5-7
「夕ご飯にしますよー」
シーツをかけた机のダイニングテーブルに皿を並べながらみんなに呼びかける。
デミグラスソースと卵のコク深い香りがぷんと辺りを包んだ。
「ごはん……?」
借りてきた猫の如くソファにちょこんと体育座りの胡桃さんが、香りに反応するように鼻を持ち上げた。
あれだけ彼女にべったりしていたメイさんは社長に叱られて懲りたのか、少し離れて座っている。
「好みとかわからなかったので、今夜はみんな大好きオムライス! ……あれ、反応なし」
僕は誇らしげに胸を張るが賛同者はおらず肩を落とす。
「リコは好きと言った記憶はないので」
「えぇ、オムライス嫌いな人なんているんですか。こないだだってひろしくんと美味しく食べたじゃないですか──ぁ」
言いかけて僕は不意に思い出したことがあって、夕飯を運んでいる最中だったが自室へ小走りで戻った。
そして持ってきた物を胡桃さんへ手渡す。
「なにこれ? シュイッチ?」
「前のお客様の忘れ物なんだけど、ゲームとか好きかと思って。ここにいる間は自由に使っていいよ」
ひろしくんがいなくなった後、社長は処分していいと言ったけど僕はまだそんな気分にはなれなかった。
「すいません中断しちゃって。すぐ残りのお皿運びます」
気を取り直すように少し明るく言うと僕は部屋を出て行く。
ひとりだけ引きずっているように見られるのが嫌だったのかもしれない。
そして残りの皿を運び終えた頃には、腰の重い従業員たち全員が所定の席へ着いて、あとは美味しくいただくだけとなった。
「それでは、いただきます」
最後に着席した僕の挨拶に合わせて一同はそれぞれのいただきますをして静かにディナーが始まった。
プレートとカトラリーの擦れ合う音が急拵えのダイニングに響く。
「うむ、なかなか美味だ。腕を上げているね」
社長は満足そうにグラスを傾け、その色を楽しんでいる。
最近はワインの好みも少しずつ覚えて来た。
「えへへ、ありがとうございます。今回はデミ仕様にチャレンジしてみました」
「仕事はちっとも覚えないくせに」
「あの理子さん、お言葉ですが、僕結構頑張ってると思いますけどね」
味の好みが全員バラバラなので合わせるのはなかなか難しい。
胡桃さんはどうか気になって彼女のの方を覗う。
「あれ? オムライス嫌いだった?」
すると、胡桃さんはオムライスに口を付けていなかった。
もしかしてケチャップの方が好みだったかな。
「んふふ……、むぐむぐ、きらいらひとなんれいらいんやなかったのカ?」
メイさんは頬張った口をもごもごさせながら、目を半月にしている。
自分はあんなに美味しそうに食べておいてよく言うよ。
「あ、ボク……いつも『まんまるアイスカフェ・オ・レ』しか食べないから」
「アイスだけ!? 朝ごはんも昼ごはんも夕飯も? 全部?」
「食べてない。……なに、ヘン?」
僕が信じられないと顔を顰めていたので、胡桃さんもちょっと攻撃的に口を尖らせた。
「ボクはずっとそうしてきたの! 別にいいでしょ!」
彼女の態度を見る限り、複雑な家庭環境なのかもしれない。
そこに僕が口を出すつもりも権利もないが。
「でも痩せてるし栄養状態は心配だよ」
「うるさい! ママかよ!」
「待ちたまえ、食事はエレガントにお願いしたいね」
「ふぁっ……はい……」
椅子から立ち上がりまるで幼子のように声を荒げる胡桃さんだったが、社長が口を開くと風船がしぼむようにおとなしくなった。
「人間は経口摂取によるエネルギー補給が必須だ。お客様には旅立たれる瞬間まで美しく健康でいて欲しい」
「さすがイヴ様~♪ そうだぞクルミ」
すると胡桃さんは無言のまま渋々ながらオムライスを口に運ぶ。
社長の言うことは素直に聞くんだ……イケメンパワーだろうか。
「おいしい」
「よかった。そのアイスも買っておくから、できたらご飯も食べてね」
「……ありがとう」
胡桃さんは俯きながらぽつりと呟いた。僕とは目を合わせてはくれなかったが、心の通いを僅かながら覚える。
心配されたがオムライスもきちんと完食してくれたし、ごちそうさまとも言ってもらえたので、これからもやっていけそうな気がした。
■□■□
