閑話 酸っぱい檸檬、甘い葡萄


「ここが使用人室。あなたの部屋は一番右ですよ。ユウト君。」


 数多の使用人をまとめている執事長が、僕に業務を教える一環として城内の案内をしていた。ここに来た当日にルークさんに案内されていたが、あまり頭に入っていなかったので、もう一度案内してもらえて正直助かった。

 執事長は、奇麗にまとまった白髪を手櫛で梳いた。


「あなたはまだ見習いなので…これと言った業務は無いですが、まぁ勉強が仕事と言った方が良いでしょうか…いろいろなところを巡り、見て覚えましょう。わかりましたね?」


「はい。」


 つまり好き放題できるという事?王城で好き放題できちゃうのか…出来ちゃっていいのか?


「あぁ、ちなみに城内はとある魔法使いによって監視されてますので、あまり粗相をするとルーク様に報告が行ってしまうので気を付けてくださいね?」


「…分かりました。」


 好き放題できちゃわなかった。そこの辺りはしっかりしていた――残念ながら。いや別にどうこうしようと考えていたわけではないけれど。

 執事長は、僕の頭に右手を置いた。


「君はルーク様に拾われた身です。あなたが何か粗相をすれば、ルーク様の責任となってしまいます。ルーク様の強権である程度の自由が許されてはいますが、あまり彼の庇護をあてにしないようにしましょうね?」


「…?それはどうしてです?」


 甘えさせてくれるのなら甘えるべきではないのか、と思うのだけど。厚意を無下にする行為は褒められたことではないだろうと思うのだけど。それは間違いなのだろうか。


「別に、甘えるなとは言いませんよ?ただ…そうですね。認知的不協和という物はご存じで?」


「…いえ。」


「それは、自分の思考や行動に矛盾を抱えてしまうという物です。個人が矛盾する二つの認知を持ってしまう、という事なのですが、ここまでは分かりますか?」


「……一応。」


 普通に分からない。もう少し分かりやすい説明がないのかと思う。


「例えば、甘い檸檬と酸っぱい葡萄ですね。檸檬以外の果物が手に入らなかったことから、この檸檬は甘いに違いないという心理が働き、葡萄を獲得することができなかったから、あの葡萄は酸っぱかったに違いないという心理が働くんです。」


「あー、え、それがどうかしたんです?」


「えぇ、つまりあなたは檸檬なんです。あなたを助けることができた。そして、助けたあなたが心を許してくる。檸檬は檸檬でも、甘い檸檬だと。他の檸檬とは違う、特別な存在なのだという勘違いをしてしまいかねないのですよ。」


「つまり?」


「つまり、彼があなたに惹かれてしまうかもしれない。という事です。」


 この時点での僕は、この国の女性が極端に減少しているという事実を知らなかったので、そんなことは絶対にありえないだろうと思った。

 まぁでも、一応彼のその言葉を胸の奥にしまっておこうと、そんな風に思った。



 やがて、オーニからベールべニアの女性が少ないという話を聞かされ、本格的にまずいのでは、と思い始めた。ルークの僕に対する行為はなんだか一線を越えかけてるような感じがするからだ。

 なので、僕はルークに自分の気持ちを伝えた。執事長の影響が大きいが、ほとんどは本心からの言葉だった。


「…そうか。」


 それだけ言って、以降会話をしなくなった僕らだが、でも正しい選択をしたのではと思うのだ。これまでが近すぎたのはそうだし、独り立ちをしたいのも事実だから。


 だから、僕はそれが正しい選択だったと信じ込んだのだ。

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