仲間

颯と共に請け負った暗殺の依頼から数日後…。



鞍馬一族の隠れ里に、新たな依頼が舞い込んできた。



高殿に集められた、5人の忍たち。


皆、片膝をつき、頭を下げる。



その中には、由羅と颯の姿もあった。




「今回の任務は、風魔城(フウマジョウ)にある宝を盗み出す依頼だ」



陽蔵が依頼内容を言い渡す。



「宝を盗むくらいなら楽勝っすけど、5人も必要ですか?」


「そうだな。颯の言う通り、お前たちにとっては容易いだろう。しかし、風魔城には宝物庫が2ヶ所存在する」


「…ということは、二手に分かれるのですね」



由羅の言葉に、陽蔵は頷く。



「3対3に分かれ、同時に宝物庫を攻めよ」


「3対3?陽蔵様、ここには5人しかいませんよ?」



高殿内を見回して、キョトンとした顔を見せる颯。


その颯の質問に、陽蔵は含み笑いをする。



「今回の依頼には、美影を加えようと思っている」



それを聞いて、顔を見合わせる由羅と颯。



「…父上!美影を…依頼にですか…!?」


「ああ、そうだ。なにか問題でもあるか?」


「問題もなにもっ…!!あの子はまだ12歳です…!依頼を受けるには、まだ早いかと…」


「それを言うなら、もう12だ。それに由羅、お前は10歳に満たない歳で依頼をこなしただろう?」


「私はっ…」


「由羅、なにも心配することはない。今夜の任務は、盗みだ。兵と刀を交えることもない」


「…しかし」


「そのために、お前と行動を共にさせる。お前がついていれば、美影に危険が及ぶこともない」



陽蔵には、由羅に対する確かな信頼があった。


依頼未経験の美影がいたとしても、由羅なら完璧に依頼をこなすであろうと。




「小柄ながらも、美影はもう立派な忍だ。一度は、依頼を経験させてやらんとな」



こうして、今夜の依頼に美影も加わることとなった。



他の忍たちが散ったあとに、高殿に残っていたのは由羅と颯だけ。


由羅は、突っ立ったまま動こうとしない。



さっきの由羅と陽蔵との会話が気になった颯が、由羅の顔を覗き込む。



「どうした、由羅?熱くなるなんて、お前らしくもねぇ」


「私は、…美影が心配なだけだ」


「だから、美影はお前と同じ組になったんだろ?」


「それは、わかってはいるが…」


「美影だって、同じ歳の中では一番優秀な忍だ。俺は、陽蔵様の判断は間違ってねぇと思うけどなー」



由羅は、颯の話に耳を傾けながらも、深刻な顔をして俯く。



「ただ、…あの子は優しすぎる」



風がそっと、由羅の髪を撫でる。



「虫さえも殺すことができないのだぞ?…そんな美影が、果たして敵兵と刀を交えることができるだろうか」


「まぁそれは…わかんねぇけど。あいつも忍なんだから、そんな場面に出くわしたときには感情は殺すだろうよ」


「そうだといいのだが…」



由羅は、西の山にゆっくりと沈んでいく夕日をぼんやりと眺めた。



あの夕日が沈んでしまえば、夜になってしまう。



できることなら、美影をまだ依頼には出させたくなかった。



しかし…。



“あたしも由羅姉みたいに、立派に依頼をこなせるようになりたいっ”



