黒き蝶
生誕祭の翌日。
昨夜の祭り事が嘘かのように、里はいつもの静けさを取り戻していた。
「エイ、エイ、ヤー!」
里の稽古場では、子供たちが熱心に手裏剣の練習をしていた。
「由羅様だ!」
そこへ通りかかった由羅を見つけると、子供たちは一斉に駆け寄った。
「由羅様、おはようございます!」
「おはよう。朝から手裏剣の練習か?」
「はい!…でも、なかなかうまく的に刺さらなくて…」
「わたしもー…」
肩を落とす子供たち。
「そーだ!由羅様、お手本見せてください!」
「…私がか?」
「はい!由羅様の手裏剣姿、見てみたいです!」
「見たい見たいー!」
由羅は子供たちに言われるがまま、渡された手裏剣を手にする。
目立つことは苦手であっても、頼まれることは嫌いじゃない。
それに、鞍馬の里の将来を担う子供たちの頼みとあっては、先輩としてここは一肌脱ぐべきか。
「よかろう。ちゃんと見ておくんだぞ?」
「「はい!」」
目を輝かせて、由羅を見つめる子供たち。
由羅は人型をした的に、一直線になるように立つ。
そして、由羅が深呼吸をした。
…と同時に、目に見えない速さで、的に3つの手裏剣が突き刺さった。
投げられた3つの手裏剣は、すべて人型の急所を捕らえていた。
「す…すげー…」
「速くて、まったく見えなかった…」
息を呑み、呆気に取られる子供たち。
「これでよいか?」
「ダメだよ!俺らの目じゃ、ついていけなかったもん!」
「もっとゆっくりやってよー!」
「ゆっくり…と言われてもな…」
困り果てる由羅。
由羅にとっては、あれでも遅い方であった。
「それなら、颯に聞いた方がいい。あいつの方が、私よりも手裏剣術は上だ」
「だって颯様、いつもふざけるんだもんっ」
「かっこいいところ、全然見せてくれないしー」
「まぁ…あいつはそういうヤツだからな」
由羅も、颯がふざけている場面が容易に想像がついた。
「こーらっ。あまり由羅様を困らせるんじゃないっ」
そこへ、稽古場の教官が現れた。
「ほら。さっきの由羅様をお手本にして、練習再開だ」
「「…はーいっ」」
子供たちは名残惜しそうに由羅を見つめながら、手裏剣を片手に、渋々また的の方へ戻っていった。
「教官、ご無沙汰しております」
「ああ。今夜も依頼かい?」
「はい。颯と共に」
「そうか、颯くんもいっしょか」
教官は優しく微笑みながら、子供たちの練習風景を眺める。
由羅の手本のおかげか、先程よりも的の急所を捕らえているように見える。
「キミたちが、ああして手裏剣の練習をしていたのが、まるでつい昨日のように感じるよ」
「この稽古場と教官には、大変お世話になりました」
「いやいや、私はなにもしていないよ。由羅くんと颯くんの、生まれながらに持っている才能のおかげだよ」
そう。
由羅と颯の身体能力は、優秀な鞍馬忍者の中でも、頭一つ抜きん出るほど。
なにをさせても優れており、すぐに順応する。
2人は、心技体共にバランスの取れた忍であった。
「あの子たちも、由羅くんをとても尊敬しているんだよ」
「…私なんて、まだまだです。颯の方が…」
「颯くんもすばらしい忍だね。でも颯くん、すぐふざけるから、お手本にならないんだよ」
「ふふふ。子供たちも、さっき同じことを言っていました」
「由羅くんは真面目だし、面倒見もいい。だから、子供たちもキミを慕ってる」
「ありがとうございます」
「今日の依頼も期待してるよ」
「はい」
その夜。
今日は満月にも関わらず、分厚い雲が空を覆い、月明かりを遮っていた。
「では、頼んだぞ。由羅、颯」
「はい、父上」
「任せてください!」
由羅と颯はマントを頭から被り、里をあとにした。
2人は、カモシカのように岩場を駆け抜け、渓谷を飛び降りていく。
常人であれば数日はかかる距離を、鞍馬忍者の由羅と颯はわずか数時間で到着した。
辿り着いた場所は、とある城下町。
深夜のため、町は静まり返っていた。
由羅と颯は闇に紛れて、城に近づく。
軽々と塀を飛び越え中を見渡すと、暗闇の中に提灯の明かりが見えた。
「へ〜。こんな小さな城でも、一応見張りっているもんなんだな」
颯は興味深そうに覗き込む。
「見張りがいようがいまいが、私たちには関係のないことだ」
由羅はゆっくりと立ち上がる。
そして、顔を隠していたマントをさらに深く被る。
「行くぞ」
「おうっ」
2人は風を切るように駆け抜ける。
音もなく見張りの死角へ回り、あっという間に城に侵入した。
由羅と颯に任された、今日の依頼…それは。
「あーあー。完全に爆睡してるよ」
天井裏に忍び込み、空いた隙間から部屋の中を見渡す颯。
「今から、俺たちに殺されるとも知らないで」
そう。
今回の依頼は、この城の殿様の暗殺。
「もう少し見張りが多くてもよかったのになぁ、由羅。…って、あれ?由羅?」
颯がキョロキョロと由羅を探していると、ふと小さな呻き声が颯の耳に入った。
