私です』

「「菜摘!」」


 弁護士はボイスレコーダーを停めると両親の反応を確かめる様に見ている。そして、ボイスレコーダーを見ながら父親が叫ぶ。


「菜摘だ! なんでだ、どうして……」

「お嬢様……菜摘様のお声で間違いはないようですね」

「ああ、そうだ。菜摘の声だ。なんで……どういうことだ!」

「それを今からご説明させていただきたいと思いますが、よろしいですか?」

「「……」」

「まだ、お気持ちの整理が付いていないのなら、今日はこの「待て!」……はい」

「待ってくれないか。その……」

「お父さん、私から」

「頼む」


 母親が何か言いたいことがあるのだろうかと待っていたが両親から返事がないようなので弁護士が座卓テーブルの上のボイスレコーダーを取ろうとしたところで、母親にその右手を掴まれる。


「あの「待って下さい!」……えっと」

「あ、すみません」

「いえ、構いませんがどうしました?」

「あの、それはどうされるんですか?」

「それ?」

「ええ、その菜摘の声……です」

「ああ、お嬢さんの声が聞きたいと」

「はい! そうです」

「お断りします」

「「え?」」


 弁護士に対し娘の声が記録されているのなら、聞かせて欲しいと母親が訴えるが弁護士はそれを断った。


「どうしてダメなんですか! 娘の……菜摘の声なんですよね?」

「はい。そうです」

「なら、親の私達には聞く権利があるハズです」

「それは違います」

「え?」

「いいですか」


 弁護士は母親に言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。


 そして、弁護士が言うことはこの音声データは弁護士の依頼者の物であるため、渡すことも出来ないし。また、弁護士の話も聞く気がないのなら、この音声データを聞かせることは出来ないとにべもなく断るとボイスレコーダーを持ち上げる。


「あ……」

「では、私は「待って下さい!」……はい。依頼人からの話を聞いてもらえるのでしょうか」

「あの、話を聞いた後でお断りするのは……」

「ええ、構いません。ですが、その場合は申し訳ないのですが、音声データをお渡しすることは出来ませんが、それでもよければ」

「はい、お願いします。お父さん!」

「お前……いいのか?」

「いいも何も、先ずは話を聞かないことには先に進めないし、それに……菜摘が何をお願いしたのかも気になるじゃない」

「それはそうだが……」

「申し訳ありませんが、お二人……菜摘様のご両親がどちらか納得されない場合は「お父さん!」」

「分かったよ。弁護士さん、聞かせて下さい。菜摘が死ぬ前に何をお願いしたのか」

「分かりました。それと最初に断っておきますが、通話相手の音声は消していますのでご了承下さい」

「「分かりました」」

「では……お聞き下さい」


 弁護士はボイスレコーダーを座卓テーブルの上に置くと再生スイッチを押す。


『は、はい! お願いします! なんでも聞いて下さい!』

「「菜摘!」」


 ボイスレコーダーから流れる娘の声に涙を流しながら聞いていた両親だったが、全てを聞き終わった後に弁護士がボイスレコーダーの停止ボタンを押すと同時に母親が弁護士に詰め寄る。


「どうして……どうして、止めてくれなかったんですか!」

「止めなさい!」

「だって、もし……この時に……菜摘を止めてくれたら……」

「お前の言いたいことも分かる。でも、お前も聞いていただろ。菜摘は……耐えられないと」

「……分かってます。分かってはいますけど……うっ……」


 電話の向こうの相手が菜摘の行動を止めてくれていれば……そう考えてしまうのはしょうがないことだと思えるが、父親が言うように通話していたのは目の前に座っている弁護士ではないのだ。母親もそれは分かっていると言うが、心が納得してくれないのだろう。


 父親が慟哭する母親をなんとか宥めながら弁護士に確認する。


「すみません。ですが、この通話内容は……」

「ええ。お聞き頂いた通りです」

「はい。全部、聞いて理解しました」

「では、こちらの書面にお名前の記載と右手親指で拇印をお願いします」

「これは……」


 菜摘の両親の前に弁護士が出したのは、誓約書だった。弁護士は、そこに書かれている内容を簡単に説明すると二人に対し記入をお願いする。


「一つ、いいですか」

「はい、なんでしょうか」

「もし、もしですよ。私達がこれを拒否した場合は、どうなりますか?」

「……そうですね。まあ、少年達は誰にも罰せられることなく、これからも幸福感に包まれながら生きていくんでしょうね。最終的には孫に囲まれながら余生を終えるかもしれませんね」

