第54話 結4

 季節が巡り、潮崎で桜が咲き始めるころに城の唐紙は完成した。その間、紅秋斎と鉄宗から手取り足取りいろいろな技術を教えて貰った悠介は、絵師としても何段階か上がったような気がしていた。

 悠介は紅秋斎と鉄宗の二人を師と仰いでいたが、紅秋斎が「お前の師匠は悠一郎ただ一人だ。弟子を名乗るなら悠一郎の弟子を名乗りなさい」と告げた。鉄宗も「悠介の画風は悠一郎さんの画風に似ている。我々の弟子という絵ではないよ」と言った。

 それでも悠介を職人としての絵師にまで引き上げてくれたのは間違いなく彼らであり、本当の意味での師匠だった。

 今になって思えば、唐紙の絵師を決める時、二人は悠介に花を持たせてくれたのかもしれない。これから開花しそうな才能を埋もれさせないよう、最初から二人で悠介を指導しようと無言のうちに決めていたことも考えられる。

 そんな二人と別れ、悠介は久しぶりに佐倉の家に戻っていた。四月よつきも空けていたのに佐倉の家に来ると当たり前のように体が動いた。

 だが船戸様が派遣した女中は帰らなかった。聞けば佐倉様が正式に二人の女中を雇ったという。

「あたしはお役御免でしょうか」と問う悠介に、佐倉は「お前には家と仕事と画材があるだろう」と答えた。悠介がポカンとしていると、奈津が横から言った。

「悠一郎さんの家と画材があるじゃない」

「それと徳屋の仕事もな」と御隠居が笑う。

「それだけじゃありませんよ」

 お内儀も割って入った。

「潮崎の船戸様のお城の唐紙を書いた絵師となれば、これから絵師の仕事がどんどん舞い込んできます。画材が揃っていていつでも絵が描ける環境にないとそれらの仕事を引き受けるのは難しいでしょう」

 そのお内儀の言葉を佐倉が引き継いだ。

「だから悠介、お前はこれからは悠一郎の家で暮らすのだ。お前はこの家で一年弱、世間で暮らす術を身につけたはずだ。これからは母の為でも佐倉の為でもなく、悠介自身のために生きなさい。お前が独り立ちしたからと言って縁が切れるわけではない。私たちはお前の家族だし、ここはお前の実家だ。いつでも来ればいい」

 実家。考えたことも無かった。今までは実家と言えば柏華楼だったのだろう。だが、佐倉様がここを実家だと言ってくれた。安心して独り立ちできる。

「ありがとうございます。今まで大変お世話になりました」

「毎日遊びに来て将棋の相手をしても良いぞ」

 御隠居様の一言で、みんなどっと笑った。


 数日後、悠介が悠一郎の家への家移やうつりの準備をしていると、佐倉が声をかけてきた。

「本当に今日は出席するつもりが無いのだな」

「ええ、そのように船戸様にもお話してありますし」

 今日、潮崎では完成した唐紙のお披露目会が催されている。そこには紅秋斎も鉄宗もいるはずだが、悠介は出席を断った。「こんな子供が描いたと知ったら、潮崎の人々は気分を害するかもしれません」と言って船戸様の説得を撥ねつけたのだ。

 もちろんそれで納得するわけなどなかったが、出席しなければこちらのものだ。こういう時の悠介は大胆である。

「なぜ行かないのだ」

「あたしはこれまでずっと日陰で生きて来た人間です。日向はどうしても馴染みません」

 渋面を作る佐倉の横で悠介に加勢するようにお内儀さんが笑う。

「それは悠介らしいですね」

 そこへ御隠居がふらりと現れた。御隠居は悠介のいないあいだ女中に頼るのが嫌で、自分でなんでもしようとした結果、散歩ができるまでに回復していた。なんでもかんでも人任せにしていると体はどんどん鈍ってしまうが、御隠居の場合は動き回ったせいか体力もついて来たようだ。

「悠介、してきたか」

 悠介は御隠居を見上げて満面の笑みを浮かべた。

「ええ、もちろん」

 キョトンとした奈津が「何の話?」と問う。

「御隠居さんが雅印を彫ってくださったんです。篆刻で悠の一文字。あたしは潮崎でそれを雅号として残して来ました」

「絵師の悠さんか……おめでとう、絵師の門出ね」

「表向きはね」

「え?」

「あたしとお嬢さんには別の顔があるでしょう」

 ポカンとする奈津に「にゃあ」とにゃべが飛びついた。

 にゃべにニヤリと笑いかける悠介を見てハッと気づいた奈津は、含み笑いで頷いた。

「そうね、わたしも三味線のお稽古頑張らなくちゃ!」

 首を傾げる大人たちをよそに、二人の子供は笑った。


(了)

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柿ノ木川話譚4 ー悠介の巻ー 如月芳美 @kisaragi_yoshimi

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