竜之助

「由羅!今日も菊葉の城下町だってよ!」



由羅が川で顔を洗っていると、颯がやってきた。



「これで、3回連続だよな?陽蔵様は、そんなにあの町が気に入ったのかなー?」


「まだ知らぬ町だ。情報収集のためだろう。菊葉城と豊川家の動向も探らねばならないからな」



菊葉の城下町とは、この間由羅たちが移動商店を開いた町。


初めて行った町で、その町や菊葉城に関する情報が少なかった。



その情報収集も兼ねて、連続で菊葉の城下町に出向くようになっていた。



「まぁ俺もあの町好きだし、別にいいんだけどな!」



颯は由羅の隣で、豪快に顔を洗う。




そして陽が昇る頃、由羅たちは里を出た。



店がきたことを知らせる颯の笛の音が、城下町に響き渡る。



「お!今日もきてるんだなっ」


「今日のオススメはなに?」



由羅たちが店を開くと、町の人々はこぞって店に集まる。


人々は、踊り子椿の舞に惹かれ、店の前で自然と足を止める。



「椿ちゃん、本当にキレイだ…」


「それに、愛想もいいしっ」


「息子の嫁にしたいくらいだ!」



由羅はこの町でも、人々の目を奪う人気者になっていた。




昼のピーク時が過ぎると、由羅たちは休憩に入る。


この時間、決まって由羅は町外れの川へ向かうのであった。



川の流れる音、鳥の鳴き声…。


由羅は目を閉じ、自然の音に耳を傾ける。



すると…。



「今日もきてたんだっ」



川辺に腰を下ろす由羅のもとへ現れたのは、竜之助だった。



最初にこの町へきたときに、この川辺で出会った竜之助。


竜之助も家までの帰り道でここを通るらしく、由羅の姿を見かけると声をかけていた。




「うん。この町の人の人柄のよさが、みんな気に入ったみたいで」


「そうか!そう言ってもらえると、嬉しいなぁ」



そして、今日も由羅は偽りの姿で、決して真実を口にしない。



「竜之助は、今日も仕事?」


「ああ」


「それにしても、今日はやたらと汚れてるね?」


「そうなんだよ。今日は、田植えの手伝いだったから」



竜之助の紺色の着物は、所々渇いた泥がついていた。


そして竜之助の顔に目を向け、由羅はフッと笑みをこぼす。



「顔にもついてるよ」


「…えっ!ほんと?」



竜之助は少し照れながら、頬についた泥を手の甲で擦る。



そこへ…。



「兄ちゃーん!」



橋の方から、そんな声が聞こえた。



見ると、1人の女の子がこちらに向かって手を振っていた。


その女の子は橋を渡り、小走りで由羅たちのもとへやってきた。



「兄ちゃん、仕事終わったの?」


「ああ、終わったよ」



竜之助は、女の子の頭を優しく撫でる。



「妹?」



由羅が尋ねると、竜之助は妹の背中に手を添えて向き直る。



「そうっ。妹の市(イチ)」


「はじめまして!市です!」



市は、人見知りすることなく由羅にあいさつする。



「はじめまして。私は、椿」



由羅は腰を低くして、市と目線を合わせる。



すると、市は首を傾げた。



「なんかお姉ちゃん…、どこかで見たことあるような…」



由羅の顔をまじまじと見つめる市。



「そりゃそうだよ、市っ。椿は、踊り子なんだから」


「踊り子?」


「ほら、前に通りかかったときに見ただろ?おもしろい物を売ってるあの店で、踊ってた人がいただろ?」



市は、「う〜ん」と難しそうな顔で呟きながら、腕を組む。


そして…。



「…あ!あのときのお姉ちゃん!」



パッと目を見開いて、由羅を指差す市。



「市、見てたよ!お姉ちゃんの踊り!」


「ほんと?ありがとうっ」


「お姉ちゃんがすごくキレイでね。市も大きくなったら、お姉ちゃんみたいな踊り子になるって決めたの!」


「そう。市なら、きっとなれるよ」



由羅は、市に微笑みかける。



純粋無垢な市の笑顔が、由羅には眩しすぎてたまらない。



「お姉ちゃんは、いくつなの?」


「私?私は、17だよ」



椿の答えに、市は両手の指を折り数えていく。



「じゃあ市よりも、10個も上なんだっ」



その由羅と市との会話のやり取りをしていた竜之助が、驚いたように口をポカンと開けていた。



「…椿、17なのっ!?」


「そうだけど…、それがどうかした?」


「いや…。てっきり、俺と同い年かと…」



そんな竜之助に、市が抱きつく。



「兄ちゃんは、ハタチなんだよ!この前なったところなんだよねーっ!」


「ああ。椿が大人っぽいから、勝手に…」


「いい意味か悪い意味かわからないけど、よく言われるっ」


「あ…、やっぱり?」


「やっぱりって、なによっ」



少し拗ねたような態度を取る由羅。


それに、慌てた様子の竜之助の顔がおもしろくて…。



思わず、吹いて笑ってしまった。



顔を見合わせて笑う、2人。



「俺たち、今日で会うの3回目なのに、まだまだお互いの知らないところがあるんだな」


「…そうだね」



由羅は竜之助の話を、遠くを見ながらそっけなく答えた。



“まだまだお互いの知らないところがあるんだな”



