君の想いを



「……子、……子くん、……東子くん!、東子くん!」


 大声で叫ぶ声に私は朧げだった意識を、ゆっくりと取り戻す。


 重い瞼を開き瞳をこらすと満天の空に星々が輝き、そして私を心配そうに覗き込む少しだけ老けた独田教授の顔があった。


「えっ? 教授? ってここは!」


 真っ暗な山中でドドドドドッという滝の音だけが、すぐ近くで響いていた。


「君がきちんと戻れるか、聞いていた場所に10年後の今日この日、この時間に私は来たんだ。良かった、良かったよ、東子くん。次元転移は成功だ! 戻れたんだよ、よかったたい、よかったたい!」


 そう言いニッコリ笑う独田教授の顔。私は素早く身体を起こし周囲を見回した。あの時のままだ。滝壺に膨大な数の流木がぷかぷか浮いていた。


「やったぁ、私は戻って来たんですね!」

「そうだ、やったな、東子くん!」


 両拳を握りそう叫ぶと、私は教授に「ありがとうございました!」と頭を下げた。なんだか泣いちゃいそうだった。





「で、今からどこに行くんですか?」


 ジープで山中に来ていた独田教授は、私に着替えも準備してくれていた。そして車に乗せられ、何故か街に向かわず山頂を目指していた。


「勿論、丸男くんの所だ。彼も君が戻って来るのを楽しみ待っていた。そして今日は、その、なんだ、君達の約束の日でもあるわけだ。うん、10年越しのラブロマンスだな!」


 あっ、そうだ!


 丸男は現在に戻った私に告白するんだ。あの高校生が今ではすっかり大人になっているはず。


「ドラマチックにする為に、私が夜景の綺麗な場所で待っている様に彼に伝えた。さぁ、着いたぞ。10年ぶりの再会だ、私はここいるから、東子くんだけで行きなさい、ほら、早く」

「あっ、はい」


 にっこり微笑む教授に駐車場から見送られた。


 ここは山頂の展望台がある公園。パノラマで広がる夜景が遥か遠くに伺え、その先では月明かりの中、ベンチに座っている人影が薄っすら認識出来た。そして私が近づいて行く足音が聞えたのか、その人影がすっと立ち上がった。


 すらりとした長身。丸男め、随分とダイエットしたんだな。まったく無理して、もう。なんだか嬉しくなって小走りで近づいて行くと、ふと私は違和感を覚えた。そして相手の姿がわかる距離に近づいた時、月明かりでそこに立つ丸男の顔がはっきりと見えた。


「なんで……」

「僕は丸男だよ」

「だって、あなたは、あなたは……、伊月さんじゃない!」


 私は瞬間的にその見慣れた元夫の顔に、その私を騙したど変態に、一気に怒りを爆発させた。


「意味がわかんない!」

「ちょ、待って! 東子さん!」

「待たない!」


 私は素早く鍛えに鍛えた拳を握り込み、先手必勝と距離を瞬時に詰め、その顔面に拳を叩き込んだ。


 ドン!


 ただし、顔の横スレスレだ。瞬間「ひぃいいいいいいい!」と伊月さんのカッコいい声とはまるで違う聞き慣れた声が響いた。


「これはどういう事よ!」


 私は素早く拳を引っ込めて、丸男と名乗る目の前の伊月さんをキッと睨んだ。


「ふ~っ、怖かった。もう、東子さん、まずは落ち着いて聞いて下さい」

「落ち着かないけど、聞いてやるから、さっさと答えなさい!」

「じゃあ、まずはこれを見て」


 丸男はそう言うとポケットから古びた学生証を取り出した。そこには神原伊月と書かれており、写真付きでまるまると太った懐かしい丸男の顔があった。


「僕はね、高校生の時、博多に住む年老いたおじいちゃんとおばあちゃんが心配で、そっちの高校に通っていたんだ」

「な、なんだとぉ!」

「この写真が僕が丸男だという証拠」

「むむむっ!」


 私は突きつけられた真実にとんでもなく驚いた。あの丸男が本当に伊月さんだったのか!


「東子さんから事情を初めて聞いた時に、申し訳ないけど僕はそのまま黙っている事にしたんだ」

「なんでよ!」

「だって、殺されちゃいそうだったから」

「むむっ、それは確かに!」

「そしてね、僕は東子さんが未来に帰ってから、10年後の再会を楽しみにして、まずは男らしくなろうと身体を鍛えたんだ。空手もやった。さらに不摂生な食生活も改めて、おかげで一気に痩せたんだ」


 そ、そうか、伊月さんの動きが武道を嗜んでいる者の動きだった理由がわかった。


「そしてね、東子さんの語った通りに僕はケーキ屋さんに通って、話しかけられる日を待ち、そして君に告白した。でも付き合ってからもずっと手を出さなかったのは、ロリコンだからじゃない。これのせいだ」


 そう言うとポケットから、伊月さんはあの幼児用のおパンティを出して来た。


「また持って来てる!!! やっぱり、ど変態じゃない! 何が『僕はノーマル』よ! この変態、犯罪者!」

「待って! ここはしっかりと聞いて!」


 今度は本気で殴りに行こうとしていたのを、慌てて伊月さんが制した。ここは昔の丸男と違って、私の気合に被せて来る力強さを持っていた、ちょっと悔しい。


「僕がね、この幼児用の下着を鞄に入れ、初夜の夜に見つからないと、東子さんは過去に戻らない。それはつまり過去の僕と東子さんが巡り合わないって事になる。だから僕の性癖はノーマルだけど、新婚旅行でそうなる為に準備して行ったんだ」

