プレイリスト
藤野 悠人
プレイリスト
散歩がしたい。何も考えず、ただ歩きたい。
ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった私は、衝動的に散歩に出かけることにした。
動きやすいジーンズと、厚めのパーカー。季節の変わり目だからか、最近は夜になると結構寒い。
一人暮らしのアパートを出て、夜の景色をぼんやり眺めながら歩いた。ぽつり、ぽつりと立っている街灯と、点々としたコンビニの明かりだけが、暗い夜の中で白々しく光っていた。
虫の声と、たまに通る車の音、私の足音以外、何も聴こえない。15分も歩くと、音の乏しさに飽きてしまった。私はワイヤレスイヤホンを着けて、スマートフォンで音楽を流した。学生の頃から親しんだ、J‐POPのプレイリストが流れ出す。そのまま一番近くのコンビニへ行き、ホットコーヒーを買った。Mサイズで160円。ドリップマシンで飲める出来立てコーヒーは、なかなかお手頃だと思う。
熱いコーヒーをちびちび飲みながら、夜の街をただ歩く。イヤホンの奥では、インターネット出身のアーティストの曲が流れていた。
それが終わると、普段は聞かないジャズの曲が流れ出してきた。一定のリズムを刻むドラムと、規則的なピアノのコード。後を追うように、しわがれたような声のサックスが加わる。
――これは、ハービー・ハンコック。俺が初めて聴いたジャズ・ピアニストなんだ。
音楽に乗って、彼がそう言った声が聞こえた気がした。この曲のタイトルは……、たしか『ブラインド・マン、ブラインド・マン』だ。私は曲をスキップした。
次に流れたのは、ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』。すぐにスキップ。
その次は、レスター・ヤングがテナー・サックスを吹く『オール・オブ・ミー』。
おかしいな、と思って画面を見てみると、ポップソングのプレイリストから、別のプレイリストに切り替わっていた。思わずため息が出た。
彼が好きなジャズだけが入ったプレイリスト。そういえば、まだ残っていた。いや、なかなか消せなかったんだ。
未練がましい女。そんな言葉が浮かんできた。
彼は、一言で言えば変な人だった。人一倍、神経質で周りの目を気にするくせに、一度決めたら梃子でも動かない。優しいけれど、
口喧嘩をすることも多かった。でも、落ち着いたらすぐに私に謝りに来て、自分の言葉を反省して、すごく落ち込む。根が生真面目で、考え込みやすい人でもあった。
怒った顔は嫌いだった。でも、怒ってしまった自分を後悔して落ち込む顔は、もっと嫌いだった。あんな顔をされたら、どんなに腹が立っていても許してしまう。
――俺、こんな性格だから、君を不幸にしちゃうと思う。別れよう。ごめんね。
真面目なくせに、最後まで自分勝手な人だった。すごく腹も立った。でも、最後の最後で怒ることができず、そのまま私たちは別れた。
ずるい人だ。今はそう思う。あんな辛そうな顔でそんなこと言われたら、断れないじゃないか。嫌だなんて言えないじゃないか。それなのに、君の好きだった――、そして私も気に入った曲のせいで、嫌でも思い出してしまうじゃないか。
「こんなの、教えてくれなくてよかったのに……、ばか」
誰も聞いていないのに、私は思わず呟いてしまう。暗い景色に見える白々しい光が、ぼんやりと滲んだ。
曲が変わった。イヤホンの奥で、ジョン・コルトレーンがソプラノ・サックスを吹く。なんで、いまこれが流れるの。涙がほっぺたを流れていく。
曲は、『マイ・フェイバリット・シングス』。彼に教えてもらったジャズの中で、私が最初に気に入った曲だった。
プレイリスト 藤野 悠人 @sugar_san010
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