第8話

 ネレンマークがよこした手代に喜一きいちは大きな屋敷の前に案内された。その屋敷は領主の館には及ばぬもののかなりの権勢を誇っているのだろうと言うのが見て取れるいわゆる格式のある館であった。



「こちらでございます。では少々お待ちを。」そういうとネレンマークの手代は守衛に話しかける。

「いつもお引き立ていただいている仕立て屋ネレンマークの手代、ジマにございます。レドンナ様にご紹介したい商人がおりまして連れてまいりました。」馬鹿のようにでかい鉄の門に小さく切られた通用出入り口がこそりと開き彼を招き入れる。仕立て屋の用意した手代はカルアックなじみの手代のようで、喜一がすることは何もなく話はどんどんと進んでいった。



 謁見したレドンナはラティーナが言ったとおりに着飾った女だった。髪は盛りに盛り上げ、服の襟は金糸での装飾をこれでもかと施したうえに盛りあげた髪を超えるほどに高く跳ね上げられ、さらに首にはネックレスを幾重も胸へとたらす。極めつけに黒の上着と赤のスカートドレスが何とも下品な歳不相応の色気を印象として醸し出してくる女だった。


「お前か。ネレンマークがあわせたいという商人は。」レドンナは言葉の端々まできっちりと高慢であった。

「さようにございます。」

「何処より来た。」ツンとした物言いで短く言う。


「此処よりはるか東方より参りました。そして、まだ見ぬ西方へあこがれて旅をしてきております。私の口よりまずは商品をご覧めされい。モノは旅を雄弁に語りまする。」喜一は領主から代金としてもらったばかりの宝石をテーブルの盆にザラリと広げる。広げられた宝石はすでにカットされたもの、原石のモノ、種類もルビー、ガーネット、ターコイズ、ダイヤにラピスラズリに喜一も見たことがない物と種々雑多。

「ふん。いくつかは興味を引くものがある。その大きなダイヤとルビー。あとはそこの真っ青の石のようなもの、それは見たことがないな。いくらじゃ?」

「ダイヤとルビーはそうですなぁ、それぞれ300万と200万デナンにございます。青い石、これはラピスラズリと申しまして私の手持ちにも一つしかなく…。」

「青い石には500万だそう。それでだめならいらぬわ。」

「(即断即決宝石取引は取りつく島なし。)…さような額をいただけるとはお譲りする以外ございませんな。」喜一きいちも即決で返す。


「売り物はそれだけか? ならばもう帰れ。他の宝石には興味が沸かん。」

「もう一つ、あと一つだけ秘蔵のものがございまする。」そういって喜一が恭しくささげあげたのは小さな褐色の小瓶。

 それはリュックの底に隠れていたあのバニラエッセンスの小瓶だった。

「なんじゃそれは。」

「これは香。それそのものをを閉じ込めた小瓶と申しましょうか。」

「香水の類か!?」香りというワードにレドンナはがっつりとわかりやすく食いつき身を乗り出してくる。

「左様に。海の向こうで作られたある香そのものでございます。ひとつこの香りをお聴きいただきたい。」

 キッと蓋を開けバニラエッセンスの瓶をレドンナの鼻へと差し上げる。

 スッと吸い上げたレドンナの眼がトロと落ちる。


「これは、嗅いだことのない。何とも甘く奥、そう奥がある。あってそこで人をそそる香だ。なんとも、何とも形容しがたい」レドンナは両の手でキイチの手ごと瓶を抱きかかえて放さない。


「この香り、入手したところでは恋人の香りと言われ二人の愛と心を強く結びつけるとされておりました。さて、おためしはこのほどで、何分私もこれはこれ一本しか持っておらぬ故、無為に散らすは勿体のうございます。」喜一は適当に男漁りに効果がありそうにでたらめをそれらしく話しレドンナの購買意欲を高めようとする。

「1000…いや、それではたらんな3,4,5…5か。足らぬかもだがそれ以上は…」香りに思考をかき乱されたレドンナは喜一に聞こえる事すら構わず考えていることを口に出す。

