月夜
「由羅、高殿へこいっ。陽蔵様がお呼びだ」
颯が窓から顔を出す。
「わかった。すぐ行く」
由羅は立ち上がると、高殿へ向かった。
高殿へ入ると、陽蔵の前に膝をついて頭を下げる鞍馬の忍5人衆がいた。
由羅も駆けつけて、膝をつく。
「よし。全員揃ったな」
陽蔵は、肩に留まった鷹の首を撫でながら話す。
「新たな依頼だ」
そして、手に持った紙に目を通す。
「お前たちには、今夜…ある城に忍び込んでもらう」
「盗み…ですか?」
颯の質問に、陽蔵は頷く。
「そうだ。その城に隠された巻物を奪ってくるのだ」
「なるほど。それで、“その城”とは一体…」
その問いに、陽蔵は由羅に目を向ける。
その視線に、由羅はなにかを察した。
「菊葉城だ」
陽蔵の言葉に、鞍馬の5人衆の目も一斉に由羅に向けられる。
「由羅。菊葉城に招かれているお前であれば、巻物の隠し場所に心当たりがあるのではないか?」
そう言われて、由羅は少し考える。
「…そうでね。いくつか検討はついています。それが何の巻物かによって、さらに隠し場所が絞れるかと」
「さすがだな、由羅。…今夜盗む巻物は、戦の書だ」
「戦の書…」
「豊川家の戦の戦術が記されている巻物だ。おそらく、豊川家と敵対する将軍家からの依頼であろうな」
戦の書…。
由羅は目を閉じて、頭の中を巡らせる。
由羅の頭の中には、由羅自身が描いた菊葉城の見取り図が把握されていた。
舞を披露するために、ただ城に通っていたわけではない。
城へ入るたびに、見張りの数、兵の手薄な場所、死角となる位置を観察していた。
そして、戦の書の在り処…。
その場所とは…。
「おそらく…最も可能性が高いのは、義秀の寝室でございましょう」
由羅には、心当たりがあった。
義秀は、重要な物や貴重な物は、鍵のかかる宝物庫ではなく、自分の寝室に隠すクセがある。
それは、義秀自身も自分で話していた。
なんでも、目の届く範囲にある方が落ち着くとかで。
戦の書は、豊川家将軍の戦術が書かれた大事な物。
いつ盗みに入られるかわからない宝物庫には置かないはず…。
…おそらく、それも義秀の寝室にあるのだろうと由羅は考えた。
「菊葉城は、それほど難しい造りでもありません。忍び込むには、問題はないかと思います」
「そうか」
「ただ、他の城と比べて見張りの数が多いのが特徴です。だれにも気づかれずに義秀の寝室に向かうのには、無理があるでしょう」
今勢いのある豊川家に仕えたいと志願する者は多く、城の至る場所に見張りが配置されている。
「由羅。お前の考察には信頼を置いている。菊葉城に最も詳しいお前が、今夜の依頼の指揮を取れ」
「はい、父上」
陽蔵が高殿を後にすると、由羅はさっそく鞍馬の忍5人衆を集めた。
その一員の中には、なんと…。
「お前…、もう大丈夫なのか?」
「うん。ごめんね、由羅姉に心配かけちゃって…」
美影の姿があった。
初めて加わった依頼で、敵兵に殺されかけた美影。
そのときの恐怖心から、家から出ることもできないでいた。
その美影が、今、依頼の一員として由羅の目の前にいる。
嬉しくもあるが、美影の体調も気にかかり、由羅は複雑な気持ちでいた。
「父上に無理に駆り出されたのか…?」
「ううん!そんなことないよっ」
「じゃあ…何故。無理して参加しなくてもよいのだぞ?」
由羅は美影の顔を覗き込む。
「…違うのっ」
すると顔を上げた美影は、力強い目をしていた。
「あたしが陽蔵様にお願いしたの。依頼に出させてほしいって」
「…美影自身がっ?」
由羅にとっては、予想外の答えだった。
トラウマになるほどの怖い思いをしたというのに、なぜ自ら…。
「正直に言うと…本当は怖いよ。今でも手が震えてる」
「だったら、どうして…」
「それでも、依頼に出たいの。たくさん経験を積んで、早く由羅姉みたいな忍になりたいのっ」
美影は、ギュッと唇を噛み締めた。
その表情は、恐怖に怯えるものではなく、どこか…微笑んでいるように見えた。
「今なら、あのときみたいに正体を見られたとしても、敵を殺せる自信…あるよ」
美影の勇ましい言葉に、由羅は美影の頭に手を置く。
