貧しさが人から“なにか”を奪いとる。終着駅のない魂の彷徨
- ★★★ Excellent!!!
時代は第二次世界大戦の終戦後、舞台は北朝鮮という、歴史の教科書を紐解けば頭をかかえてうずくまりたくなるような、そしてウェブ小説の舞台としてはコアな時代背景をもつ作品です。作中で描かれる農村の風景や暮らしは、現代日本で暮らしている人々にとってはほとんどファンタジーの世界観ではないでしょうか。知識としては知っていることも、小説という形で書き起こされると、生活や暮らしというリアリズムとなって押しよせてくるようです。
また、本作の主人公ふたり、ミンギルとテウォンには親がなく、奴婢(屋敷に仕える下男)という立場にあります。彼らは粗末な使用人小屋に住み、箱床(木枠の箱の中に藁や寝具を敷いたもの)でふたり身をよせあって暮らしている。財産をもたず、教育もうけず、圧倒的に『持たざる者』であるふたり……とくにミンギルは、主家の人々や使用人たちなど、少しでも恵まれた人々を憎んでいます。
複雑な時代背景を考えれば、村の人々にもそれぞれに思いや苦しみがあるでしょうが、ミンギルはそのことに思いいたりません。彼は教育を受けたことがなく、テウォンのことしか信じていないからです。
時代の変化も、最も苦しい立場にある人々の追い風にはなってくれません。
突然村にやってきた軍隊がミンギルとテウォンの働いている屋敷を徴発し、ふたりは転がり落ちるように、あるいはなし崩し的に、実際的には選択肢なく軍隊に入ることになります。
物語の端々で、貧しさが、彼らから様々なものを奪っていきます。
それは住む場所、仕事、毎日の食事だけでなく、言葉ではあらわせないものをも容赦なく奪っていきます。
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「日本は貧しい国になった」ということは最近とみに耳に入るようになりました。体験格差、教育格差、貧しさが人にどのような影響を与えるのかということがたくさんの人の目にさらされるようになりました。
私自身もけして豊かな人生は送っていませんが、職業柄、貧しいということがどういうことなのかを考えることがよくあります。
もっともつらく苦しいとき、人はえてして「自分には何もない」と考えてしまいがちです。しかし、時として貧しさは「何もない」からも何かを奪い取っていくことができるのです。
その何か。
ミンギルとテウォンがかつて持っていたであろう『何か』について考えるとき、ふたりが暮らした村で、ふたりがもいでいたグミの実のあざやかな色あいや果汁の甘酸っぱさ、そしてテウォンの笑顔が浮かびあがるようです。
私にとってはそのような小説でした。