豊川家
「由羅、なにしてんだよ?」
颯は、不思議そうに由羅を覗き込む。
ここは、由羅の家。
床で颯が寝っ転がり、その隣で由羅はなにやらせっせと手を動かしている。
「見ればわかるだろ?裁縫だ」
「それはわかってるけどー。お前、着物には困ってなかっただろ?」
「私のではない。人から頼まれたものだ」
由羅は赤い布を、針と糸を使って器用に縫っていく。
「頼まれたもの?…って、だれに?」
「菊葉の城下町の女の子だ。ほら、いつも一番前で踊りを見てくれている…」
「あ〜、あの地味な着物を着た女の子かっ」
「そうだ。あまり着物を持ってないと聞いたから、私の余った生地で着物を作ってやろうと思って」
2人が話す女の子とは、市のこと。
市は、由羅たちの移動商店が菊葉の城下町にくることを毎回楽しみにしていた。
颯の笛の演奏と由羅の舞が始まると、決まって最前列で目を輝かせて見ていた。
そんな市からのお願い。
持っている着物が少なく、地味な色しかないため、由羅が舞で着ているような鮮やかな色の着物がほしいと。
しかし竜之助の家は、新しい着物を買う余裕はない。
それは、市も幼いながらにしてわかっていた。
だから、ほしいものがあっても我慢するしかないのだと。
その市の話を聞いた由羅は、市に着物を作ることにした。
幸いにも、由羅の家には着物の生地は何枚もあった。
市のためにも、こんなもので喜んでもらえるのならと思って、由羅はせっせと生地を縫っていた。
黙々と着物を作る由羅の姿を眺めながら、颯が呟いた。
「…なんか由羅、変わったよな」
見ると、颯は頬杖をついていた。
「変わった?私が…?なにを急に」
「いや、だってよ。由羅って、だれかのためになにかをしようとしたことって、今までにあったっけ?」
「失礼だな。私だって、里の子たちに着物を作ったことくらいある。それにー…」
「そうじゃなくて」
「え?」
由羅は、キョトンとして首を傾げる。
「里以外の者にだよ」
「里以外の…者?」
颯は徐ろに着物のポケットの中に手を入れると、中からクナイを取り出した。
「由羅も知ってる通り、俺たち鞍馬一族は、他者とは関わりを持たないようにしてるだろ?移動商店先で出会った町人たちとも」
「そうだな」
そのクナイを高く放り投げキャッチしては、また放り投げる颯。
「今までだって、椿の舞に憧れる幼い子供たちはたくさんいた。けどその子たちに、今回みたいになにかをしてあげようとしたことはあったか?」
「それはー…」
「なかっただろ?」
由羅は、思わず言葉に詰まる。
これまでのことを思い返してみたが、颯の言う通り思い当たる節はなかった。
「じゃあなんで由羅は、あの1人の女の子のために、こんなにがんばって着物を作っているのか?」
颯は、由羅の顔を覗き込む。
「それは、あの子が…あの男の妹だからじゃないのか?」
なにか核心を突くような…颯の言葉。
その言葉に、由羅は颯を睨みつける。
「なにが言いたい?」
「いや、べつにっ。ただ、最近由羅があの男と仲良くしてるのは知ってるから」
「竜之助からは、町の情報を聞き出しているだけだ」
「…とか言って、ちゃっかり名前で呼び合ってるじゃん」
2人の間に、不穏な空気が流れる。
牽制し合うように、お互いの目を見て離さない。
「勝手に言ってろ。それよりも、支度をしたらどうだ?今日も菊葉の城下町だろう?」
「へいへい。わかりましたよーっ」
颯は、面倒くさそうに体を起こす。
そして珍しい品を用意して、菊葉の城下町に向かった。
〜♪〜♪〜♪〜♪
今日も町に、颯の笛の音が響き渡る。
その笛の音に引き寄せられるように、人々は自然と店の前で足を止める。
しかし…。
「…ごめんなさい。今日は、これでおしまいです」
由羅は、観客たちに頭を下げる。
「今日はどうしたんだ?椿チャン?」
楽しみにしていた観客たちは、皆肩を落とす。
「ちょっと朝から体調が悪くて…」
「…そりゃ仕方ねぇな」
「次くるのを楽しみにしてるよ」
「ありがとう。本当にごめんなさいね」
観客たちは由羅の体調を気遣いながら、店を後にする。
客たちが帰ったあとで、颯が由羅に近づく。
「由羅、突然なんなんだよ?まだ怒ってんのか?」
「その呼び名はやめろ。今は椿だ」
「…ああ、わりぃ」
訂正し、颯は笛を帯に挟む。
「今日は、…笛の音にうまく乗れなかっただけだ。お前も薄々気づいていただろう?」
「…まぁな」
「ちょっとした口喧嘩で、こうも互いの息がズレるとはな。…私たちもまだまだだな」