「何よ、それって、なんか変な感じがする」

「あのね、独田教授が言うにはタイムパラドックスを産み出さない為にも、必要な事なんだ。現在や過去は同時に影響下の中で存在する。どこがきっかけとかじゃなくて、最初からそうなっていたって事」

「もう、なんだか意味が分からない! でも、それはそれ、これはこれ! こんなおパンティを持ち歩く段階で犯罪者だから! そんなに言うなら、あなたがど変態じゃない証拠を出しなさい!」

「あのね……、もう一度言うけど、僕はロリコンだから手を出さなかったわけじゃない。僕はね、僕達にだけわかる全部の真実をこうして話さないと、東子さんとは本当の意味で恋愛が出来ないと考えていたんだ」


 そう言うと伊月さん改め丸男が私に一歩近づいた。


「僕はこの10年、君にふさわしい男になろうと努力して来た。


 初めて天神で出会った時は、命の恩人だってとても感謝した。


 公園で話した時は、未来の僕が君と結婚すると聞いてすごくびっくりした。


 空手着から着替えた君は、とっても魅力的で、僕はどきどきしてくらくらした。


 二人でラーメンを食べた時は、恥ずかしくて顔もあげられなかった。


 教授に出会い、未来に戻る君を考え、僕はすごく寂しくなった。


 だけど、ももちで散歩する時、僕はデートみたいだって嬉しかった。


 そして、君と僕がどうやって出会い、知り合って、付き合うのか、どうしても聞いておきたかった。


 君が未来に戻らなければいけないのはわかっていたけど、この瞬間が永遠に続けばって僕は願っていた。


 美しい浜辺を歩く君の姿にずっと見惚れていて、目が離せなかった。


 気がついたら告白をしていた。


 10年、待って欲しかった。


 僕はこの10年で、必ず君にふさわしい男になって見せると心に誓った。


 そして、君にも誓った。


 僕はデブで食いしん坊で、


 恋愛なんかした事もなければ、かっこいい決めセリフなんかも言えやしない。


 そんな僕なのに。東子さんを見てると胸が熱くなった。


 君の為なら、僕はどんな苦労も乗り越えてみせるって思ったんだ」





 丸男の言葉を聞きながら、私は気がつけばぼろぼろと泣いていた。


 私にとっては丸男という彼との1日は、今日のたった1日の出来事だけど、


 今まで私の知っていた伊月さんとは違って、ここにいる彼は10年の時を越えた彼、その想いを語ってくれている。


 とっても穏やかで優しい彼が、ずっと、ずっと、抱えて来た大切な想いなんだ。


 いなくなってしまった私を想い、努力して、努力して、きっとすごく辛かったはずなのに、きっとすごく寂しかったはずなのに。


 それでも彼は私なんかをひたすら真っ直ぐに想い続けてくれて、


 やっと再会を果たしても、胸に秘めたこの秘密のせいで、


 伝えたい想いをぐっと我慢して、


 大切な新婚旅行でお嫁さんに逃げられるカッコ悪い男になって、


 そんな惨めな想いをしても、こうして私に懸命に、そして優しく語りかけてくれている。


 ずっと我慢していた想いを語ってくれている。


 その彼の10年という時間の重みを想像するだけで、


 私は涙が止まらなかった。


 ぽろぽろ、ぽろぽろ、どうしょうもなく泣きじゃくってしまう。


 私はこの人にここまで思わるほど、


 私はこの人にここまで慕われる程、


 そんな女なのかわからない。


「ううっ、ううっ、嘘だぁ」


 私は何がなんだか分からずに、ただ、うまく色んな事を飲み込めなかった。


「嘘じゃないよ、東子さん」

「嘘だぁ、ひっぐ、嘘だよぉ」

「泣かないで、東子さん」

「だって、ひっぐ、丸男おおおお」


 私はぐっと手を握り締めて、下を向いて、肩を震わせ泣いていた。


 すると丸男は優しく私の顔を上げて、ハンカチで涙を拭ってくれた。


「泣かないで、東子さん。ほら、満天の星空が輝いて、いまにも星が降って来そうだ。とても綺麗なこんな夜に、僕は東子さんと本当の意味で再会出来た。今日はそう言う意味でとっても素敵な夜なんだ」

「ひっぐ、丸男、本当に私でいいの、がさつだし、思い込みも激しいし、すぐに手が出て乱暴だよ」

「僕には全くそんな風には見えない。東子さんはいつだって、僕に幸せをくれる。僕はあの日からこうして10年が過ぎても、東子さんが眩しいんだ」


 丸男はあの時浜辺で向けたのと同じ瞳で、私を真っ直ぐに見つめてくる。


「泣かないで、東子さん」


 私は彼の優しい瞳を見上げた。


「僕は東子さんが好きなんだ、初めて出会ったあの日から、ずっと、これからもずっと、東子さんを愛していたいんだ」


 月明かりが優しくて、初夏の夜風は穏やかで、天蓋に光り輝く星が揺らめいて、世界なこんな奇跡を私にくれた。


 10年越しの彼の想いが、私をふんわりと優しく包んでくれた。


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君の想いを 福山典雅 @matoifujino

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