第5幕『クリーピー 偽りの隣人(2016)』

 黒沢清監督作品。香川照之の怪物っぷりが白眉。セクハラ問題があってからいっそう彼の不気味さが増してみえる。


 香川照之演じる西野は、社交辞令や言外のコミュニケーションを解さない。社会の外、もしくはその境界線を浮動する存在。『CURE』における間宮的存在が西野、そして間宮の役割を受け継ぐのが刑事の高部。彼の立ち位置が、本作においては西島秀俊演じる元刑事の高倉になる。


 両作とも主人公夫婦のやり取りがどこか嘘っぽく、夫婦の精神的な繋がりは希薄にみえる。『クリーピー』の西野は、その空洞に入り込み、彼らの精神を乗っ取って、骨の髄まで養分を吸い尽くす。西野はそうやって、さまざまな家族を転々として、彼らに取り入っては破壊して、寄生するように生きている。


『CURE』では、間宮の誘導によって高部が完全に境界線を踏み越えてしまい、間宮的役割を引き継ぐことになる。社会の内・外の境界線にただよって、人びとを社会の外側へと誘導する存在。だが、『クリーピー』の主人公・高倉はすんでのところで踏みとどまり、社会の内へ戻る。『CURE』と本作が決定的に異なるのはそこ。高倉はいちおう社会の内で生きてはいるが、彼の犯罪に対する知的好奇心はわずかに社会の外へとはみ出している。高倉には西野と別種の非人間性がある。だからこそ西野に取り込まれずに、社会へ戻ってくることができた?


 光や影、風の演出は相変わらずの黒沢映画。人物の顔にスウーッと影が落ちたり、どこからか風が吹いてきてカーテンが揺れたり。西野の家を訪れるさい、必ずといっていいほどビニールカーテンが不自然に風に揺れているのも不気味で良い。


 ラスト、落ち葉が風に吹かれて西野のからだに溜まってゆく。無理やりな解釈をしてみるなら、西野のような存在は、社会に降り積もった澱のなかから自然発生的に生まれる怪物であり、おそらく今後も出てくるんだろう、と予感させられなくもない。さすがに無理あるか。なんにせよすげえモンをみた。僕にとっての押井守と同様、僕はこの監督に呪われてるようなものなので、黒沢清の映画はなんでも好きになっちゃう。

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