第十集 伝説

 越王・勾践こうせんのもとに、呉王・夫差ふさの死が報告された。自身は何も命令していない以上、勾践は当然のように激怒した。

 夫差殺害を実行した奇奇ききの姿は、どこを探しても見つからず、それを命じた可能性のある范蠡はんれいの姿もどこにも無かった。


 呉との最終決戦に臨むまで、越国の全員が征呉という目標に向かって心がひとつになっている実感があった。それが終わった途端、自分の知らぬところで自分に背く者が出てきた。それが二十年の苦労を共に耐えてくれた范蠡であるとなれば尚更だった。

 それまで信頼していた者たちすら、そこに溝を感じる。お前は本当に味方なのかという思いを、今後払拭できる自信など無かった。


 そんな勾践の所へ駈け込んで来た者があった。怒りを露わにしたその姿は、越と内通した呉の大夫・伯嚭はくひである。

 彼は戦後も越の大夫として任用されたのだが、彼が内応する条件が、呉王の助命であったのだ。


「何ゆえに呉王の命を奪ったのですか! 約束が違いまする!」


 伯嚭としては、呉王の殺害は勾践が命じた事としか思えなかったからである。しかし勾践もまた、夫差の死は寝耳に水の出来事であった。

 だがこの時に勾践は、思わず笑みを浮かべた。

 周囲の人間が敵か味方か分からぬと思い詰め始めていた勾践である。この目の前にいる伯嚭は、と自ら名乗り上げたようなものだった。


「だったら何だ? そういう貴様は信義を口にできる立場か? 金と地位に目がくらんで国を売った貴様が! 次に機会があれば、今度は我を他国に売り渡すのであろう、なぁ?」


 伯嚭はそんな勾践の言葉に、返す言葉を失って立ち尽くした。

 確かに国を売ったと言われれば申し開きも出来ない。だが彼自身は、自国だの敵国だの無関係に、流れる血を少なくしたかっただけなのだ。


 かつて越が降伏した際、越王の助命の為に多くの部下たちが頭を下げに来た事で、これほど配下に愛される王を斬っては余計な恨みを買いかねないと思った。そんな判断から、呉王に仁君としての道を歩んでほしいと願ったのだが、それは方便ではなく伯嚭の本心だった。

 その後、そんな勾践に事実上裏切られてなお越に協力したのは、既に呉の敗北は時間の問題だと判断し、抵抗して多くの血が流れるくらいならば、呉王の命が守られる事を条件にと内応したのである。

 伯嚭にとっては、仕えている国がどうという問題ではない。敵味方関係なく、多くの命を救いたいという博愛の心を重視していた。憎み合うのではなく、許し合える世界を作りたいという理念である。


 彼の曾祖父は、もともとしんの貴族であった伯宗はくそうという。それが政治闘争に敗れ、その子孫はへと流れ、さらに伯嚭自身はそんな楚から呉へと流れてきたのだ。

 特定の国に愛国心が無いという理由でもあるが、同時にそれは、許し合える世界を望む理由でもある。

 しかし、そんな伯嚭の信念は、結局は理解などされなかった。


「所詮は蛮族の王に、何を言っても無駄でしたか……」


 そう呟いた伯嚭の言葉は、悲しみに満ちていた。だがその内容は勾践を激怒させるには充分だった。

 どこか達観した様子の伯嚭は、勾践の振り抜いた剣が自分の首を落とす瞬間まで、目を瞑って待っていた。

 そして伯嚭は晒し首にされた。

 主君を売り、国を滅ぼした悪臣の見本として……。


 文種ぶんしょうの尽力により、呉王・夫差の死は自殺として記録される事になった。それで范蠡や奇奇が救われるとは思っていなかったが、それが彼にできるせめてもの事であった。


 その後の越王・勾践は、疑心暗鬼に囚われて臣下の言葉に耳を貸すことなく、諫言をした者たちを粛清するようになった。

 その中には、越の政治を一手に担っていた文種も含まれていた。

 身軽に飛び回れる親友と違い、不器用を自認していた文種は、こうなる末路を感じていながら、最後まで越を離れる事は無かったのである。


 呉を併合した越国は、その結果を以って後世に覇者に数えられる事もあるわけだが、征呉の瞬間こそが越の最盛期であったとも言えた。

 勾践による粛清の嵐は他国からの流入者を途絶えさせる事となり、勾践亡き後の越は凋落の一途を辿った。

 そして大国として返り咲いたによって滅ぼされる事となるのだ。

 こうして長江流域を広く治めた楚が、のちに戦国七雄せんごくしちゆうに数えられる事になるわけだが、それはまた別の話である。



 勾践とたもとを分かった范蠡は、その名を変えて中原ちゅうげんに赴き、各地を転々としながら、商人として成功を収めた。

 越を勝利に導いた彼の名は天下に知られていたため、彼の正体を知った者がたびたび勧誘にくるも、二度と国に仕官する事は無かったという。

 晩年には道術の類に傾倒し、不老不死の仙人になったという伝説もあるが、真偽は定かではない。

 そんな彼の後半生、その傍らに妻子の姿があったかどうか、史書には何も記されていない以上、想像するしかないだろう。


 干將かんしょう莫耶ばくやの夫婦とその剣の話は、後世に伝説となった。

 その非業の死に際して、残された息子が仇討ちを誓い、それを出会った旅人の協力で成し遂げたという話が後世に伝わるも、仇討ちをされた王は誰なのかが文献によって記述が違う事から議論の的となる。

 そうした物語の中で、ただひとつ共通するのは、仇である王、依頼主、暗殺者、三人ともが命を落とすという点である。


 さて、越軍を鍛え上げた剣術師範は「南林から来た女」として伝承に残るも、その素性は謎に包まれている。

 勾践に後宮に入る事を望まれるも固辞して姿を消した。その後の勾践は国を挙げて行方を追うも、その消息は掴めなかったと言われている。

 名前すら残されていないその女の伝承は、後世に「越女伝説」と呼ばれる事となった。


 一方で山越さんえつ族には、各地を恐れさせていた大蛇を、たったひとりで退治した少女の伝説が、代々語り継がれていた。そちらの話では大蛇を倒した後、王様に呼び出されて大業を成した、という所で話は終わっている。



 誰にも知られぬ山の奥で、人目から隠れるように暮らす若い男女の姿があった。女の背中には二本の剣が背負われている。

 その日の獲物を焚火で炙って、分け合うようにして食べている二人は、まるで野生に帰ったかのようであったが、互いに微笑み合うその姿は、とても幸せそうであった。






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越絶の華 水城洋臣 @yankun1984

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