由羅はため息を吐く。
颯とは、言葉を交わさなくても息の合うパートナーだと思っていた。
だから、こんなことは初めてのことだった。
観客たちは気づかなくとも、由羅と颯はいつもと違うことに違和感を抱いていた。
気まずい空気が流れる。
そこへ…。
「おや?今日の演奏はもう終わりか?」
ため息を吐く2人の頭から、そんな声が聞こえた。
…見上げると、白馬に跨がった人物が。
2人がポカンとして見ていると…。
「図が高いぞ、お前たち!頭を下げろ!」
刀を差した付き人らしき人物が、由羅たちの前に立ち塞がる。
周りを見渡すと、皆地面に跪き、頭を下げている。
それを見て、由羅と颯もすぐに跪いた。
「よいよい。面を上げよ」
穏やかな口調で、その人物は話しかける。
金の刺繍の入った、高級な生地で縫われた着物。
横には、付き人。
後ろには家来を従えていることから、ただの町人でないことは瞬時にわかった。
「近頃、珍しいものばかりを売る店が現れたと耳にしたが、それはこの店で間違いないか?」
「はい。そうでございます」
颯は頭を下げたまま、歯切れよく答える。
「その店で、笛の演奏に合わせて踊る娘がいると噂になっておるが、それはそなたのことか?」
「はっ、私でございます」
「そなた、名は?」
「椿と申します」
その男は由羅を見下ろしながら、蓄えた髭を指でなぞる。
「ワシも一度、そなたの舞を見てみたいと思うておった。…今日はもうやらんのか?」
「申し訳ございません。本日は体調が優れず、とても人前でお見せできるようなものではありませんので…」
由羅が断りを入れると、なんと顔の前に刀を突きつけられた。
「…貴様、この方をだれだと思っている!?つべこべ言わずに踊れ!」
見ると、付き人が刀の切っ先を由羅に向けていた。
「よさんかっ。だれだって、そういう日はある」
するとその男は白馬から降りて、由羅と付き人の間に割って入った。
そして、由羅の前にしゃがみ込んだ。
「では、そなたが次にこの町にきたときに、見せてもらうことは可能かな?」
「はい、ぜひ!」
その男は、にっこりと微笑む。
「そうと決まれば話は早い!そなたを今から、ワシの城に案内しようと思う。よいな?」
「し…城…?ということは、あなた様はっ…」
戸惑う由羅が連れてこられたのは、町の中心部にそびえ立つ菊葉城。
そう。
由羅たちの前に現れたのは、菊葉城の主、豊川家将軍の豊川義秀(ヨシヒデ)だった。
現在、全国で勢力を拡大する将軍の1人。
名前は耳にしたことはあったが、顔までははっきりとは知らなかった。
まさか、その本人が目の前に現れるなんて…。
こんな偶然があるものかと思い、平静を装ってはいるが、内心は戸惑っていた。
そして広い間に、由羅と将軍義秀が向かい合わせで座る。
「実はな、演奏者に関しては困ってはおらんのだよ。笛、琴、太鼓、三味線…。その楽器に優れた者たちを各国からこの城に集めたのだ」
「それは、すばらしいですね」
「しかし、どうにもパッとせんもんでな。なにか華やかになるものを探していたのだ」
「華やかになるもの…?」
すると、義秀は目を輝かせる。
「舞だよ、舞!音楽に合わせ、美しい娘が舞う姿…!想像するだけでたまらん!」
「ですが、踊り子でしたらこの町にもいるのでは…?」
「そうなんだ。…が、ワシが好むような“美しい”踊り子はおらんかった」
「…それが、私…だと…?」
「そうだ!今日そなたを見て、ぜひとも我が城で踊ってほしいと思ったのだ!」
それを聞いて、由羅は可愛げたっぷりの笑顔を振りまく。
「ありがとうございますっ。嬉しいです」
「そなたは美しすぎるっ。ワシの息子の嫁にしたいものだな」
義秀はそう言って、ガハハと大口を開けて笑う。
「おい、幸秀(ユキヒデ)!おるかっ?」
義秀が呼ぶと、障子の向こう側に影が映った。
「はい、父上。お呼びでしょうか」
「入れ」
「失礼します」
低く、どこか落ち着きのある声。
そして現れたのは、高身長に細身の体型の青年だった。
「ワシの息子の幸秀だ」
義秀に紹介され、会釈をする幸秀。
その仕草一つ一つが礼儀正しく、品があった。
義秀に似て目鼻立ちがくっきりとし、色白で整った顔だ。
「お初にお目にかかります。椿と申します」
「幸秀と申します」
幸秀は、ゆっくりと頭を下げる。
「お美しい方ですね。父上、また僕の嫁候補に…なんて言って、彼女を困らせていたのではないのですか?」
「ガハハハハ!馬鹿もんっ、今までの女は冗談だ!しかし、今回は本気だっ!」
