第七話 進んで止まってそして巻き戻る―2


 一抹の不安が僕の心を駆け上がり、脳の辺りに到達した。「ハヤクニゲロ…」そう何者かに言われたような気がした。

 僕は扉を思い切り引いた。しかし、扉は何かに固定されたかのようにぴくりとも動かなかった。


「まったく…そうおびえなくてもいいじゃない。わたくしは別に殺しはしないわよ。逃がしもしないけど。」


 僕は改めて、かなり力を込めて扉を引いたが、全く動かなかった。


「君は私にとんでもない行為をしてくれたわ。一つは、自分が女だと告白する行為。テンションダダ下がりよ。脳が破壊されたわ。」


「意味が分からない。そんな程度の発言で壊れる脳の方に欠陥があるんじゃないのか!?」


「…君、急に毒舌になったわね。お姉さんの残り体力はあと5しかないわ。」


 5もあるのか。もし僕に姉がいたなら、今のような掛け合いをしてそうだななんてことを思った。兄がいたらどうだろう。ルークのように優しい兄が良いな―――そんなことを考えている場合じゃない。早くここから抜け出さなければ。

 押してだめなら引いてみろということわざがある。今は引いてだめなので押してみる。

 扉を思いっきり叩いた―――びくともしないというのは覚悟していたが、叩いた音すらしないのは奇妙だ。


「…!まさか…」


「あら、気づいたの?扉に流れる時間を止めているわ。詠唱をしてないからもろいけど、あなたが突き破れるほどやわな魔法じゃないわ。」


 まずい。このままでは本当に実験動物にされかねない。考えろ。何とかしてここから――


「つかまえた♡」


「ぐっ、ご、ごめんなさいルークさん!あなたの言っていたことは正しかったです!ごめんなさい!本当に信じなくてごめんなさい!だから、ルークさん助けてえぇぇぇ!!!」



 ひどい目にあった。どれだけひどい目だったのかは言わないでおく。思い出したくないから。

 とりあえず保険を獲得できたので、少しは安泰だろう。ルークのことをルーク”さん”と呼んでいたので、彼女の立場は高い方なのではないだろうか。戦場の場で使われる別名”時使い”からも、彼女の時を操る魔法の貴重さが分かる。なぜなら、ほかに”時使い”がいればその二つ名はつかないからだ。

 時を操る魔法を操る彼女の存在。それがどれだけ貴重なのか。そして、彼女とのつながり、ルークとのつながりをもった僕の存在はどれだけ貴重なものなのだろう。


「…あれ、もしかして争いの火種になったり…」


 塔から城の間にある林を歩きながらつぶやいた。可能性はあるだろう。高くはないだろうが。こういうのを自意識過剰というのだぞ、ユート。なんて自分のことを戒めながら、オーニさんに護衛してもらえばよかったな、なんてことを思いながら、夜の林を歩いていた。


 あの村では、夜になっても一人で出歩くことがあった。きまってあの巨木の根元で月を見上げていた。僕の故郷の村が含まれてるオーユリの国は、ここでは散々な言われようだった。けれど、僕の故郷は悪いところじゃなかったと、そんな風に思う。あの村を離れてすでに二か月ほどが経ち、郷愁が湧いてきた。思い出は美化されるものというけれど、僕はあの村で何をしていたのだろう。…思い出せない。

 そんなことを考えながら林を歩いていると、やがて城の裏口が見えてきた―――それに加えて、私服の男性が目に入った。賊か何かかと思ったが、その整った顔立ちから、その人物がルークであると分かった。

 しかし、いつもの快活で穏やかな彼と違い、今の彼は何か憤っているような感じがする。

 彼が茂みから観察している僕の存在に気づくと、ずんずんと強く地面を踏みしめながら歩んできた。


「今までどこに行っていた?」


「え?オーニさんのところですけど…」


「こんな遅くまでか?もう0時だぞ?」


「研究に付き合わされたんです。オーニさんに聞いてもらえれば分かると思いますよ。」


 その発言を聞くと、彼は頭を抱えた。


「はぁ…あの研究馬鹿…。」


 そんなことをつぶやいた後、彼は僕の手を引き、城内に連れて行った。すでに城の明かりは消されているため、廊下を照らすのは月明かりのみだ。

 ルークが振り返り、僕の目線に合うよう身をかがめた。


「ユウト君、僕はね、君が危ない目にあってしまわないか心配なんだ。」


 彼は僕の頭を触りながら言った。おそらく僕の髪の毛のことを言っているのだろう。


「君はこれまで虐げられてきた。この世には、赤い髪だというだけで差別をする輩が大勢いる。というか、それが世界の大半を占めているんだ。君が街を歩くだけで、石を投げられるかもしれない。憲兵に捕まって何かしらの罪をこじつけられてしまうかもしれない。強い恨みを持った人に殺されてしまうかもしれない。見世物として売り飛ばされるかも…」


 流石にそれは心配のし過ぎのような気もするが、彼が僕のことを思ってくれているのだという事が伝わってきた。この気持ちに応えないのは何かしらの罪にあたってしまうような、そんな気がするほどに。

 僕の心の中で、彼にも僕が女だという事を打ち明けようかという考えが浮かんだ。多分、彼は受け入れてくれる。その代わり、これまで以上に過保護になるだろう。赤髪の、それも女子なのだから、偏見の目に晒されないわけがない。

 これからの生き方はこれまでとは変わらない。だが、僕が女だという事を知ってほしくもあった。それほどまでに心を許してしまったのだ―――ミズには何も言わなかったのに。

 ミズとルークを心の中の天秤で比べると、間違いなく皿はミズの方に傾く。だが、自分が女だという事を打ち明けられるのはルークだ。僕にとってより大事なのはルークの方なのだろうか。そうなってしまったのか。


「…あの、ルークさん。」


 言葉を頭で紡ぐより先に、口から零れ落ちていた

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