第二巻【恋蝶】

踊り子

「由羅、行くぞーっ」


「ああ」



由羅と颯を含む忍一行は、朝早くに里を出た。



霧の隙間から、うっすらと陽の光が差す。



「美影は、…今日もか?」


「…そうだな」



美影は初依頼以来、家から出られずにいた。


そして、人が変わってしまったかのように、以前のような無邪気な笑顔を見せなくなった。



「まぁ仕方ねぇよな。初の依頼で殺されかけたんだから。植え付けられた恐怖は、なかなか取り除けねぇか…」



颯の言葉に、由羅は黙って走る。



今日は朝から山を下り、町を目指す。


週に2回、鞍馬一族は数名の忍者を町へ向かわせる。



その訳とは…。




「さぁ!今日も珍しい物を揃えたよ!」


「そこのキレイなお姉さん!ぜひ足を止めて見てってねー!」



ハチマキを頭に巻き、法被を着て、楽しげに物を売る鞍馬の忍たち。



普段は、依頼をこなす。


その傍ら、副業として商人に扮して店を開き、物を売る。



もちろん町の人々は、そこで物を売っているのが忍だとは、これっぽっちも気づきはしない。



これも、彼らの変装の一つ。



商店を開き、収入源を得る一方で、人の会話に耳を傾け、情報収集もする。



「よう、久しぶりだなっ。今日はなにがあるんだ?」


「へい、らっしゃい!今日は、異国からの珍しいモンが入ってますぜ!」



商店は、毎回同じ町へ行くのではなく、いくつかの町をローテーションでまわる。


よって、再び同じ町へ物を売りにくるのは1ヶ月に一度ほど。



その町に留まることなく、ふらっと現れるため、人々からは『移動商店』と呼ばれていた。



ほかの商店にはない、珍しい物を揃えているため、町の人は心待ちにしている。



解体して移動しやすいように、柱を組み合わせて、屋根代わりに布を張った簡単な作りの店。


その店の隣から聴こえる、軽快なリズムの笛の音。



人々はこの笛の音を頼りに、どこからともなく移動商店がきていることを知る。



その笛を吹くのは、颯。


器用な手つきで、竹でできた横笛を巧みに操る。



「よ!いいぞ!」



人々は歓声を上げながら、笛の音に合わせて手拍子をする。



その手拍子に乗って、美しく舞うのは…由羅。



由羅は、この移動商店の看板娘とされている。


そして、颯の笛に合わせて踊る、踊り子。



いつもと違い、化粧もして、普段は身に付けることのない赤色の艶やかな着物を着る。



扇子を片手に華麗に舞う由羅の姿に、人々は惚れ惚れする。



由羅目当てで、この商店にきている客もいるほど。



「やっぱり、椿(ツバキ)の踊りは最高だっ」


「ああ。いっそのこと、この町に住んじまえばいいのにっ」


「そうすれば、毎日でも椿を見られるのになぁ!」



人々が口々に言う“椿”とは、由羅の源氏名。



忍という正体を隠すため、鞍馬一族は本名を名乗らない。


皆、源氏名を使い、源氏名を本名として偽っている。




颯の笛の演奏が終わると、見物客たちは由羅と颯に拍手を送る。



「いつ見てもかっこいいわ…」


「そうね。この町の男たちとは大違いっ」



颯もまた、町娘たちから人気があった。



「椿、今日もよかったぞ!」


「ありがとう!せっかく寄ってくれたんだから、たくさん買っていってね!」


「椿に言われちゃあ、手ぶらでは帰れんなっ」


「まったくだ。椿には敵わんよ!」



見物客たちは、由羅に言われるがまま隣の店に立ち寄る。



そこへ、1人の少女が由羅に駆け寄る。



「…これ。椿お姉ちゃんのために作ったの!」



と言って、由羅にレンゲで編まれた花冠を手渡す。



お世辞でも、上手とは言えないもの。


だが、少女の手についた泥や茎の汁のあとで、一生懸命作ったものだとわかる。



「ありがとうっ。似合う?」


「うん!」



由羅が花冠を頭につけると、少女は満足気な笑みを浮かべて、母親のもとへ走っていった。



由羅は、行く町々で人気者の踊り子。



凛とした表情で舞う姿と、普段の気さくで人当たりのよい性格。


老若男女問わず、町の人々は由羅を慕っていた。



だがそれは、“踊り子椿”という由羅の仮の姿。



冷静沈着で、物静かな由羅の本来の姿とは正反対。


これも、由羅が優秀な忍と言われる理由の一つであった。



別人かと思うほどの、“忍の由羅”と“踊り子椿”。



これほどまでに、仮の姿との切り替えができるのは、由羅だけだった。



…だから、人々は気づきもしない。



惚れ惚れとして見つめる踊り子椿の正体が…。


…まさか、“黒蝶”と呼ばれる鞍馬一族最強の忍であるということに。




「いや〜、今日も大繁盛だったな!」


「ああ。興味深い情報も聞けたしなっ」


「あれ?由羅様、どこへ?」


「悪いが、先に里へ戻る」



日が沈み、商店を片付けると、踊り子椿は忍の由羅へ戻るのだった。




そして、数日後。



「行って参る」



今日も移動商店のために、とある町へ向かう。




今回訪れたのは、初めてくる町だった。


町の中心部には、菊葉(キクハ)城と呼ばれる立派な城がある。



近頃勢力を増し、次に天下を獲ると言われている豊川(トヨガワ)家が治める城だ。



菊葉の城下町は栄え、人々は活気に満ち溢れ、豊かな生活を送っていた。




「なんだい?この辺りでは見かけない店だね」



初めて見る移動商店に、町の人たちは興味を示して足を止める。



「かぁちゃん見て!この筒を覗いたら、キラキラしたものが見えるよ!」


「あら、ほんとだねっ。初めて見るよ」