美影の気持ちも知っている。



初の依頼の知らせを聞いて、きっと今頃喜んでいるに違いない。



由羅は複雑な気持ちのまま、出発のときを迎えた。




「よろしくお願いします!」



美影は深く頭を下げる。



由羅の思った通り、美影は多少の緊張感は持ちながらも、その表情は期待で胸いっぱいというようだった。



「ついに美影も初の依頼か〜」


「ついこの間までは、こ〜んなに小さかったのになぁ」


「陽蔵様から抜擢されるなんて、美影も立派になったもんだ」


「エヘヘ…♪」



今日の依頼を共にする他の忍から褒められ、照れたように下をペロッと出す美影。



「由羅姉も、今日はよろしくお願いします!」


「…ああ」



そんな美影を、由羅は軽くあしらう。



「…あれ。なんか由羅姉、怒ってる?」



いつもとどこか違う由羅の態度を不思議に思った美影が、そっと颯に耳打ちをする。



「…いや、そんなことはねぇと思うんだけどな〜」



由羅に聞こえないくらいの大きさで話していたつもりだったが…。


瞬時に、由羅が美影と颯の方を振り返る。



「お前たち、まもなく出発だぞっ!気を引き締めろ!」


「「は…はいっ!」」



由羅に圧倒され、背筋を正す2人。



「それに、美影!」


「はい…!」


「遊びに行くのではないのだぞ?死ぬ覚悟で行けっ」



キッと美影を睨みつける由羅。



それは、美影が今までに見たことのないくらいの鋭い視線だった。




先頭を飛ぶように走る由羅。


その由羅の姿を、美影と颯は最後尾から眺めていた。



「死ぬ覚悟…って。陽蔵様は、今回の依頼は簡単なものだから、心配するなって話されていたけど…」


「ああ。確かに今回のは、それほど難しいものじゃないと思うよ」


「じゃあ…、どうして…」


「由羅が言いたいのは、たとえ簡単な依頼であっても気を抜くなってことだよ」



切なげに由羅を見つめる、颯。



…颯は知っていた。



依頼に対する由羅の意思を。




由羅と颯が、まだ美影の歳くらいだった頃。


ある、盗みの依頼に参加した。



城よりも守りの手薄な大名邸の宝物庫から、宝を盗み出すという依頼。



由羅と颯はこの依頼が初めてではなかったし、それまでに暗殺などの難度が高い依頼も数々こなしてきた。



宝を回収し、今回の依頼も無事に終わる。


…そう思ったとき。



「侵入者だーーー‼︎‼︎」



守りの兵に見つかってしまった。



逃げる最中、由羅は盗み出した数枚の小判を落としてしまった。



そのまま放っておけばよかったものの、真面目な由羅はそれを拾いに行こうと足を止めた。



由羅の速さなら、兵に捕まる前に小判を拾い、再び逃げることができた。



…しかし。


その由羅を、櫓から狙う者たちが…。



散らばった小判をすべて拾い終わったその瞬間、由羅の左頬をなにかがかすめた。



目を向けると、足元に矢が刺さっていた。


由羅の頬から、血が流れる。



そして、そのほんのわずかな時間、足を止めたのが命取りになった。


逃げ出す一歩が遅れた由羅は、弓矢の標的に…‼︎



夥しい数の矢が、雨のように由羅に降り注いだのだった。


その矢の数々に、由羅は初めて足がすくみ、思わず目を閉じた。




ゆっくりと、強くつむった目を開けると…由羅の目の前にはぼんやりと人の姿が浮かんだ。



「…大丈夫か?」



そこへ助けに入ったのが、春日(カスガ)という名の仲間の忍だった。



春日は、由羅を軽々と担ぎ上げると、疾風の如くその場を立ち去った。




しかし里までへの帰路で、由羅は高熱を浮かされた。


なんと、矢の先には毒が塗られていたのだ。



「由羅、…しっかりしろっ。里には、解毒薬もある。もう少しの辛抱だ」



由羅を励ます春日の声が絶えず聞こえていたのを、由羅は朦朧とする意識の中でも覚えていた。




翌日…。



由羅が目を覚ますと、そこにはぼんやりと陽蔵の顔が浮かんだ。



「由羅…!」



陽蔵は強く由羅を抱きしめる。



「…痛いよ、父上」



由羅は解毒薬の効果もあり、翌日には意識を取り戻したのだった。



「私…昨日……」


「頬をかすめた矢に、強力な毒が仕込まれていたみたいでな。ずっとうなされていたぞ」



里へ戻るまでの記憶はほとんどないが、まだ身体にだるさが残っていた。



「それもこれも、すべて春日のおかげだっ…」


「春日様…」



春日の名前を呟くと、一瞬にして昨日の依頼での出来事が思い出された。



「…そうだ。確か、私…春日様に助けられて…」



由羅は、そのときの記憶を辿る。



「…春日様は!?私…、お礼を言わなくちゃっ!」



掛け布団を取っ払い、起き上がろうとする由羅。


しかし、その由羅の肩に陽蔵が手を添えた。



「…父上?」



不思議に思い、陽蔵を見上げる由羅。


その陽蔵は、険しい顔をして下唇を噛み締め、無言のまま由羅を見つめていた。



「父上、どうされましたか?私、春日様にお礼を……」



陽蔵の方が小刻みに震えている。


それを見て、由羅はなにかを悟った。



「由羅!…待てっ!」



陽蔵が止めるのも聞かずに、由羅は外へ飛び出す。



そして、高殿へ急いだ。




「…春日様!」



息を切らして、高殿の扉を開ける。



「由羅様っ…」



なぜか高殿には多くの忍が集まっていて、一斉に由羅に目を向ける。



「由羅様、もう体調はよろしいので…!?」


「もう少し休まれていた方がっ…」



そんな言葉は耳には入らず、由羅はなにかに引き寄せられるように、人と人との間を縫うように進んだ。



そして、由羅は目にした…。



人の集まる中心に、…力なく横たわる春日の姿を。



「春日…様…?」



由羅は春日の枕元に、膝から崩れるように座り込む。



春日の額からは滝のように汗が流れ、苦しそうに荒い息遣いをしている。


周りは皆、視線を伏せている。



「春日様…?ねぇ…どうしちゃったの…!?」



由羅は近くにいた忍の肩を何度も揺する。



「実は…」



その忍は俯き、そしてポツリポツリと話し出した。




昨夜の依頼…。


由羅が弓矢の標的にされ、春日が助けに入ったとき…。



“…大丈夫か?”