竜之助の知らない、踊り子椿。


…いや、忍としての由羅。



はたして、竜之助が由羅の正体を知るときは訪れるのだろうか。




「兄ちゃん、お腹空いたー…」



しばらくして、市がごね始めた。



「お腹空いたって…、昼メシまだだったのか?」


「…うん」


「しょうがねぇなぁ。それじゃあ、ウチに帰るかっ」



そう言って立ち上がる竜之助に、市は両手を伸ばす。



「おんぶしてー」


「…おんぶ!?お前…7歳にまでなって、おんぶって恥ずかしくないのか?」


「恥ずかしくないもんっ!」



市は、プゥーッと頬を膨らます。



「なに甘えたこと言ってるんだよ。自分で歩けるんだから、さっ、行くぞ」


「ヤダ!おんぶ‼︎」


「ワガママ言うなー。兄ちゃん、仕事で泥だらけなんだ。おんぶしたら、市の着物にまで泥がつくだろ?」


「それでもいいもん!おんぶして!」


「…だからなぁ」



駄々をこねる市に、竜之助は困り果てて頭をかく。



そこへ…。



「私でいいなら、おんぶするよ?」



由羅が、市の前で腰を屈めた。



「お姉ちゃん、いいの!?」


「うんっ」


「ダメだよ、椿。わざわざそんなことしなくてー…」


「わーい♪」



市は竜之助の話も聞かずに、由羅の背中に抱きついた。



それを見て、申し訳なさそうに眉を下げる竜之助。



「ごめんな。市のワガママなんかに付き合わせて…」


「構わないよっ」


「重くないか?」


「平気!」



由羅は竜之助に、笑って答える。



2人は並んで、竜之助の家へ向かう。



「椿は、店に戻らなくてもいいの?」


「うん。店番は他に任せているから、夕方までに戻れば大丈夫」


「そっか。それならよかったっ」




30分ほど歩くと、城下町周辺の開けた風景とは違い、徐々に山に近づいてきた。



そして、森に入る手前のところに、1軒の小さな家が見えた。



「あそこが、俺の家!」



そう言って、竜之助は指差す。



所々、外壁の土が剥がれ、正直なところ立派とは言えない小さな家だった。



「ただいまー!」



竜之助が、立て付けの悪い扉を開ける。



右手には、釜戸。


左手には、履物を脱いで上がった床に、だれかが布団に包まり横になっていた。



「お袋、帰ったぞー!」



竜之助の声を聞くなり、布団からだれかが起き上がる。



「おかえり」



胸まである長い黒髪を耳の下で1つに束ね、前に垂らしている女性。


どうやら、この人が竜之助と市の母親のようだ。



「母ちゃん、ただいまー!」



由羅の背中で、市が声を出す。



「市もおかえり。…あら、そちらの方は…?」



竜之助の母親は、すぐに市をおぶっていた由羅に気づく。



「はじめまして、椿と申します」



由羅は市を下ろして、頭を下げてあいさつをする。



「はじめまして、竜之助と市の母です」



微笑む、竜之助の母親。


…しかし、その頬は少し痩せこけて見えた。



「お袋は、無理して起き上がらなくていいよ」



竜之助は履物を脱ぐと、母親の枕元に腰を下ろす。



「薬は?飲んだ?」


「心配しなくても、ちゃんと飲みましたよ」



母親に手を添えて、布団に寝かせる竜之助。



「かわいい子だね。見かけない顔だけど、どこの家の子だい?」


「たまに町にきてる、ほら…前に話した商店の子だよ」



どうやら竜之助は、移動商店のことを母親に話していたようだ。