(おぉおー。悩め悩め。頭の中かき回されちまえ。)喜一はその漏れ聞こえる声にある金額の上昇にほくそ笑む。決断したのだろうレドンナは何度か頷くと口を開く。


「…だが、よし、よし!6000万でなら買…。」


「お断り申す!」レドンナが悩み抜いた上限額。それを提示しようとするのをさえぎり喜一はきっぱりと断る。


「は?」食い気味の否定にレドンナはあっけにとられる。

「金と交換などお断り申す!」そのレドンナに言い含める様に喜一は重ねてその条件を断る。


「売りに来たのだろう!ならばなぜ断る!!6000では不服か。しかしこれ以上は私には出せんぞ!」この世に二つとないであろう心とかす甘い香りが手に入らぬかもしれぬとなったレドンナは先ほどまでの高慢さがウソのように激しく狼狽する。


「額ではございませぬ。これは金と交換したいものではないのです。金と交換する気など今の私には毛頭ないのです。…実を言うとレドンナ様、この香を売るつもりはこの屋敷に入るまで毛ほどもございませんでした。なぜならこれは私もこの一つきりしかであったことのない逸品。次に手に入れられる保証もないほどの希少品。しかし、あなたにこれの商談を私は持ちかけた。それはひとえにあなた様の手元に是が非でも譲っていただきたいものが私にあるからなのです。」ゆっくりと冷静に渇望する様に喜一は告げる。


「なんじゃ?いうてみるがよい!」レドンナは鼻息も声も荒くなっていた。

「先ほどこちらへ向かう庭にて一人の少女に眼と心を奪われ、外道とはわかっておれど何をなんとしてもその少女、少女が欲しゅうなって仕方がないのです。そばに置き一服の旅の慰めとしたいと思うたのです。」できる限り下衆な理由を喜一は述べあげる。


「少女?ナオのことか?金色の髪をした。」

「(引き出せたか)。姿を見ねば判然としませぬが確かに金色の真昼のように輝く美しい髪をしてましたなぁ。」

「ナオを、ナオをここに引いて参れ!」少しして執事に引っ張られ現れたのは服こそ新しいがナオであった。間違いなく。ナオであった。ただ、その表情は暗く。新月の夜のように沈んでいた。


「おおお、まさしく。まさしくこの娘にございます。私が喉から手が出るほど欲しいものとは。彼女を。これと交換でも惜しくないほどに。それ以外ではとてもとても、金や宝石などではとてもとても交換する気になどなりませぬ。なれませぬ。さぁ、どうか彼女を譲っていただきたい!レドンナ様!!(この香りはここにはないからかかるはずだ。さぁ、さぁ!食いつけ!)」先ほどのゆったりとした言葉とはうって変わり一気呵成に喜一はまくしたてる。


 レドンナはまだ食いつかない。小瓶と政略結婚の天秤が傾き切らないようだ。


 そこでダメ押しとばかりにキイチは物欲しげに伸び、受け手になっているレドンナの手首に一滴ぽたりとたらしスッと擦り匂いを立てて彼女に嗅がせる。

「あ、あぁ…。」その香りにレドンナの天秤はさらに激しく揺れているようだがいまだ傾き切れない。よほどその政略結婚というのが魅力なのだろうか。

(押しがたらんか。なら。一八だ。)喜一は、商談を長引かせられレドンナに冷静になられるのを良しとはしなかった。冷静になれば彼女は襲撃してでも小瓶を奪いに来るだろう。そうなる前に今この場で決着をつけるつもりでいた。


「悲しいかなこれでもご英断いただけませなんだか。ならば、私は涙をのみ引くと致しましょう。」ゆっくりと瓶をレドンナに見せつけるようにしながら踵を返すとざっざっと足早にレドンナの御前を後にしていく。


「ま、まてぇ!わかった。持っていけ!ナオなどこんな娘くれてやる!!だから後生、後生だからその瓶を私に譲っておくれ!」泣きわめく様に叫び止めるレドンナの声を聴いてフードの奥で喜一きいちはニィッと悪魔の笑みを浮かべた。