そう由羅に声をかけた春日だったが、このときすでに背中には浴びるほどの矢が突き刺さっていた。



由羅目がけて放たれた数十本の矢。


それを察知した春日は、由羅の助けに入った。



しかし、あまりにも矢の数が多すぎるため、すべての矢を防ぐことは不可能。


由羅を担いで逃げたとしても、矢が達する速度の方が速い。



1秒にも満たない間でそう考えた春日は、自ら由羅の盾となり、由羅を守ることを選んだ。



春日の捨て身の行動で、由羅は致命傷を負わずに助け出された。



里まで帰り道。


傷口からは血が噴き出し、全身を毒で侵されながらも、由羅の解毒のことだけを考えて、春日は里を目指した。



そして、由羅を里まで連れ帰ったあと、春日は力尽きた。



由羅は解毒薬で治る量の毒であったため、命に関わることはなかった。



しかし春日は、夥しいほどの毒矢を受け、とても解毒薬で対処できるものではなかった。



途中、止血や毒に対する処置を行っていれば、結果が変わっていたかもしれない。


だが途中で足を止めていれば、由羅の処置が遅れ、由羅の命が危なかった。



春日は自分の命よりも、由羅の命を優先にした。



…それに、春日は悟っていた。


この傷では、もう自分は助からないことを。



そう、由羅は依頼を同行していた忍から聞かされた。



「春日様は熱に浮かされながらも、由羅様の心配をしておられました…」


「そんな…。春日様っ…」



由羅の目元に、涙が滲む。



「春日様、助かるんでしょ…⁉︎」



由羅の言葉に、人々は苦しそうに首を横に振る。



「…じゃあ、もっともっと解毒草を集めて、たくさんの解毒薬を飲ませればっ…」



だが、皆の顔は同じだった。



「…由羅様。我々も、できる限りの処置を致しました。…しかし、春日様は…もう……」



その絶望的な言葉に、由羅は一瞬にして目の前が真っ暗になった。



…そして走馬灯のように、春日との思い出が蘇る。



颯と共に、春日に度を超えたイタズラをし、怒られたこと。


手裏剣勝負で連敗させられ、泣かされたこと。


握り飯を作ったとき、春日が勝手に食べて、「うまい!」と言ってくれたこと。


陽蔵に叱られたとき、春日の家に泣きに行ったこと。



…そして。


由羅がピンチのとき、いつも春日が助けにきてくれること。




「春日様っ…」



思い出たちが、涙となって溢れ出す。


由羅は、春日の枕元で泣き崩れるしかなかった。



そのとき、由羅の髪をだれかが撫でた。


顔を上げると、それは…さっきまで意識朦朧としていた春日だった。



「春日様っ…!」



すぐさま春日の手を取る、由羅。



「…なに泣いてんだよ、由羅」



春日は、指先で由羅の涙を払う。



「由羅…。お前はそんな顔よりも、笑ってる顔の方が似合ってる」



力なく微笑む、春日。



「…よかった。由羅が無事で……」


「…春日様っ。どうして…私なんかを」



涙ぐむ由羅の頭を、春日は優しく撫でる。



「そんなの…仲間だからに決まってるだろ」



由羅の目から、涙が流れる。



いつ意識が飛んでしまってもおかしくない状況なのに、春日の瞳は力強く由羅を見つめていた。



「…泣くな。優秀な忍は、泣かねぇぞ?」


「優秀だなんて…。里一番の忍は、春日様です」


「バーカ。もう、俺じゃねぇよ…」


「…そんなことありません!」



由羅は、春日の手をギュッと握りしめる。


その手を、春日が握り返す。



「次に里一番の忍になるのは、由羅…お前だ」


「私なんて、まだっ…!」


「だから、由羅。あとのことは、お前に任せたぞ…」



春日の声が徐々に小さくなっていき、由羅の手から春日の手が滑り落ちた。



そうして春日は、眠るようにゆっくりと目を閉じた。



「春日様…?」



由羅は、動かなくなった春日の体を揺する。



しかし何度揺すっても、春日は目を覚まさない。



「起きてください、春日様っ…!」



由羅の悲痛な叫びが響く。


高殿にいる人々は、皆涙を流す。




鞍馬忍者、名は春日。

享年、22歳であった。



依頼は失敗しなくとも、この日鞍馬一族は、里一番の忍を失った。




由羅は1人、春日の死の責任を背負って生きてきた。



“泣くな。優秀な忍は、泣かねぇぞ?”



春日の教えから、その日以来、由羅は一切涙を流すことはなくなった。


それと同時に、笑顔を見せることもなくなった。




…そして、再び時間は現在に戻る。



「あたしはあまり春日様のことは覚えてないけど、そんなことがあったんですね…」


「ああ。由羅が今ここにいれるのは、春日様のお陰だからな」


「春日様、やっぱりすごい忍だったんですね」


「そりゃもうっ!…だからこそ、由羅はもう自分の目の前で仲間は失いたくないんだよ」



“遊びに行くのではないのだぞ?死ぬ覚悟で行けっ”