「お前がウチに女の子を連れてくるなんてね」


「そんなんじゃないよっ。ただ、市をおぶってもらってただけ!」



小さな声で話す2人の会話も、忍である由羅には筒抜けだった。



「それじゃあ、私はこれで…」



由羅は軽く会釈する。



「待って、椿!送って行くよ!」


「大丈夫。1人で帰れるからっ」


「わざわざ市をおぶってくれたんだし、せめて送らせて!」



竜之助は、さっき脱いだ履物を慌てて履く。



「なにも出してあげられなくて、ごめんね。よかったら、またきてね」


「お姉ちゃん、またね〜!」



竜之助の母親と市に見送られながら、由羅は竜之助と共に家を出た。




「優しそうなお母さんだね」


「うん、まぁ…普段はっ。怒ると、すっげー怖いけど!」



そう言う竜之助の表情がおもしろくて、由羅から思わず笑みがこぼれた。



2人は他愛のない話をしながら、両脇に田んぼが広がる小道を並んで歩く。



「お母さん、体調…悪いの?」


「…うん。生まれつき、体が弱いみたいで」


「そうなんだ…。そういうば、竜之助のお父さんは?今は仕事で出かけてるの?」



由羅の問いに、その場の空気が少し変わった。


そして、竜之助は優しく微笑む。



「親父は、もう死んでるんだ」


「…え」



由羅は、竜之助に顔を向ける。



「4年前に戦に出て、そこで死んじまった」



思ってもいなかった答えに、言葉に詰まる由羅。



「“菊葉の乱”って知ってる?この辺りでは有名な、大きな戦だったんだけど」


「…うん、聞いたことある」



“菊葉の乱”とは、4年前にこの近くの川辺で起きた大合戦。


そこで勝利した豊川家が、一夜にして全国に名が知れ渡ることとなった戦である。




「俺の親父、豊川様の下に仕えていた足軽だったんだ。それで、菊葉の戦にも参加して」



父親が亡くなった辛い戦…。


しかし竜之助の表情は、なぜか清々しかった。



「あとから知ったんだけど、その戦で親父のヤツ、敵兵を5人も殺したんだ!」


「…5人もっ?」


「そう!すごいだろ!?武器は、槍だけなのに!」



興奮気味の竜之助。



足軽は、最低限の武器や防具しか与えられないはず。


一太刀浴びれば命を落とすものだが、あの大合戦で敵兵を5人も殺すことは、確かに大した腕の持ち主だ。



「そんな親父に、俺もなりたくてっ。だから親父は、俺の憧れの存在なんだ」



そう言って、竜之助は澄み渡る空を見上げた。


まるで、父親に語りかけるかのように。



その横顔は、どこかいつもよりも大人びて見えた。



「市はまだ小さいし、お袋の薬代のこととかもあるから、親父が死んで生活は苦しくなったけど、それでも俺は親父を誇りに思ってる!」



竜之助の力強い言葉が、由羅の胸に響く。



「だから俺も、親父みたいに豊川様の下に仕えることが夢なんだっ。二十歳にもなったし、今志願してるところ」


「そっか。竜之助ならなれるよ、きっと」



2人は、見つめ合って微笑む。




4年前に父親を亡くした竜之助。


母親の薬代と、家族3人の生活のために、竜之助は父親の代わりになって仕事をしている。



毎日毎日仕事と家族の世話で、体はくたくたのはずなのに…。


それでも、竜之助は愚痴一つこぼさない。



そんな竜之助に、徐々に心が惹かれていることに、このときの由羅はまだ気づいていなかった。

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