第8話 ことを始める前に

「玲美のことで話があると言うのは君か……それで、なんの用だ」

「あなた、そんな乱暴な」

「いいから、お前は下がってなさい」

「……はい」


 伊集院玲美の父親が母親の言葉を退け、部屋から出るように言い付ける。


 母親は何か言いたそうにしていたが、夫には逆らえないのか静々と部屋から退室する。


「出来れば、お二人にお話を聞いて欲しかったのですが……」

「構わない。この家のことは私が決める。さ、用件とやらを聞かせろ。私もヒマじゃないんだ」

「分かりました。では、これを読んで頂けますか」

「ん?」


 仕立てのいいスーツに身を包んだ細身でメガネを掛けている男性がブリーフケースから用紙を一枚取り出すと、テーブルの奥に座る夫の前に差し出す。


 弁護士が差し出した用紙を手に取り、一瞥すると父親はハァ~と嘆息し「で、いくらだ」と聞いて来た。


「すみません。いくらとは?」

「下らない言い回しは必要ない。いくら出せば、ここから玲美の名前を消すのかと聞いているんだ」

「……そうですね。そういう話であれば、これ以上、私からお話することはありません。では、私はこれで」

「待て!」

「なんでしょうか」


 弁護士は用紙を父親から回収しブリーフケースにしまいソファから立ち上がろうとしたところで、父親に呼び止められる。


「ここに来た目的が金じゃないのなら、何が目的なんだ?」

「私の依頼人からのお話を聞いてくれるのですか?」

「聞かせろ」

「話すのはいいのですが、話した結果、お嬢さんを下手に守ろうとするのであれば、私の依頼人も手段を選ばなくなると思いますので、その辺りはご了承願えますか」

「どうあっても娘を諦めるつもりはないと言うのか」

「ええ、そう聞いています」

「ハァ~どうすれば諦めてもらえるんだ」

「放っておいてはどうですか」

「正気か? 私の娘だぞ!」

「ですが、その娘であるお嬢さんが別の家庭のお嬢さんを自死へと追いやりました。これはさっき読まれた遺書に書かれています。それについてはどう思われますか?」

「……」

「それにお嬢さんにそこまで固執する必要はないと思いますよ」

「ん? それはどういう意味だ?」

「ですから、本当に血の繋がったお嬢さんなら、何が何でも守ろうという姿勢は理解出来ますが、血が繋がっていないのなら、思い切って切り離すのも手だと言うことです。失礼ですが、あなたの会社の持つブランドイメージとして、お嬢さんが強姦教唆で訴えられるのは困りますよね」

「くっ……確かに会社うちにとっては大きなマイナスだ」

「ですから、ここは思い切って切り離すのが得策だと思いますが」

「その前にさっきの話を詳しく聞かせてくれ」

「さっきの?」

「ああ、私と玲美に血の繋がりがどうとかいう話だ!」

「あ~気になります?」

「当たり前だ!」

「では……」


 実の娘である玲美との血の繋がりを弁護士が否定したことで父親は激昂するが、弁護士はそれを気にすることなくどうしてそういう話になるのかということを懇々と説明する。


「……だが、血液型は」

「そんなの、たかだか四種類の血液型の話ですよね。ですので私はちゃんとしたDNA検査をお奨めします」

「どうして、そう思う? 根拠はなんだ?」

「根拠ですか」

「そうだ。そこまで言うのなら、確かな根拠なんだろうな」

「では……こちらを」

「ん? これは……」


 弁護士は何枚かの写真を父親の前に並べると、その中の一枚を指し「ここです」と言う。


「ん? 耳か。玲美の耳がどうした?」

「違いますよね」

「あ? だから、それがどうした。耳は耳紋と言われるくらいだ。違っていても可笑しくはないだろう」

「まあ、指紋と同じ扱いされると言う話は分かります。ですが、私が言いたいのはそこではなくて耳の形そのものなんです。いいですか、耳や眉毛には遺伝特性が強く出る場合があります。平たく言えば、ご両親のどちらかに似ているものです」