美影は、先ほどの由羅の言葉を思い出す。



「由羅は、ただお前のことが心配なんだな」


「うん…」



颯から話を聞かされて、美影にも由羅の言葉の意味が理解できた。




そして由羅たち一行は、風魔城に到着した。


幸いにも、月は雲で隠れていた。



手で合図を送り、まずは颯率いる3人が風魔城に潜入した。



颯班は、気づかれずに潜入できたようで、城には何一つ異変がない。



「美影、絶対に私から離れるな」


「はいっ」


「行くぞ」



そして、由羅班もあとに続く。




城内は敵の侵入を阻むため、迷路のように入り組んだ造りになっていた。


しかし、城内の地図が頭の中に入っている由羅にとっては問題なかった。



あっという間に、地下に隠れた宝物庫に辿り着く。


宝物庫の南京錠も、予め盗んでおいた鍵であっさりと開いてしまう。



石でできた分厚い扉を開けると、その先の空間が目に飛び込んできた。



広々とした宝物庫の中に、ポツンと置かれた金銀財宝。



「なんだ?デカイ宝物庫のわりには、思ったより宝が少ないな」


「おそらく、颯班の方にあるのだろう。あちらの方が敵の侵入が難しいからな」


「この量なら、3人も必要なかったね」



美影はそう言って、宝に歩み寄る。



ふと由羅は、なにか違和感を感じた。



石でできた厳重な扉があるにも関わらず、鍵は盗みやすい場所にあった。



それに、この宝物庫…。


広い空間に、まるで盗んでくださいと言わんばかりに置かれた宝。



…なにかが、おかしい。




「…待て、美影!宝に触るなっ!」


「えっ…?」



しかし、時すでに遅し。



チリンチリンチリンチリン…‼︎



夥しい数の鈴の音が、城内に鳴り響く。



「…な、なにこれっ!?」



予想外の展開に、戸惑う美影。



「由羅様っ、やはり…」


「ああ。…罠だったか」



由羅は、もう1人の忍と顔を見合わせる。



この地下に置かれていた宝は、トラップ。


宝に触れると、細く張った糸が切れて、鈴が鳴り響く仕掛けとなっていた。



「侵入者だーーー‼︎‼︎」



すぐに、城内の兵たちが動き出す。



「美影、逃げるぞっ!」


「…え、でも宝がっ…」


「そんなものは置いてゆけっ。こんな地下で取り囲まれれば、逃げ場などない!」



美影は、後ろ髪を引かれる思いで宝を見つめながらも、由羅のあとに続いた。




「…侵入者だっ‼︎捕まえろー!」



地下の宝物庫を脱出してすぐ、敵兵たちとぶつかった。



「…ここは、強行突破しかないな」



由羅は、両手にクナイを構える。



刀を振りかざして突進する兵を、クナイで受け流すように華麗に身を躱す。



その由羅がつくった道を、後方から続く美影たちが走る。



「…どういうことだ!?いとも簡単にすり抜けて行きやがるっ!」


「まるで、遊ばれてるみたいだ…!」



大勢で攻めているにも関わらず、捕らえることができずに困惑する兵たち。



「…間違いねぇ。ヤツは、黒蝶だっ‼︎」


「あれが…黒蝶!?」



戸惑う兵たちを差し置いて、由羅たちは侵入口の天井裏を目指す。



迷路仕掛けの風魔城は、由羅たちにとっても好都合だった。


角を次々と曲がり、徐々に兵を撒いていく。




そしてようやく、侵入口に辿り着いた。


天井には、ぽっかりと穴が空いている。



兵はすべて撒き、緊張の糸が解けようとした…そのとき。



「…由羅様。美影がおりません…!」


「なんだとっ…!?」



なんと、さっきまで最後尾にいたはずの美影の姿が、敵兵と共に消えていた。



「まさか…、敵にっ」



もう1人の忍の顔が強張る。



由羅はクナイをしまうと、代わりに懐ろから刀を抜いた。



「私が美影を探してくる」