『ガン!』

「お父さん……」


 弁護士が父親からの質問にそう答えると、父親は握りしめた左拳を座卓テーブルに振り下ろす。


「なんで……なんで、菜摘を犯した連中が生きてて、菜摘が死ななきゃいけないんだ!」

「お父さん……」

「なあ、なんでそうなるんだよ! あんた、弁護士だろ! どうにか出来ないのか!」

「出来ませんね」

「だから、なんでだよ!」


 父親は弁護士の襟を掴みそう訴えるが、弁護士は顔色も変えずに父親の手を襟からそっと外すと「あの子達は未成年ですから」と答える。


「そんなのが理由になるか!」

「この国ではなるんです」

「巫山戯るな!」

「お父さん……」

「ご存知かも知れませんが……」


 弁護士はそう断り、父親に対し相手が未成年であることと、菜摘の証言とも言える遺書だけでは材料不足であること。また、当事者の一人である伊集院玲美の財力を考えれば、返り討ちで逆に名誉毀損で訴えられる可能性もあることを告げる。


「なんでだよ!」

「……私達にはもう、どうすることも出来ないのですか?」

「ありません」

「なら「お断りします」……まだ、何も言ってませんが」

「そうですね。ですが、せめて手を貸したいと言うのでしょう」

「そうだ! 警察が何もしてくれないのなら、せめて俺の手で……それすら、ダメだと言うのか」

「そうです」

「……」


 弁護士は父親の願いを無下に断る。そして、その理由を説明する。


「いいですか。これはお嬢様である菜摘様からのご依頼ということをお忘れなく」

「なら「ですから、それはお嬢様のご依頼に反しますので」……どうしてもか」

「はい。どうしてもです。それに私の依頼人以外が加わることで対処出来ない計算外のことが起きる可能性が高まります」

「……」

「失礼と思いますが、お父様は少年達を前にして冷静でいられる自身はありますか?」

「……」

「ありませんよね。そういうことです。もしお父様が同行して、そういう行動をされてしまうと私の依頼人が罰せられる危険性が上がります。ですから、我慢して下さい。お嬢さんもご両親が直接手を出されることは望んでないと思います」

「「……」」

「それともう一つ」

「まだ、何かあるのか?」

「はい、お二人へのお願いです」

「「? ……」」


 弁護士は最後だと言って、決行日に二人は警察の疑いが向かないように遠く離れた位置にいて欲しいと言われ、驚愕する。


「何故だ! 手伝うことが出来ないのなら、せめて見るくらいはいいだろう」

「そうですよ」

「ですから、その場で短絡的な行動に出ないと例えここで誓ってもらっても、実際に目にすればそういうのは関係ないとばかりに襲いかかるのでしょう?」

「そ、そんなことは……」

「無理なさらなくてもいいんですよ。どうです? 目にしたらヤっちゃいますよね」

「「……」」

「その沈黙が返事だと受け取ります。では、決行日の一月前にまたお伺いしますので。それまではどうか変な気を起こさないようにお願いします」

「もし、約束を守れなかったら?」

「……そうですね。先程、申し上げた内容の目標人物があなた方に変わるでしょうね。では、失礼します。あ、あとこれは置いて行きますね」


 弁護士は立ち上がり、座卓テーブルの上に置いていたボイスレコーダーを持ち上げ、中からメモリーカードを抜き取ると、そっと座卓テーブルの上にの上に置き、その場から立ち去っていく。


「お父さん……」

「言うな!」

「でも、私悔しい! 何も出来ない、菜摘の為に何もしてやれない自分が悔しい!」

「分かってる」

「なら「だから、それをすると菜摘を汚すことになるんだ!」……なんで、なんでそうなるの!」

「分からないか、俺達が仮にアイツらに手を出せば、警察はその因果関係を探るだろう。そして、探った結果としてアイツらが菜摘にしたことがおおやけにされるんだぞ」

「……そんな。なら、私達は何も出来ないの?」

「そうだ。俺達が黙っているのが一番なんだ。下手に騒げば、菜摘を傷付けることになる。それだけは理解してくれ。もう、あの子は誰にも傷付けられないところに行ったのだから」

「……うっうわぁぁぁ」

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