第三巻【殺蝶】

「待ってくれ…‼︎金なら腐るほどあるんだっ!」


「そんなものは必要ない」


「…それならば、お前が望む額をやろう‼︎」


「私がほしいのは、お前の命だけだ」


「…待て‼︎早まるな!は…話し合いをしようじゃないかっ。だ…だから待っ…ぎゃあぁぁぁ!!!!」



由羅の顔に返り血が飛び散る。


今日もまた1人…、殺した。



床に転がる死体を残し、依頼が完了されればまるで何事もなかったかのように里へ戻る。



由羅の両手は、真っ赤な血に染まっていた。


常人ならば、目を背けたくなるほどの夥しい血の量。



しかし、幼い頃から殺しを教わっていた由羅には、それは日常的な光景に過ぎなかった。



手を水で洗えば、水がつくことと同じように、ただそれが血に変わっただけのこと。




数日後。



「はい、どうぞっ」


「わー!ありがとう、お姉ちゃん‼︎」



市は大事そうに、由羅から手渡された着物を抱きしめる。


前に由羅が市のために作っていた着物が、ようやく完成した。



その鮮やかな赤色の着物は、今由羅が着ている着物と同じもの。



「キレイな赤色だね!」


「うん。私もこの色が好きだから、踊るときはどうしてもこの着物が着たくなるの」


「そうなんだ!じゃあ、市も着てみるー♪」



そう言って着物に袖を通す市を、傍らにいた竜之助が止めた。



「着るのは、家に帰ってからにしな」


「え〜、なんで〜?」


「今着たら、どうせ汚すだろ?」


「汚さないもん〜」


「って言って、毎回汚してるだろっ。せっかく椿にもらった大事な着物なんだから、家まで我慢しろ」



竜之助のその言葉に、市はピタリと動きを止める。


そして、少し考えた末…。



「…は〜いっ」



不服そうに頬を膨らませながら、市は着物を畳み始めた。



2人のやり取りを見て、由羅は思わず笑みをこぼす。



「そんな、大したものじゃないのに」


「そんなことないっ。椿は踊りの稽古で忙しいっていうのに、時間を割いてまで市に作ってくれたんだろ?」


「稽古…、まぁね」



嘘をつく由羅の笑顔は、ほんのわずかだがぎこちなかった。


しかし、ただの町人の竜之助には、それに気づくことはなかった。




「お姉ちゃん、あっちの川辺で遊ぼ!」



市が川の方を指差す。



「うん、いいよっ」



そう言って、由羅が腰を上げると…。



ズルッ!!



