第10幕『ジョン・F・ドノヴァンの死と生(2018)』
グザヴィエ・ドラン監督作品。ドラン作品のほとんどすべてに、母親との確執が烙印のように刻み込まれている。たとえば『マイ・マザー』は母息子関係に焦点をあてた作品だったが、正直これは僕にはキツかった。僕も母子家庭に育ったので、身に覚えのある描写が多い。二人のやりとりがどうにも滑稽にみえ、正視しがたい部分があった。チャップリンの有名な言葉ではないが、クローズアップで撮ると悲劇、ロングショットで撮ると喜劇、というこの定式が、『マイ・マザー』ではちぐはぐになっている印象だった。僕はこれは喜劇のつもりでみていたのに、どうもこの映画は悲劇として描いているようで、どういう顔でみればいいかよく分からなかった。
あらためて『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』に戻ると、これは素晴らしかった。タイトルどおり、物語はジョン・F・ドノヴァンという映画俳優の死から始まる。が、この作品の底流には希望が満ちている。例に違わず、本作でもこじれた母息子関係がある。しかし、ドラン監督は本作で、己のなかの母親と和解しようとしたのではないか。ジョンの母親も、ジョンと文通を交わす少年ルパートの母親も、なにがあっても息子の味方であろうとする。ふたりの息子は母親と激しくぶつかるが、諦めず味方でいてくれる母親の存在に気づくことができる。
タイトルが「生と死」ではなく、「死と生」となっていることは重要だろう。これは死によって始まり、さいごには生へと指向する物語だからだ。煌びやかな世界に生きながら、自らを偽らざるを得ないジョンは居場所がなく孤独だ。ルパートだけにむけて語られる手紙には偽らざる真実がある。僕ら観客の一人ひとりにむかって、秘密の打ち明け話をされているような映画だった。
生活のシネマ・エッセイ 山原倫 @logos
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