「それは万華鏡って言うんだよ」



見慣れぬ商品を手に取り、次々と買っていく。




しばらくすると、巧みな笛の音が聴こえてくる。



「ほう。笛の演奏か」


「見ろ!踊り子もいるぞっ」



通りを行き交う人々は、颯の奏でる笛の音に引き寄せられる。


そして、由羅の舞に魅了される。




午前中の人の波が過ぎた頃…。



「はぁ〜、疲れたっ…」



忍びの1人が倒れ込む。


忍者と言えど、疲れは溜まるもの。



「水くれ〜」


「…あっ、わりぃ。さっき全部飲んじまった…!」


「なんで飲み干すんだよ〜…」



水筒としている竹の筒をひっくり返しても、水は一滴たりとも滴り落ちてこない。



「そういえば、町を出てすぐのところに川があるらしい。さっき、町人のヤツらが話していた」


「…そりゃ本当かっ!?なら、さっそく汲みに行こう!」



体を起こした忍の手から、由羅は竹の筒を引き抜いた。



「私が汲んでくるっ!」


「でも、由羅さ……。あっ…、椿はずっと踊ってたんだから、休憩した方が…」


「いいのいいの!ちょっと気分転換もしに、ぶらぶらしたかったからっ」



笑顔で人のために動くのは、人柄のいい椿の設定。



由羅は竹の筒を片手に、人混みの中へ入っていった。



残された忍たちは、由羅の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。



「由羅様…。せめて俺たちの前でくらい、椿の表情はやめてくれたっていいのに。俺は、いつもみたいなクールな由羅様の方が好きだな〜」


「いや。むしろお前は、由羅様を見習えっ」


「そうだぞ。里から一歩外へ出れば、由羅様は人格を変える。里に帰るまでは、踊り子椿なんだよ」



由羅は依頼のときは、指令を全うする忠実且つ冷酷な忍。


そして町へ下りたとき、皆に親しまれる人当たりのよい踊り子椿を演じるのであった。



その完璧な人格の切り替えには、ほかの忍たちも脱帽していた。




町を外れて少し歩いたところに、川が見えた。


泳ぐ魚や底の石が見え、橋の上からでも見てとれる。



膝下ほどしか水位のない、比較的浅い川だった。



由羅は川辺に下りて、さっそく水を汲む。



太陽の光が水面に反射して、キラキラと輝いて見える。



その穏やかな風景に、由羅は川辺に転がった石の上に腰を下ろして眺めていた。



賑やかな町とは打って変わって、まるで時が止まったような静けさ。


聴こえるのは、川のせせらぎと小鳥のさえずりだけ。由羅は目を閉じて、自然の奏でる音に耳を傾けていた。




…カサッ



そのとき、物音が聞こえ、由羅は反射的に反応した。



常人では決して気づかないほどの、ほんのわずかな音。



由羅は、耳に意識を集中させる。



…カサッカサッ



どうやら足音のようで、徐々に由羅に近づいてくる。



今の由羅は、踊り子。


踊り子らしからぬ、機敏な動きはできない。



しかし、万が一のために身構える。



そこへ…。



「…キミっ」



突然声がしたので振り返ると、1人の青年が立っていた。



黒髪で、短い髪の毛を後ろで1つに束ねている。


由羅よりも頭一つ分高い身長だった。



「キミ、あそこの店のところで踊ってたよね…?」


「…は、はい」


「やっぱり、そうか!」



すると青年は、優しく微笑んだ。



「さっき見てたんだ!笛の演奏もすばらしかったけど、キミの舞もすごいと思って!」



青年は、くしゃっとした笑顔を見せて、由羅に歩み寄る。



由羅は、もしなにかあったときにすぐに反撃できるように、帯の中に仕込んでおいた小刀に手を添えていた。


しかし、この青年の無邪気な表情を見ると、そんな警戒心も解かれた。



危害を加えるような人物でないと判断したのだった。



「…あ、隣…座ってもいい?」


「どうぞ」



由羅がそう言うと、青年は由羅の隣に腰を下ろした。



「見かけない店に見かけない顔だけど、キミたちは一体どこから?」


「私たちは、各地を旅しながら商売をしているの」


「そうだったのか。だから、この地域では見かけない珍しい物もあったんだね」



由羅の嘘に、青年は真面目に答える。



「じゃあ今日が終われば、またどこかへ…?」


「うん、そうなるかな」


「…そうか。それなら次は、いつまたこの町にきてくれるんだい?」


「それは…わからない」



由羅がそう呟くと、青年はあからさまに肩を落とした。


それを不思議に思い、由羅が尋ねる。



「どうかしたの?」


「…いや。キミの舞があまりにも美しくて…。また見たいなと思ったから」



なに一つ偽りのない青年のストレートすぎる言葉に、由羅は反応に困っていた。



「いつか、この町にも戻ってくる」


「本当に?」


「うん。約束するっ」



由羅は、椿としての笑顔を見せた。


すると青年も、嬉しそうに笑みがこぼれる。



「…そうだ!申し遅れたけど、俺の名前は竜之助(リュウノスケ)。また今度会うときのために、キミの名前も聞かせてもらえないかな?」


「私は……」



由羅は、一瞬言葉に詰まる。



「…椿だ」



由羅の名前を聞き、竜之助は微笑んだ。



「椿かっ。覚えておくよ!」



嘘と偽りで塗り固められている、踊り子椿。


その椿に対し、なんの疑いもなく接するまっすぐな竜之助の姿が、由羅には眩しく見えた。




これが…、由羅と竜之助の出会いだった。

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