「貴方様なら必ずこれの価値をわかりご決断いただけるとわかっておりました。試すような真似をして申し訳ございませぬ。どうぞお納めくださいませ。」カッと向き直ると小瓶を恭しく高く掲げて言った。

「重ね重ね申しておりますがとても貴重な物でして私も次にお持ちできるかわかりませぬ。ゆえにそうですな。お使いなさるときは少量の酒に一滴溶いて大事にお使いなさるとよいかと存じます。では、ありがたく彼女を戴いて参りまする。」ナオの腰に結ばれた紐を執事からむしり取ると喜一は催促するようにナオを引きずりそそくさとレドンナのいる部屋を後にした。

「ほらどうしたもっとちゃんと歩かんか。」ナオの奪還に成功した今喜一は一秒でも早くこの場、レドンナの巣を後にしたかった。なので、ぐっぐっと腰ひもを引いてナオの歩みを催促するがナオの歩みは重いままだった。

「ええい!しょうがねぇ!」もう喜一はナオを肩に抱え上げることにし足早に館から撤収することにした。


 ナオはもうどうにでもなれと思うほどに自暴自棄になっていた。レドンナのところに連れ戻されたときにはまだラティーナという希望があった。が即座に旅の商人へと売り飛ばされる。彼はこの街を離れていくのだろう。まともな生活ではなくなるのだろう。おぞましいことをさせられるのだろう。そうなればもう、ラティーナとは会えぬのだ。ボロリと涙がナオから落ちる。声は上げない上げれば負けになるから。担がれた男の肩の上、ゆらっゆらっと屋敷が遠くなっていくことだけは心を多少なりと軽くしていた。


「ババアんとこからは大分離れたな。よ。もう大丈夫だ。」路地を幾度か曲がったところで不意にナオは男の肩から降ろされる。目の前で男が脱いだフードのしたから出て来た顔はあの河原にいた料理人だった。

「もう、大丈夫だ。さ、帰ろうぜ。」ニカッと喜一はナオに笑いかける。

「なんで顔出さなかったのだあ!この馬鹿者!」ナオはその顔を見るとぼろぼろと感情を吹き出して泣きあげた。

「大きな声出すんじゃないよ!まだ見つかったらどうする。なあに、確実にお前を手に入れるためだよ。俺とお前が知り合いって匂ってあの女に感づかれたら商談で取り返すのは無理だったかもしれねぇからな。」言いながら喜一はナオの頭を優しくなぜる。

「いやぁしかしちびりそうだったぜ。別世界で一人勝負するとかさぁ。さ、とりあえず帰ろうぜ。ラティーナ達が待ってる。」喜一はナオの腰ひもを解き捨て用心のため彼女に自分の着ていたローブを着せ足早にラティーナの待つ河原へと向かった。



「いいか?ナオ。見つからないようにラティーナと喜ぶんだぞ。」そういって河原端の馬車の中に彼女を押し入れると御者台に向かう。

「さってっと。ハンナアカム、準備できてるか」喜一は御者台のハンナアカムに声をかけながらその横に腰を掛けた。

「ああ、とりあえず次の目的地までの分はな。あと、ハンナでいい。しかし、お前は半日もたたずどれだけ悪にそまるんだ。謀り詐欺の次は人身売買だぞ人身売買。このド外道。」

「やぁまぁ大枠で言えば人身売買だが。実質誘拐に対する奪還だからな!俺は悪くねぇ!」建てた算段が全てうまくいった喜一はご満悦の顔を堂々とする。それにハンナアカムはため息を一つ深くした。

「世話をかけた。なんといっていいかそのわからない。いったいどうやってあの業突張りにナオ様を差し出させたんだ。」泣きはれた目でラティーナが礼を言う。

「いやな。仕立て屋でババアが香料を好んでるって言う話を聞いたもんでな。ちょうど手持ちに料理用の香料があったからそれを香水だってふっかけてナオと交換迫ったんだよ。」絶対食いついてくるって思ってたわ。と喜一きいちはラティーナに鼻高々と話す。

