第24話 どん底実習助手の黎明期
岐阜県を仕方なく去って悲しみや寂しさの渦中で胸が張り裂けそうになっている私に、更なる絶望がやってきた。
名古屋にある工業高校の建設科の常勤実習助手として勤めるのに、私はあまりにも無力だった。まず、建設科がどんな学科なのか全く分からなかったし、建築と土木の違いも分からなかったからだ。建築製図を見るにしても、描いてあることはちんぷんかんぷん、何が間違っているのか分からなかった。また、測量では機器の扱い方も三脚の立て方も分からず、土木CADも扱ったことが無かったため生徒よりできなかった。
また、部活は建設技術部という建設科に属する部活で、私には逃げ場が全く無かった。
自分の無力さと仕事の分からなさと機械科を出た寂しさで、私は土日が来るたびに大学の先輩の家に行って泣きまくった。
しかし、就職したからには働かなくてはならない。昨年度の経験を何とか生かせないものかと試行錯誤し、実習レポートをExcelで作ったデータと照らし合わせながら採点したり、他の先生からCADのマニュアルを借りてCADの練習をしたり製図室で土木製図を練習したりと少しずつ努力を重ねた。しかし、岐阜県を去った悲しみや寂しさはなかなか消えず、新設校だと騒ぐわりに中身は相変わらずの愛知県の腐った古いやり方にウンザリした私は、その年の教員採用試験を岐阜県に定めた。また、実習助手として働いている現在の経験から、助手の採用試験にも手を伸ばした。すると、助手の採用試験は合格をいただくことができた。これが今の私のポジションとなっている。
助手の合格が決まってからは、私の悩みはいつ退職しようという悩みにシフトした。
というのも、私はこの時上司からのパワハラと職員からのいじめ、生徒からのいじめに遭っていたからである。
どんなに畑違いで頑張っていても、建設系の基礎知識が無い私は他の専門性のある職員たちからして見れば役立たずだったし、生徒たちからは何もできないクズ教員と思われていた。特にいじめが酷かったのが建設技術部の生徒たちで、作業に苦戦する私のことを「何もできないじゃん」と嘲笑ったり、私が何か間違っているとクスクス笑って馬鹿にしてきたのだ。
上司も、学科に人柱を立てないと落ち着かないタイプで、私は人柱…というか格好の生贄だった。機嫌が悪いとすぐ私のできないことや言動をガミガミ怒り、私の抑うつが悪化して学校に居られなくなり、(管理職への年休申請はしたが)学校から逃げて一時期休職した時も、「大丈夫か?」の一言もなくただ社会人としてのあり方をネチネチ怒ってきたとんでもない人だった。しかし私は、確かに彼には腹が立ったが、尊敬している部分もあった。というのは、この学校は進学を目指す新しいタイプの工業高校でもあった。しかし、実習や専門教科の授業などで普通科の授業時間より明らかに受験に必要な学習量は確保できず、そのことから工業科と普通科の間にはどうしようもできない軋轢が日に日に強くなっていた。しかし上司はその軋轢に喰ってかかり、このままでは詐欺になってしまうと何度も管理職や普通科に訴えつづけた。その部分だけは私も評価していた。しかし、軋轢が酷くなればなるほど上司も機嫌が悪くなり、私への当たりも酷くなってきた。そこで私は、3月1日に生徒たちと一緒に卒業しようと決意し、早期退職を決意した。すると、その上司から誰もいない部屋で恫喝されたが、何とか退職することはできた。
しかし、そんな建設科で全く学びがなかったかと言えばそんなことは無かった。
専門知識が無かったから、素の人間として生徒たちと接することができた。自称ヤンキーにダメなことをダメだと説くことの難しさを教えてもらったり、私同様、上司からの理不尽に悩む生徒に寄り添ったり、課題研究ではコンペティションのアイデアを一緒に考えたりと、教員という人間とは学校でどう生きるべきか、を教えられた。新設校だから、という言い訳で誰かが困っていても寄り添わないそんな最低な地獄の学校でも、実は私はどん底を味わっていたのだ。
そして迎えた3月1日、校長室で嫌味という名の祝辞と退職の辞令という卒業証書を受け取り、私は愛知県を卒業した。二度と愛知の門を潜るもんかと誓いを立てて。
どん底実習助手 結井 凜香 @yuirin0623
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