もう一度、羽織っていたマントを頭から深く被り直す。



「でしたら、私もいっしょにっ」


「いや、私1人で十分だ。お前は、外に出て颯班と合流し、このことを伝えてくれ」


「…しかし、由羅様っ」


「万が一…、私たちが戻ってこなかった場合は、速やかに里へ帰還し、父上に知らせてほしい」



微動だにしない由羅の表情。


その言葉に、忍はゆっくりと頷いた。



「ご武運をっ!」



そして由羅は、あっという間にその場から消えた。




その頃、美影は…。



「待ちやがれぇ!」



無事ではあったものの、敵兵に追われていた。



「…きゃっ」



逃げ回っていた美影は、足を止める。



…なんと角を曲がったところは、行き止まりだった。



前には壁。


後ろには敵兵。



逃げ場などなかった。



後ろから、地鳴りの如く足音が響く。



…美影は意を決して、鞘から刀を抜く。


その刀を震える手で握り締めながら、前に構えた。



ここから逃げ出すために、兵と対峙する方法を選んだ。



しかし、初めての実戦。


手の震えが止まらない。



「ようやく、やり合う気になったか」



3人の兵が、ジリッと美影に歩み寄る。



「きゃっ…‼︎」



だが、一瞬にして間合いを詰められ、握っていた刀を振り払われてしまった。



腰が抜けて、その場にへたり込む美影。



「へっ!黒蝶も大したことねぇな!」



3人の兵は、美影を取り囲む。



恐怖で、ガクガクと震える美影の体。


そのせいで、頭から被っていたマントがハラリと落ちた。



「…なんだ?黒蝶って、女だったのか!?」


「しかも、こんなガキとはっ…」



美影を見下ろす兵。



その兵たちと目が合ってしまい、さらに美影は体が硬直して、身動きさえ取れなかった。



「確か、黒蝶には賞金が懸けられてたよな?」


「ああ!こいつを仕留めれば、俺たちゃ大金持ちだ!」


「いや、まずは生け捕りだっ。仲間の居場所も吐かせれば、一網打尽だ」


「それ、いいな!」



兵たちは、不敵な笑みを浮かべる。



里の者以外の人間を見るのが初めての美影にとっては、自分を甚振ろうとする者たちは恐怖そのものでしかなかった。



「それじゃあ逃げれねぇように、まずは足の一本でも切り落としてやるかっ」


「そうだな」



美影は、涙目で兵たちを見上げる。


恐怖で動くことも、声も出すこともできなかった。



ただただ心の中で由羅の名前を何度も叫び、もうダメかと諦めた美影は目をギュッと強くつむった。



そして、1人の兵が刀を振り上げた。



…そのときっ。



ボトッ…



鈍い音と共に、刀が床に落ちた。



…いや。


よく見ると、それは握られた両腕がついている刀だった。



美影が恐る恐る目を開けると、目の前で刀を振りかざした兵の…肘から下がなくなっていた。



「…あれ?俺の…腕…?」



兵は青ざめた顔をして、あっという間に首から血を吹いて倒れた。



「うわっ…‼︎なんだ、いきなり…!?」



残る2人の兵は、思わず後ずさりをする。



「…一体なに…ガっ」



もう1人の兵は、一瞬にして頭が吹っ飛んだ。



「…うわあぁぁ!!…なんなんだよ!?」



最後に残された兵は、恐怖のあまり床に尻もちをつく。



無理もない。


瞬きのつかぬ間に、2人も殺されたのだから。



…そして、美影の前にだれかが降り立った。



そこに現れたのは、…血が滴り落ちる刀を握った由羅だった。



「…お、お前はっ…」



兵はへたり込みながら、恐怖で震える手で刀を構える。



「…く、くそぉーーーー‼︎‼︎」



由羅はその兵をヒラリと躱し、鞘で相手の鳩尾を狙って突き飛ばす。



「ゲホッ…ゲホッ…!」



むせ返る兵。



一瞬にして、立場は逆転。