「お前のその美しい手を、わざわざ血に染める必要はない。汚れた仕事は私が引き受ける」
幼い美影の手を汚すには、まだ早い。
しかし、美影の強い意志を知り、由羅は少し安心したのだった。
「では、作戦はこうだ」
由羅は、今夜の依頼の指揮を取る。
目的は、菊葉城に隠された戦の書を盗むこと。
そして、囮班と侵入班の二手に分かれる。
「先ほども言った通り、見張りに見つかることなく忍び込むのには無理がある。よって、囮班は颯と私が引き受ける」
初めに由羅と颯が忍び込み、わざと見張りに見つかる。
援軍も集めるように逃げ回り、その間に美影を含めた侵入班が城に忍び込むというもの。
「お前たちは美影の援護をしつつ、義秀の寝室に向かってほしい」
「承知しました」
作戦会議が終わると、高殿から解散した。
その夜。
「なっ…何者だ…!?」
囮班の由羅と颯はあえて見張りに見つかるように、堂々と城の敷地内に降り立った。
「侵入者だー‼︎‼︎」
そして計画通り、援軍も引き連れて城の周りを逃げ回る。
その間に、美影の侵入班は菊葉城へ忍び込んだ。
由羅たちを追う援軍の数はさらに増し、物見櫓からは弓を構える兵の姿も見えた。
「「放てっ!」」
その矢が、由羅たち目掛けて放たれる。
音もなく一直線に、闇夜を切り裂く矢。
「遅い遅いっ」
颯は一回転するようにジャンプをし、由羅もヒラリと矢を躱した。
鮮やかな身のこなしに、兵たちは息を呑む。
「お…恐ることはねぇ!敵は、たったの2人だっ。やっちまえー‼︎」
兵たちは躊躇しながらも、刀を構えてじりじりと歩み寄る。
すると颯は、片方ずつ肩をぶんぶんと回し、指をポキポキと鳴らす。
「こいつら、やっちゃっていい?」
「好きにしろ」
由羅の言葉を聞くと、颯は歯を見せて笑った。
そして、その場で軽く数回ジャンプしたかと思うと、一気に敵兵の中に突っ込んだ。
颯の動きについて行けず、兵たちは呆気なく斬られていく。
いくら峰打ちとは言え、半日は目は覚めないことだろう。
それほど的確に、急所を突いている。
「あそこだ‼︎とっ捕まえろー‼︎」
そうこうしているうちに、さらに援軍がこようとしていた。
「あっちはお前に任せるよ」
颯は、由羅と背中を合わせてそう言った。
由羅は刀を引き抜くと、兵たちを足場にして、ふわりと宙を舞った。
そして、援軍の行く手に降り立つ。
「…こいつ、自分から向かってきやがった!」
「フッ、いい度胸してやがる」
「かかれー‼︎」
「「おーーーーっ‼︎‼︎」」
刀を構えた、兵たちが一斉に由羅に襲いかかる。
しかし由羅は、ヒラリヒラリと刀を躱す。
目にも留まらぬ速さで、次々と峰打ちで仕留める。
「…な、なんだこいつ!?」
「強すぎるっ…」
援軍の中から、そんな声が漏れ始めた。
その由羅の計り知れない強さを目の当たりにした兵が、ポツリと呟いた。
「…まさかこいつ、黒蝶かっ…?」
その言葉に、兵たちは踏み出そうとした足を止める。
「やーっ‼︎‼︎」
そんな中、捨て身覚悟で、攻撃の手を止めた由羅の背後を、1人の兵が斬りかかる。
その攻撃を振り返りもせずに華麗にジャンプして躱すと、由羅は兵の首に一撃を食らわせた。
その光景を見て、他の兵たちは後ずさりをする。
「あの身のこなし…、一撃で仕留める正確さ…」
「確かに黒蝶と言われれば、この強さに納得がいくっ…」
恐れをなした兵たちは、由羅が一歩歩み寄ると、間合いを取るように一歩下がった。
「…だ、だが、なにも怯えることはねぇ!」
「そうだ!相手は、たったの1人だ‼︎」
「全員でやれば、倒せねぇ敵ではないっ!」
まるで兵たちは、お互いを鼓舞しているようだった。
そして、それが自然と士気の上昇に繋がっていた。
「ここで黒蝶を仕留めれば、将軍様に褒められること間違いねぇ!」
「それに、黒蝶の首には莫大な賞金が懸かってるっ」
「俺たちの手で、なにがなんでも討ち取るぞ‼︎」
「「おーーーーっ‼︎‼︎」」
再び士気の上がった兵たちは、一斉に由羅に襲いかかった。
100人は超えるであろう敵兵が、四方八方から刀を振りかざす。