昨日降った雨のせいか、濡れた草に足を取られ、由羅は誤って足を滑らせてしまった。


着物で、思うように体勢を整えることができず…。



「…きゃっ!」



小さく悲鳴を上げた由羅の体は一瞬宙に浮かび、そのまま尻餅をついた。



「大丈夫かよっ!?」



竜之助は驚いた顔を見せ、由羅にすぐさま手を差し伸べた。



「…大丈夫、ありがとう」



由羅はその手を握り、竜之助に支えられながら上体を起こす。



「椿って運動神経いいと思ってたけど、実はおっちょこちょいなんだな!」


「失礼ねっ。悪い方ではないわよ」



由羅と竜之助は、顔を見合わせて笑う。



ふと竜之助が、由羅と繋いだ手に目を移す。



「そういや、椿の手…」


「…え?」



竜之助は、握った由羅の手をまじまじと見つめる。



「なに見てるのよ、恥ずかしい…!」



由羅は手を振り解いて、自分の後ろに隠す。


そんな恥ずかしがる由羅を見て、竜之助がポツリと呟く。



「キレイだよな」



優しく微笑む、竜之助。



「…キレイ?私の手…が?」


「ああ、白くて細くて…。俺なんか、マメだらけの汚い手だからなっ」



竜之助は、自分の両手に目を移す。


その竜之助の隣で、由羅はぼうっと自分の手を眺める。



「この手が…キレイ…?そんなわけ…ない」



由羅は、竜之助には聞こえないくらいの小さな声で呟いた。



…由羅は、自分でわかっていた。



この手は、何十人…。


いや、何百という人の命を奪った手。



昨夜まで、べっとりと両手に血がついていた。



決して…キレイなんかじゃない。




2人がいる川辺の道を、3人の町娘が通る。



「その髪飾り、似合ってるね!」


「ありがとう!でも、その帯留めもかわいい!」


「そういえば、あの人とはどうなったの?声かけられた?」


「…そんなこと、できないわよ〜…。もう見てるだけで、満足なんだから」



かわいらしい柄の着物を身に付けている。


歳は、由羅と同い年くらいだろうか。



聞こえる話も、お互いの小物の褒め合いや、気になる意中の人の話…。


その年頃の女の子らしい会話だ。



3人の町娘の後ろ姿を、由羅はぼんやりと見つめていた。



もし、どこにでもいるような普通の町娘として生まれていたら、あんな風に他愛のない話をして、楽しそうに笑っていたのだろうか。


もし殺しをしていなければ、手を褒められたことを素直に喜んでいたのだろうか。



もし…忍でなければ、竜之助に嘘をつくこともなかったのだろうか。




今までは、忍という自分に誇りを持っていた。


なによりも、“強くなること”だけを考え、毎日修行に励んでいた。



交わす会話は、武器の使い方や急所の狙い方。


かわいい小物の話や、気になる人の話なんてしたことがなかった。



これが“普通”だと思っていた。



でも…竜之助と出会って、由羅の心は少しずつ変わり始めていた。




数日後。



「はぁ〜…、やはりそなたの舞は美しい」


「そうですね、父上」


「美しすぎて、ため息が出るわいっ」


「戦の疲れも癒されますね」


「まったくだ!」



由羅は、今日も菊葉城に招かれていた。



「ありがとうございます。このような舞でよければ、いくらでも」



豊川家将軍、豊川義秀とその息子である幸秀の前で、艶やかな舞を披露した由羅。


その由羅の美しさに、義秀は惚れ込んでいた。



「…ところで、椿。あの話は、前向きに考えてくれているか?」


「あの話…と申しますと…?」


「とぼけるのがうまいの〜。そんなもん、幸秀の妻になる話に決まっとるではないかっ」



義秀は扇を広げ、片手でパタパタと扇ぐ。



由羅はその話に、申し訳なさそうに眉を下げる。



「滅相もございません。私の両親は、どこにでもいるような普通の商人。決して、将軍家と結ばれて良い身分などではございませんっ」



身分や格差の厳しい時代。


将軍家と結ばれるのは、貴族や皇族などの姫君と決まっている。



しかし、義秀はというと…。



「堅いことを言うな、椿。良いではないか、ワシがこう言っておるのだから。のう、幸秀?」



義秀の問いに、幸秀は苦笑する。



「父上、少しお酒の飲み過ぎではありませんか?」


「なにを言っとる。ワシは酔うてなどないぞ!」


「酔っておられなくても、そのような大事なお話は、酒のない場でするものです」


「ほほう、お前も一丁前に言うようになったものだなっ」



幸秀に注がれた酒を、機嫌よくクイッと飲み干す義秀。



由羅が菊葉城に招かれたのは、今回が4度目。



その度に義秀は由羅に、幸秀の妻にならないかと猛アプローチをしていた。


由羅が返す言葉に困っていると、毎回こうして幸秀が助け舟を出してくれるのだった。



いくら将軍の義秀が結婚を認めたとしても、由羅にはそんな気はさらさらない。


毎回、相手の機嫌を損ねないようにやんわりと断りを入れるのだっ。



由羅が菊葉城にくる目的は、ただ一つ…。


菊葉城の内部を調べ、豊川家の行動を把握することだ。




「椿、今日の舞もすばらしかった。今日はもう帰ってもよいぞ」


「かしこまりました、義秀様」



由羅は義秀と幸秀に頭を下げると、その場を立った。



「椿!」



すると、立ち去ろうとする由羅を義秀が呼び止めた。



「ワシは今まで、欲しいものならなんでも手にしてきたっ。地位も名誉も金も女ものう」



器に入った酒を流し込む義秀。


顔を赤くして、義秀はかなり酔っていると見られる。



しかし、一瞬義秀の顔付きが変わった…。



「お前もいつか、ワシのものにしてやる。なんとしても…じゃな」



この義秀の言葉に隠された意味…。


このときの由羅は、まだ気づいてさえもいなかった。

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