「…うっ。き…貴様っ…!」
目を向けると、そこには殿様の首に刀を突き刺している由羅がいた。
由羅が刀を抜くと、首からは夥しい量の血液が吹き出た。
そして、殿様は白目を剥き出しにして、そのまま息絶えた。
「…ちょ、由羅っ。殺すの早すぎ」
「悪い。お前が殺りたかったか?」
「そういう意味じゃねーけど」
しかし、暗殺に成功したにも関わらず、なぜか由羅は不服そうな表情を浮かべていた。
「どうかしたか?」
「…失敗した」
「失敗?ちゃんと死んでるぞ?」
颯は殿様の死体の枕元にしゃがみ込み、動かなくなった体を指でツンツンと揺さぶる。
「…いや。本当は、声も出せないくらいの瞬殺で仕留めようとしたんだが」
「そっか。最期にこいつ、呻き声を上げてたもんな」
「ああ。…くるぞ」
その由羅の言葉通りに、城の中が慌ただしくなった。
所々で提灯の明かりが走り、バタバタと足音も聞こえる。
「殿!いかがなされましたか!?」
襖が勢いよく開けられ、刀を握った側近たちが、由羅たちのいる部屋に入ってきた。
そして、由羅と颯の姿よりも先に、赤く染まった布団の中でぐったりと横たわる殿様に目が向けられる。
「殿ぉーーーー‼︎‼︎」
悲鳴に近いような叫び声を上げ、首から大量の血を流して倒れている殿様を凝視する。
だれが見ても、すでに殿様は息絶えているのがわかる。
「…貴様ら、よくも殿をっ‼︎‼︎」
わらわらと、兵たちが刀を構えて部屋を取り囲む。
「客人のお出ましだっ。それじゃあ帰るか」
「ああ」
颯は懐ろから、小さな丸い玉を2つ取り出す。
それを床へ投げつけると、その玉が破裂し、あっという間に部屋は煙に満たされた。
「…クソッ。ゲホッゲホ。煙玉かっ…!」
その隙に、由羅と颯は城の外へ飛び出した。
だが、城の外にもすでに兵が集まっていた。
逃げるには、少々敵が多い。
ならば、減らせばいい。
由羅は空中で刀を構えると、静かに地上に降り立った。
「侵入者がいたぞー‼︎」
声を頼りに、次から次へと兵が集まってきた。
その刀の切っ先は、もちろん由羅と颯に向けられる。
「何者だか知らねぇが、捕らえろ‼︎‼︎」
そして、兵たちが一斉に2人に切り掛かる。
四方八方敵だらけの中、由羅は振りかざされた刀をヒラリと避ける。
複数で切り掛かっても、ことごとく躱されてしまう。
「…何故だっ!傷一つ与えられねぇなんて…!」
動揺する兵たち。
宙を、まるで舞うように跳ぶ由羅の姿を見て、1人の兵が呟いた。
「黒蝶(コクチョウ)だっ…」
攻撃を躱した由羅は、再び刀を構えて兵たちの方を向き直る。
「黒蝶…!?まさかっ…」
「…間違いねぇ!あの軽々とした身のこなし、…本物の黒蝶だ‼︎」
一歩、また一歩と、後ずさりをする兵たち。
中には、怖気づいて尻餅を付くものさえいた。
その群がる兵たちの中へ、由羅は飛び込んでいった。
「「…うわぁぁあ‼︎」」
兵たちは叫び声を上げながら、次々と地面に倒れていく。
由羅の速さに手も足も出すことができず、虚しく斬りつけられる兵たち。
それは…ほんの一瞬の出来事だった。
その場に佇むのは、刀を手に持つ由羅の姿だけ。
100人近くはいたであろう兵が、わずか数秒で倒されてしまった。
しかし、そのすべてが峰打ち。
鞍馬忍者は、暗殺する人物以外、無駄な殺生はしない。
「全員倒しちゃうなんて、どうしたんだよ由羅?」
塀の上で、様子を眺めていた颯が下りてきた。
「べつに。ただ、最近腕が落ちてきた気がするからだ」
「これだけの人数を一瞬でやっちゃうのに、腕が落ちてるだって?ほんとに由羅は、真面目だなーっ」
そのとき、2人は背後に気配を感じて、瞬時に振り返る。
見ると、1人の兵が刀を杖代わりにしながら、よろよろと立ち上がろうとしていた。
「…おのれ、黒蝶めっ…」
腹の底から絞るように、ようやく出た声。
その兵にゆっくりと歩み寄り、颯が鞘から刀を抜いた。
「俺がもう一度眠らせてやろうか?」
「よせ。所詮、なにもできやしない」
由羅の言う通り、兵は刀を構えたと思ったら、そのまま膝から崩れ落ちて意識を失った。
その姿を見て、颯は刀を鞘に納めた。
そして2人は、静かにその場を去ったのだった。
“黒蝶”…。
兵たちが口々に言うその言葉は、いつしか付けられた…由羅の異名であった。
闇夜に紛れて、ヒラリヒラリと華麗に攻撃を躱す姿は、まるで黒き蝶のようだ。
由羅の姿が目撃されるたび、人々はそう話した。
そしていつしか、由羅は…“黒き蝶”。
つまり、“黒蝶”と呼ばれるようになり、人々から恐れられる存在となった。
依頼のときは、皆マントを頭から被り、顔がバレることはない。
姿がわからぬ黒蝶に恐れをなして、賞金さえも懸けられるようになった。
それでも由羅は、毎回巧みに依頼をこなすのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。