壁に叩きつけられた兵は小刻みに震えながら、由羅を見上げる。



兵の額から、脂汗が滴り落ちる。



「ま…まさか、お前が…黒蝶かっ…!?」


「自分でそう名乗った覚えはない」



由羅はゆっくりと歩み寄る。



「ひっ…ひぃぃぃ…!!」



なんとか力を振り絞って立ち上がった兵は、由羅に斬りかかる。



…が、容易く躱され、勢いのまま床に倒れ込む。



兵は由羅に恐れをなして、完全に戦意を失っていた。


床を這うように、へたり込みながら後ろに下がる。



「た…助けてくれ…!お前たちのことは見逃すからっ…!」


「もうなにもしゃべるな。最期くらい、静かに逝け」



由羅は、血のついた刀を振り払う。



暗殺するターゲット以外、無駄な殺生はしない。


これは、鞍馬忍者の掟のようなものだった。



しかし、例外が発生する。



それは、…正体を見られたとき。



マントが剥がれた美影は、顔を見られた。



敵に捕まったり、正体がバレると、そこから鞍馬一族の情報が漏れる可能性がある。


そうなると、里の者たちに危険が及ぶ。



鞍馬一族は、最もそれを恐れていた。


よって、美影の顔を見た時点で、兵たちの死は確定していた。



そのため由羅は、迷うことなく2人の兵を殺した。


そして、この兵も…。




残された兵は後ずさりを続け、行き止まりの壁にペタリと背中がくっついた。


恐怖のあまり、立って逃げる気力も残されていなかった。



「た…頼むからっ……」


「もう遅い」



この場からは逃げ切れないと悟った兵は、突然由羅に向かって土下座をした。



「一生の願いだっ…‼︎見逃してくれ…!」



兵は、命乞いを始めた。


目にいっぱいの涙を溜めながら。



「…ついこの間、ガキが生まれたばかりなんだっ!それに、俺の帰りを待つ女房もいる…!だから…、俺はまだっ…」



床に額を擦りつけ、美影を甚振ろうとしたさっきまでの兵とはまるで別人のようだった。



由羅は一度足を止め、兵を見下ろす。



「…そうか。それなら、仕方ないな」



ポツリと呟く由羅。


その言葉に、兵は目を見開ける。



「見逃してくれるのか…?…よかった。アンタが物分かりがよくて…」



胸を撫で下ろし、安堵の表情を見せる兵。


その兵に、由羅は顔色一つ変えることなく刀を振りかざす。



「せめてもの情けだ。苦しまずに逝かせてやる」



ブシュッ…!!




血が滴り落ちる壁、床にできた血溜まり。


そこに転がる、3つの死体。



目の前に広がる光景に、美影はただ全身を震わせていた。



「由羅姉…」


「怪我はないか?」



由羅の問いに、美影は黙って頷いた。


そして、由羅に抱きつく。



美影の震える体を包み込むように、由羅はそっと美影の背中を摩る。



美影が震える理由…。


由羅はわかっていた。



初めての依頼で、初めて対峙した敵兵。


あわや、美影が殺されるところだった。



…その恐怖からくる震え。



そして…。



まるで人形のように朽ち果てる人間の死を目の当たりにした震え…だった。



「すまなかった。こういう手段でしか、お前を守ることができずに…」



できれば、美影の目の前で人は殺したくなかった。



しかし、美影に刀の切っ先が向けられている中、考えている暇などなかった。



その結果、嫌というほどに…美影の目に焼き付けてしまった。


このときの光景は、一生忘れることはできないだろう。




その後、由羅と美影は無事に颯班と合流することができた。


颯班が盗んだ宝のおかげで、今回の依頼も成功した。



…だが、美影の心に深い傷を負わせてしまったのは事実だった。

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