その後、各々が自室に戻っても胡桃さんは事務所のソファで過ごしていた。
客間は今メイさんの自室なので実質彼女の泊まる部屋はない。
「ゲームやらないの?」
自室から出てきて彼女の様子を見に来た僕は、スマホを見ていた胡桃さんに尋ねた。
「だってあれヒゲカーしか入ってないじゃん」
「あーそうか、ソフトか」
彼女からゲーム機を受け取ると、ダウンロードできるアカウントは作っていなかった。
「でもいいよ。ヒマな時にやるかもだし」
「そう? じゃあなんか欲しいソフトあったら買ってくるよ」
「じゃあアニ森」
胡桃さんに返事をして再びゲーム機を渡す。
普通に会話ができていることに進歩を覚えるが、なんとなくここに来てから少し彼女の雰囲気が変わったように思える。
「クルミ~、寝るゾ」
「は?」
そんなとき、メイさんが胸にクマがプリントされたかわいいデザインのパジャマにナイトキャップ姿でやって来た。
ご丁寧に枕も抱えたフルアーマー仕様だ。
時計を確認すると二十二時を回った頃で、就寝にはまだ少し早く感じる。
「クルミはウチの部屋で一緒に寝るんだゾ」
「なんで?」
既に準備万端でウキウキなメイさんとは対照的に、胡桃さんは不満そうにまた口を尖らせた。
「当たり前だロ、元々ウチの食糧として連れて来たんだからナ。転生するまでの支配権はウチにある」
「別の部屋は?」
「それが事情があって、ないんだ」
申し訳なさそうに頭を掻く。
元はと言えば部屋をひとつ潰したのは僕だ。
「じゃあボクここでいい」
どうにもならなそうなことが分かると胡桃さんは、ソファに寝転がって狸寝入りを決め込んだ。
しかしメイさんは当然納得せず、彼女の後ろ襟を掴むと猫のようにひょいと持ち上げてしまう。
「ぎゃあ! なになにやだ!」
じたばたと暴れる胡桃さんだが、メイさんの怪力で吊り下げられているためその全てが虚しく空を切っている。
メイさんはそんな様子を溜め息まじりに見つめていた。
「オマエ、会った時と随分変わったナ。もっとしおらしいというかウチのこと拒まなかったのに急にどした?」
やはりメイさんも気付いていた。
初めて会った彼女は、自死を決意し何もかもどうでもいい、そんな諦めを感じたが、今は年相応か少し幼い少女の印象だ。
本来これが胡桃さんの素に近い状態なのだろうが一体何が彼女に影響を与えたのだろうか。
「ううう~~、しらない!」
なお抵抗を続ける胡桃さんだったが、それも空しくメイさんに連行されていく。
「一緒に寝るだけヨ。それ以上は何もしない」
「……ほんと?」
「今日はナ」
「やっぱやだ~~!」
更に激しく暴れた胡桃さんの顔からメガネが落ちる。
僕はそれを拾ってかけ直してあげようとすると。
「あれ? 見えてんじゃん」
胡桃さんは動きを止めて今度はきょろきょろと辺りを見回している。
「どういうこと?」
しかし質問しても胡桃さんは僕から目を背けてしまい答えてくれない。話せると思って少し顔が近かったのがまずかったのかもしれない。
「結界内ではソレかけてないとイロイロ見えないって言ったヨ」
するとメイさんがバツが悪そうに白状した。
その意図はわからないが彼女が大切に影乃さんのメガネを保管していることは、僕がシュイッチを捨てられないことと同じだと感じ、僕はこの嘘に乗ろうと思った。
「そうですね。ひとりじゃトイレにも行けないですもんね……はい、だからちょっと我慢して」
僕はそう言うと抵抗を諦めた胡桃さんにメガネをかけさせる。
「……フン」
「ねえ、ほんとにエッチなことしない……?」
無言で歩き出したメイさんに吊られながら胡桃さんはか細い声で聞いている。
「……わかった。そのかわり」
「なに」
「お話シヨ」
「いいよ」
自室へ帰りながらふたりのやりとりが聞こえてくる。
影乃さんの時のような眷属とも違う、まるで友達同士とも見えるそれに微笑ましさを覚えながら僕も自室へ戻るのだった。
有限会社異世界転生(エクソダス) ~あなたの異世界転生承ります~ 岩田コウジ @burning-fire
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