「だから、それがどうした!」

「だから、よく見て下さい。お二人とは違いますよね?」

「そんなことは……ん? まさか、いや……」

「お気付きになりましたか?」


 弁護士に言われた父親が家族で揃って写っている写真を見て唸り、もう一枚の写真を手に取り項垂れる。


 家族で写っている写真は皆の耳がよく見えるが、弁護士が言うように父親である自分や母親とも耳の形が違うが、もう一枚の写真に写っている男とはハッキリ同じと言える位に耳の形が似ていたのだ。


「ご納得頂けましたか?」

「クソッ!」

「お待ち下さい」

「止めるな! ここまで虚仮にされて黙って居られるか!」

「ですから、今ここで騒がれては私の依頼人の目的が達成されなくなる可能性があるので黙って見ている訳にはいきません」

「ならば、どうしろと言うのだ!」

「ですから、先ずはちゃんとしたDNA判定を行うことが大事だと言っています」

「だが……」

「ここまで騙されたんです。もう少しだけ我慢して頂けないでしょうか。ついでと言ってはなんですが、私の依頼人が目的を達成することで、多少の溜飲は下げられるかと思いますが」

「……分かった。では、改めて話を聞かせてもらおうか」

「分かりました。では……」


 弁護士は父親が落ち着いたのを確認してから、依頼人がこれから行うことを説明する。


「ですから、その為にはお嬢さんを養子に出して欲しいんです」

「そうか。それなら問題ないだろう」


 父親は弁護士が話した内容に納得したようでゆっくりと頷く。だが、弁護士はこれから娘を養子に出す話をしたのに母親である奥さんを呼ばないことに少しだけ不安になり父親に確認する。


「奥様は大丈夫ですか?」

「あいつなら、心配はいらない。あいつ自身も玲美を持て余し気味だったからな」

「そうですか。では、DNA検査の結果次第でよろしいですか」

「そんな必要はない」

「いいのですか?」


 養子に出す件は納得してもらったが、本当にDNA検査の結果を待たなくてもいいのかと確認するが、これまでも色々と面倒を掛けられたことを思い出しているのか眉間に皺を寄せながら弁護士を見て話す。


「まあ、一応はするが……いつまでも好き放題する玲美あいつに手を焼いていたのも事実だ。だから、会社の為にもここで切る」

「そうですか。では、こちらに署名と拇印をお願いします。後で奥様の拇印を「必要ない」……えっと」

「娘を切った後でアイツも切る!」

「そうですか……では、内容を確認した後、ご記入を」


 どうやら父親は娘と同時にその母親である妻も同時に切るつもりらしい。弁護士は父親に対し「その時はお手伝いしますよ」と声を掛ける。そして、父親は弁護士が差し出した誓約書の内容を読むと顔を上げ、弁護士に声を掛ける。



「ん? おい! この金額はなんだ! 慰謝料としては高すぎるのではないか!」

「口止め料も込みですので。それに全部が被害者家族へ渡る訳ではありませんので」

「手数料か。随分と高い手数料だな」

「まあ、その分は依頼者への気持ち口止め料も込みなので」

「フン! まあいい。で、相談なんだが」

「はい、なんでしょうか」

「DNA検査で親子関係が否定され、養子に出した後であれば私が玲美あいつに何をしようと法的には問題ないよな」

「そうですね。法的な面からは問題ないと思いますよ」

「なら……ってのはどうだ?」

「はぁ? 本気ですか?」

「ああ、本気だ」


 弁護士は父親からの提案に対し自分の耳を疑い父親に対し「本気なのか」と確認すれば、父親は本気だと答える。


 今まで育てて来た娘との親子関係がないと分かれば、確かに法的にはグレーゾーンだとは思えるが、それも世間に露呈すればという話だ。なので弁護士もあまりノリ気にはなれないが、この父親とは今後仲良くしておいて損はないだろうと頭の中で算盤ソロバンを弾くと父親に対し返答する。


「分かりました。では、その時にはまた、こちらから連絡するので、そちらは必要な場所の確保をお願いします」

「場所は提供してくれないのか?」

「いいのですか? 私達が何か仕掛けるとは考えないのですか?」

「ほう。それもそうか。分かった。忠告ありがとう。場所は用意する。連絡を待とう」

「はい。では、お嬢様の養子縁組の手続きを進めさせていただきます。では、今日はこれで」

「ああ」

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