常人であれば、決して躱すことのできない攻撃。
だが由羅の目には、その一つ一つの兵の動きが、まるでスローモーションかのようにゆっくりと映っていた。
なぜなら、由羅が速すぎるから。
士気の上がった兵たちだったが、その気合も虚しく、次々と地面に倒れていく。
「や…やべぇ‼︎やっぱりこいつ、本物の黒ちょっ…!」
逃げ出す兵も、由羅は容赦なく斬りつける。
群がっていた大軍はいつの間にかまばらになり、残り数人ほどになってしまっていた。
由羅の攻撃は、止むことを知らない。
そして、ついに最後の1人を由羅の目が捕えた。
その兵は、ゆっくりと刀を構える。
由羅は構えた直後、一気に敵の懐に攻め込んだ。
キィ----ンッ‼︎
刀と刀がぶつかり合う、甲高い音が鳴り響く。
由羅は後ろへ飛び、間合いを取る。
顔色一つ変えずに、相手の出方を伺う由羅。
しかし、このときの由羅は、顔には出さないが驚いていた。
なぜなら、雇われている兵ごときに刀を受け止められたのは…初めてだったから。
私の腕が落ちたのか?
…いや、そんなはずはない。
由羅は心の中で、自問自答を繰り返す。
さっきのは、ただのまぐれに違いない。
次で決めるっ。
由羅は再び、間合いを詰めた。
キンッ!
キンッ!
キ--ンッ!
しかし、また受け止められた。
ならばと思い、闇に紛れて背後に忍び込む。
これで終わりだ。
由羅は敵の首元を狙った。
そのとき…!
…シュッ
由羅の頬を何かが掠めた。
徐ろに頬に手を当てると、指についたは赤色の水滴。
…なんとその兵は、由羅の刀を受け止めるどころか、由羅に一太刀浴びせたのだった!
擦り傷とは言え、敵から傷を負わされたのは初めてのことだった。
戸惑い、呆然と立ち尽くす由羅に、今度は敵兵が攻め込んできた。
カキ-----ンッ‼︎
咄嗟に、刀で受け止める由羅。
キンッ!!
キンッ!!
キ-----ンッ!!
兵は臆することなく、由羅を攻め立てる。
確かに、他の兵よりは腕はある。
しかし、所詮由羅の敵ではなかった。
刀を振るうときの、脇の締まりが甘い。
由羅は、相手の弱点を見抜いていた。
…ここだっ。
反撃に転じようと、由羅は身を屈めた。
そのとき、敵の薙ぎ払った刀が由羅のマントを引っ掛けた。
パサッ…
マントが捲れ、由羅の顔が露わになる。
そしてちょうど、運悪くさっきまで雲に隠れていた月が顔を出し、辺りを明るく照らす。
…顔を、見られた。
鞍馬一族は、正体を明かしてはいけない。
もし顔を見られることがあろうものなら、それは相手を殺すまで。
もう、峰打ちでは済まされない。
由羅は標的を定めるように、ゆっくりと顔を上げる。
そのとき…。
「…椿?」
闇夜に響く、小さな声。
…その声に、自然と体が固まる。
今までにないくらい、鼓動が打つのが速かった。
本当は、目を疑いたかった。
見間違いであってほしかった。
…なぜなら、由羅の目の前に立つ…殺すべき相手とは。
…なんと、竜之助だったのだ。
「…椿?やっぱり椿だよなっ!?」
竜之助は事もあろうに、歩み寄ってこようとする。
後ろへ下り、すぐに頭からマントを被る由羅。
由羅は、これまでにない大失態を犯した。
顔を見られただけではなく、顔見知りに正体がバレてしまった。
偽りようがなかった。
…もはや、殺すしかない。
「椿、なんでこんなところにー…」
駆け寄る竜之助に向かって、刀を構えた。
「…なんだよ、刀なんか構えて。俺だよ、竜之助だよ!」
竜之助は、今の状況を理解できていない様子だった。
心臓をひと突きか…。
それとも、首を跳ね飛ばすか…。
せめて、ひと思いにあの世へ逝かせてやる。
由羅は、刀を持つ手にグッと力を込めた。
…さらば、竜之助。
由羅は疾風の如く、一気に竜之助との距離を詰めた。
このすぐあとに殺されるとも知らず、由羅に無防備に懐を空ける竜之助。
この…一秒にも満たないわずかな時間。
その間に、由羅の脳裏には走馬燈のように、竜之助との思い出が蘇った。
“さっき見てたんだ!笛の演奏もすばらしかったけど、キミの舞もすごいと思って!”