「ほら、見てください。彼女、いきなりのことで困惑しておられますよ」
由羅は返す言葉が見つからず、黙って2人のやり取りを見ていた。
「まぁ、その話はさて置き。椿を我が菊葉城の踊り子にすることにした」
「それは、いいお考えですね。より一層、演奏に華やかさが加わりますね」
「幸秀もそう思うか?さすがは、ワシの息子だっ」
2人の関係を見ていると、義秀は幸秀を溺愛し、幸秀は義秀を尊敬のまなざしで見ていることがわかった。
…ということで、豊川義秀の命により、これから由羅は菊葉の城下町へくるたびに城へ立ち寄り、舞を披露することになった。
迷路のように入り組んだ城を抜け、ようやく門まで案内された。
城を出て、深呼吸をする由羅。
そして、城を振り返る。
豊川家に関する情報は少なく、菊葉城は難攻不落と言われていた。
が、今後は“踊り子”として、正面から城の中へ入ることができる。
細かい調査はできなくとも、外から城を眺めるだけより、遥かに多くの情報を収集することができる。
よって、由羅にとっても好条件だった。
今後の依頼で、もしかしたら菊葉城に浸入することがあるかもしれない。
そのときのために、由羅は少しでも情報を得ようと考えていた。
由羅が城に背を向け、立ち去ろうとしたそのとき…。
ガガガ…
先ほど由羅が出てきた城の門が、またゆっくりと開いた。
「失礼致しました!」
中から出てきたのは、やけに礼儀正しい青年。
すると、その青年と目が合った。
「…椿!」
「竜之助…!?」
なんと、城の門をくぐって現れたのは…竜之助だった。
「どうしたんだよ、こんなところでっ」
「そっちこそ!」
2人は並んで歩く。
「俺は、兵の志願にきてたんだ。豊川様の下で働くことが、俺の目標だからな」
「前に話していたやつね」
「ああ。そうすれば夢は叶うし、城内に設けられた兵舎にも住まわせてもらえる。メシも城から提供されるから、俺が1人いなくなれば家計も楽になるだろ?」
竜之助は、そんなことまで考えていたのか…。
竜之助の家族思いな面には、頭が上がらない。
「そうかもしれないけど、お母さんや市は寂しがるんじゃないの?」
「まぁな。実際市は、俺が兵に志願するって言ったら泣きじゃくってたし」
「…ふふ。市らしいっ」
「でもいいんだっ。育ち盛りの俺がいるだけで米の量は減る。兵舎に入れば、そんな心配もしなくていいし、稼いだ金を仕送りにできる。一石二鳥だと思わないか?」
「そうだね。しかし、皆それ狙いで志願してくるのだから、必ずしも兵になれるとは限らないでしょ?」
「ああ。でももし今回落ちたとしても、また挑戦するよっ!何度だって!」
竜之助は白い歯を見せて、ニカッと笑った。
「…そういえば、椿は?」
「ん?」
「なんで菊葉城に?なにか用事でもあったのか?」
由羅の顔を覗き込む、竜之助。
「うん、実は…」
由羅は、今日の出来事を竜之助に話した。
その話を聞き終わったあとの竜之助の顔は、口をあんぐりと開けて驚いていた。
「…それって、すごいことだよ‼︎」
「そう…かな?」
「そりゃ…もうっ!!」
由羅よりも興奮気味な竜之助。
「あの義秀様の目に留まったってことじゃないか!」
「大したことじゃないよ。私自身まだ未熟だし、そんな殿の前で披露できるような舞なんて…」
「そんなことない!椿の舞は、自然と人を魅了させてるよ!だから、義秀様も椿のことが気に入ったんじゃないかなっ!?」
「そうだといいな」
由羅は照れ隠しするように、はにかんでみせる。
すると、竜之助が足を止めた。
「どうしたの、竜之助?」
由羅が振り返ると、その表情はどこか嬉しそうに見えた。
「じゃあ、もし俺が志願兵に合格して、雇われるようになったらさっ」
「うん」
「俺たち、城の中でも顔を合わせることがあるかもしれないな!」
まるで、少年のような眩しいくらいの笑顔。
その無邪気な顔に、由羅は思わず笑みがこぼれた。
「ふふっ。竜之助が合格したら…ね」
「あー、椿!俺が合格できるって思ってないだろーっ」
「そんなことないよ」
「だって今、笑ったじゃん」
「それは、また違う意味でね」
「なんだよ、それー」
竜之助がまるで子供のようだったから、由羅の表情が緩んでしまったのだった。
2人は、あれやこれやと仲よく言い合いをしながら、城からの道を帰るのだった。
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