摩訶不思議スクール【短編集】

葛飾ゴラス

第1話 だれも知らない

 相馬サクラが朝、六年一組の教室に入ると知らない女の子が窓際の席にすわっていた。


(え、だれ? ……転校生?)


 サクラはその少女を横目でみながらランドセルをロッカーに閉まった。自分の席にすわってからもチラチラと窓際の席を盗み見た。人見知りで引っ込み思案のサクラは、知らない人にみずからすすんで話しかけることができない。


「ハルちゃん、おはよう」おなじクラスの佐々木さんが窓際の少女にあいさつをすると、「昨日のテレビ見た?」と話をはじめた。窓際の少女も笑顔でこたえる。二人はまるで数年来の友達のように親しげだ。


(なんで佐々木さんはあの子のこと知ってるんだろ?)


 サクラはまわりをうかがった。クラスにまぎれこんでしまった知らない子に好奇の視線をむける者は(サクラ以外は)一人もいない。みんな、あの少女の存在をとみていて、気にもとめていない様子だ。


 サクラは前の席に座る伊原ソウタの背中をつついた。ソウタは保育園から付き合いであり、気のおけない仲だった。


「んあ?」


 こちらに向いた顔をみて、(眼鏡をかけているわりには知性の不足してそうなマヌケづらね)などと失礼な感想をもったが、今回は口にしない(通常なら口にする)。


「ソウタ、あの窓際の後ろから三番目の席の子だけど……」


「え? イチ、ニー、サン……ああ、相馬だろ。それがどした?」


「はあ? 相馬はわたしでしょ。なにいってんの、アンタ」


「お前のほうこそなにいってんだよ。あいつも相馬だろ。相馬ハル、お前の従姉妹だろうが」


「!」サクラは驚きのあまり声を失った。


「はい、席につけー。朝の会はじめるぞー」


 担任の木村先生がやってきた。


 サクラは、転校生の紹介があるのでは? と淡い期待をよせていたが、何事もなく朝の会は進行していった。しかも──


「今日の日直は……ハルだな。みんな、この前配布した卒業式のアンケートを記入した人はハルに渡すように」


「はーい」


「ハル、よろしくたのむぞ」


「はい」


 とクラスのだれもが〈相馬ハル〉の存在を受け入れていた。


(わたしだけがあの子を知らない? どうして? なぜ? 記憶喪失なの、わたし?)はてなマークがサクラの頭のなかでグルグルまわった。サクラはパニックの渦に呑みこまれていった。


「……先生」サクラは力なく手をあげた。


「ん? どうした、サクラ?」


「ちょっと気分悪くて……保健室にいっていいですか」


 実際サクラは息苦しさを感じていた。


「そうか。わかった。ハル、いっしょに保健室に行ってくれるか」と木村先生。


「だ、大丈夫です! 一人で行けます!」


 サクラは逃げるようにして教室から出た。とてもじゃないが、あの少女──相馬ハルとよばれている少女と、おなじ空間にはいられない。




     ×   ×   ×




 保健の斉藤先生に理由を説明してベッドに横にならせてもらった。斉藤先生はわたしに布団をかけながら、「先生、ちょっと用事があって。十分ほど留守にしても大丈夫かしら?」といった。わたしが「大丈夫です」というと、斉藤先生はベッドを仕切っているカーテンを閉めようとした。


「先生」サクラは呼び止めた。


「ん? なに?」斉藤先生は手を止めた。


「先生、相馬ハルって子、知ってますか?」


「相馬ハル? ええ、もちろん知ってるわよ。サクラさんの従姉妹でしょ。いまは一緒に住んでるのよね」


「……ええ、そうです」


 斉藤先生は釈然としていないようだが「すぐに戻るわね」とカーテンを閉めて保健室から出ていった。




 だれもいない部屋で天井をみつめていると気持ちがいくらか落ち着いてきた。頭は混乱しながらも考える余裕も生まれた。


(あの子がわたしの従姉妹……一緒住んでる? そんなわけない。あんな子、知らない)それは確信だった。サクラにとって〈相馬ハル〉はいままで会ったことがない人物だ。


(これは悪い夢)この現実感──これが夢でないことはサクラ自身がよくわかっていた。


(なら、別の世界線に迷いこんじゃったのかもしれない。アニメとか漫画でよくある──)


 ガラガラガラ──


 保健室の扉が開く音がした。そして足音。だれかがなかに入ってきた。斉藤先生? にしては早すぎる気がする。部屋を出ていってからまだ二、三分しかたっていない。それにいまは授業中だ。体調不良の生徒だろうか。


 サクラはカーテンの隙間から外を覗いた。みえたのは──相馬ハルだ!


 サクラはベッドのなかで体を硬くした。


「サクラちゃん、大丈夫?」


「えっ、大丈夫、だよ。どうした?」


「先生が様子をみてこいって。カーテン開けるよ」


「待って!」心臓が痛いくらい速いテンポで脈打っている。「こっち来ないで!」サクラは〈絶叫〉といっていいほどの音量で叫んでいた。


 しかしサクラの叫びは無視され、カーテンは勢いよく開かれた。相馬ハルが立っている。


「どうしたの、サクラちゃん。そんな大声出して」


「うるさい! アンタ、誰よ!」


「え? ハルだよ。変だよ、サクラちゃん」ハルはいまにも泣き出しそうな顔をした。


 サクラは逃げるようにベッドから降りた。ハルとベッドを挟んで向かいあう形になった。


「こっち来んな!」


 その台詞をきいたハルは、泣き顔から凍りついた表情に豹変した。


「……何故、わかった。いや、何故、相馬サクラだけに記憶改変が適用されていない?」ハルは意味不明な独り言をいった。さっきとはまるで別人だ。


「バグを特定し修正しなくては──」


 サクラを保健室の床を蹴って出口にむかって走った。ハルとすれ違うときに一瞬目が合った。ハルはしずかにこうつぶやいた。


「Undo」




 サクラは保健室から飛び出すと六年一組の教室にむかった。静まりかえった廊下にサクラの足音がけたたましく響いた。


 教室の扉が壊れそうなほど強く開かれ、中にいた人間はみんな飛び上がった。サクラが教室に飛びこんできて、机や椅子やクラスメイトにぶつかった。


「どうした、サクラ!」木村先生が錯乱状態のサクラをしっかりと抱きかかえた。


「先生! あれは誰! 相馬ハルって誰!」サクラは木村先生の腕のなかで暴れながら叫んだ。




 結局、〈相馬ハル〉のことはだれも覚えていなかった。クラスメイトたちも担任の木村先生も保健室の斉藤先生も、「相馬ハルという人物なんてみたこともきいたこともない」という反応だった。


 サクラの親は学校に呼び出され、「病院で一度診てもらったほうがいい」と薦められた。サクラはまわりの人間から心配されると同時に、奇異の目でみられるようになった。


 サクラ自身、今回の事件と向かい合うことができないでいた。


 ただ確かなのは、〈相馬ハル〉の存在をサクラ以外はということだけだった。

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