第9幕『アヴァロン(2000)』

 押井守監督作品。フルダイブ型の仮想戦闘ゲーム”アヴァロン”を舞台としたSF映画。画面は終始ぼんやりとして靄がかかったようで、すべてが灰色にみえるほど色素が薄い。ゲームのなかも現実もこの調子なので、ゲームの世界と現実の世界との判別がつかない。どちらも夢のなかのように曖昧模糊としている。


 現実社会はまるでディストピアのように退廃的で色味がない。主人公のアッシュを含め、人びとは仮想的な死を求めてジャンキーのようにゲームに熱中する。近代社会は徹底的に死を追いやってしまった。ゆえに、僕たちが日常生活のなかで死を意識することは稀だ。だからこそ、死に飢えた人びとは”アヴァロン”を求める。死の手触りが失われた世界のなかで生きる実感を得られず、架空の戦争に明け暮れる、という構図は、後年の『スカイ・クロラ』にも引き継がれている。


 ところで、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の影響を公言しているウォシャウスキー姉妹の『マトリックス』の公開は、『アヴァロン』の一年前にあたる。『マトリックス』においては、仮想世界”マトリックス”から醒め、辛い現実世界を生きよ、というテーゼが打ち出される。しかし、今日の社会を生きる僕らが、このテーゼを素直に是とできるだろうか。現実として僕たちのネット上での振る舞いの多くは、見たいものだけを見るようになっている。もうすでに、現実社会に生きる価値などないのだから、仮想世界で好きなように生きようじゃないか、という態度に移行しつつある。


 アッシュのかつての仲間マーフィーは、”アヴァロン”より高次のフィールド、”クラス-リアル”に生きている。しかし、彼の現実の肉体は寝たきりで廃人同然になっていた。アッシュは、マーフィーのいる”クラス-リアル”にやってくる。その途端、画面はくっきりとした鮮やかな映像になる。”アヴァロン”のなかより、現実世界より、ずっと現実感がある。アッシュに対し、マーフィーは「世界とは思い込みにすぎない」と諭す。シミュレーション仮説を論理的に否定できない以上、僕たちは差しあたっての思い込みによって今いる現実を決め、生きている。「事象に惑わされるな。ここがお前の現実フィールドだ」『アヴァロン』は『マトリックス』と違って、あれかこれかと比較し、こちらの現実を生きるべきだ、などとは言わない。あくまで独我論的な世界観が前提にある。僕にとっては『マトリックス』よりも『アヴァロン』の方にこそ、現実性をもって迫ってくるように感じられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る