“そんな親父に、俺もなりたくてっ。だから親父は、俺の憧れの存在なんだ”
竜之助のまなざしは、いつでもまっすぐと前を見ていた。
由羅の正体を疑いもせず。
町のこと、家のこと、自分のこと。
そのすべてを、無邪気に由羅に語る竜之助の姿…。
“じゃあ、もし俺が志願兵に合格して、雇われるようになったらさっ”
“うん”
“俺たち、城の中でも顔を合わせることがあるかもしれないな!”
こんな場で、こんな形で…出会いたくなかった。
でなければ、自分の手で竜之助を殺めることもなかった。
殺しは、日常的で当たり前なものだと思っていた。
人を殺すことに、喜びや悲しさや苦しさも感じない。
でも…。
今…この瞬間だけは、できることなら殺しはしたくない。
由羅は初めて、そう思った。
許せ、竜之助…。
由羅は、心の中で呟いた。
…ドサッ
鈍い音が、由羅の耳に入る。
恐る恐る目を開けると、刀を振り切った由羅の目の前には…。
うつ伏せで倒れる竜之助がいた。
ピクリとも動かない竜之助。
由羅はその光景に息を呑む。
…殺した。
竜之助を殺してしまった。
と同時に、由羅は激しいめまいに襲われた。
その場に立っていることもできずに、地面に刀を刺し、よろける体をなんとか支える。
そのとき…。
「なーにやってんだよっ」
そんな声がして、驚いて見上げると…そこには颯が立っていた。
「颯…!?なぜここにっ…」
「は?そんなの、向こうが片付いたから手伝いにきたに決まってんだろ」
颯はキョトンとして、髪をクシャクシャとかく。
「お前らしくもねぇ。こんなザコ1人に時間を食うなんて」
「す…すまない」
「あまりにも遅いから、俺が一発で仕留めてやったよ」
「えっ…?」
由羅はしゃがみ込み、倒れた竜之助の首元に手をやる。
トクン…トクン…
かすかに、指を伝って刻まれるリズム。
脈が動いているのを感じ取った。
「峰…打ち…?」
目を見開ける由羅。
「はぁー?なに寝ぼけたこと言ってんだよ。俺たちは、無駄な殺生はしねぇだろ?」
「そ、そうだな…」
「殺しは、暗殺か正体がバレたときって言われて…」
すると、颯が言葉を詰まらせた。
そして、徐々にその表情は固まっていく…。
「まさか由羅、こいつに正体…見られたのか?」
「え…?」
由羅の心臓がドクンと鳴る。
由羅の顔をじっと見つめる颯。
それを、自然を装って見返す由羅。
沈黙の時間がしばらく続く…。
「…って、そんなわけねーよなぁ!」
突然、颯が笑い出した。
「なんたって由羅は、里一番の忍。こんなザコ兵ごときに、そんなヘマするわけねぇもんな!」
「あ…当たり前だろっ」
由羅の額には、冷や汗が浮かび上がっていたが、どうにか颯には気づかれずに済んだ。
ピィ〜!ヒュロロロ…
そのとき、鳥の鳴き声のような音が聞こえた。
この音は鳥笛と言って、由羅たちの間ではなにかの合図として使われている。
「おっ!美影たち、無事に戦の書を奪ったみたいだな」
「そうだな」
「じゃあ、俺たちも行くか」
「ああ」
颯が闇に消えていき、由羅も腰を上げた。
その場に横たわるのは、気絶したままの竜之助。
今なら、簡単に殺すことができる。
竜之助も、死への恐怖や痛みを感じる前にあの世へ逝ける。
由羅は、刀に手をかける。
…しかし、それを引き抜くことはできなかった。
正体がバレた以上、殺さなくてはならないのに…。
…でも、なぜだろう。
竜之助だけは、殺したくないと思うのは…。
由羅は刀を鞘に収めたまま、闇の中へ消えていった。
それは、静かな月夜のことだった。
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