「香料。相当高い物だろう?それは。」ラティーナに予想通りのことを聞かれた喜一はいじわる気な顔をする。


「あぁそうだな。あの香料はむちゃくちゃ高いんだぞ。俺がいた世界で300円くらいする。お前がいくらになるかわからないと言っていたあの円盤が、館一つ分と交換になったあの円盤が300枚いるんだ。だから、わかってるよなぁ?お前らの俺に対する立場が、立ち位置がどの程度になってるかってのは?肉体奉仕1回どころでどうこうなる額じゃねぇぞぉお。いやあこれから夜が楽しみだぁなぁ。」喜一はにやにやと笑いながら流暢に語る。


「卵15個分くらいの値打ちのモノで幼女を買った上に侍従ともども脅すとは脅迫だぞ脅迫。この腐れド外道。」どうせこうなる事だろうと思ったハンナはあえて皆に聞こえるように言った。


「そこ黙れ! んまぁ、夜がどうのってのはまぁ冗談でだ、ここにいてもあのババアの魔の手におびえねーといけねーだろ? そんな中で河原に居続けるのも無理だろ。そもそもバラック焼け落ちてんだし。ってことで、あんたら俺について来い、いやついてきた方がいいんじゃないか?ってのが本音だ。」喜一は二人にニカッと笑いかける。


「おい、お前どういうつもりだ。」ハンナは眉を寄せる。

「いや、俺ってさ色男だろ? だからさ、戦う腕はからっきしだ。長旅になるのに戦えるのがお前一人じゃちょっと不安だからさ。ラティーナさんは腕が立つんだろ?」

「何が色男か。貴様はイロモノ男だ!」ハンナはそこに激しく突っ込みを入れてから

「まぁ、貴様が言うことは確かだ。旅の中守るために剣を振ってくれるものが私以外にいると言うのはとても心強い。それは確かだ。ラティーナほどの達者であればなおのことだ。」素直にラティーナの剣の腕をほめる。


「わかりました。ラティーナ。私は旦那様についていくことにしますわ。だって私は買われてしまったのですもの。あなたもついてきて彼に奉仕なさい。」ナオの言葉にラティーナは深く頭を下げて答えた。



「よし、こっちは話決まりだ!あと、ミューお前も行こうぜ。というか来てくれ!な!」喜一はミューに手を伸ばし旅の同行の握手を求めた。

「いいのか、悪魔の祝福者だぞ。」御者台からまたもハンナが割り込んでくる。


「それを言ったら俺は異世界よりの不法来訪者だぞ。悪魔のなんたら。それがこの世界でどれほどの嫌悪を持ったものなのか何か俺は知らんが俺はミューは悪い者でないと思う。だからいいと考える。俺は何も知らんからな。ミュー、彼女だけからそれを考える。それなら大丈夫だと思うけどな。ああ、言っとくけどお前らがミューをオッケーにしないってんなら、俺はお前らの思う通りには動いてやらんぞ。俺は俺の思うまま俺のために生きる。わかったな。」


「この頑固者。ということでな、そうらしいんだが一緒に来てはくれまいか?ミュー。」ハンナも短い時間であったが真っ先にナオの心配をしたミューの行動を見て悪魔の祝福者について自らの考えを改めた方がよかろうと思うところがありハンナもまた彼女に同行を求めた。

「いいよ。私此処にいても何もないから。あなた達がいいなら一緒に連れてって。」ミューは喜一の手をギュッと握り返す。

「よぉし決まった!えーっと目的地どこだっけ?なんたらのカンたら」

「ユーニミアにあるエランキアの深淵だ。」

「よっしゃ!目指すはエランキアの深淵!拍車を打て!なんかこういろいろ面倒なことになる前に出発だぁ!」御者台で喜一は前方を強く指さした

「馬車に拍車なんてない。」

「ハンナぁそこは気分とか気持ちとかそういうもんでなぁ。水を差すなよ!とにかく出発!」喜一きいちの合図に、馬車は軽やかに夜明けの来る東目掛けて車輪を転がし旅のわだちを刻み始めた。

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えくすとらべる 作久 @sakuhisa

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