新たなる一歩

「凄いな……二人共、この五年でそんなことをやってたのか」

「いや、隼人のが凄ぇって。アーカムの非常勤講師が言っていたあの事件、まさか隼人が関わっていたとは思わなかったぜ」

「うん。僕もロンドン協会で色々な事件に関わってきたつもりだったけど、やっぱり隼人には全然敵わないや」

「いや、俺はただ巻き込まれただけだって。不運だよ、不運」


 席に着いた俺たちは、時間を忘れてこの五年間に起こった出来を話していた。再開して少しの間はややぎこちなさもあったけれど、二人の体験したただ事ではない話を聞いている内、気付けばあっという間に打ち解けていた。


「でもさ、そんなことを言うやつに限って一番おいしい思いをするんだよな。ほら、覚えてるか? 五年前の、あのときのこと」

「あのとき?」

「紺ノがしゅうちゃんを水の中に投げ込んだあのときのことだよ。隼人はまっさきにしゅうちゃんを助けに行こうとして、俺たちは置いてけぼりにされちまってさ」

「あー、覚えてる。あれ、呪文を唱える役じゃなかったら僕が助けに行きたかったのにさ。あのときの隼人、凄くカッコ良かったよねー」

「ちょ、ま、待てよ。あ、あれは仕方なかっただけだろ。ほら、俺だけ手が空いてたっていうか……」

「なんて言ってるけど、どう思うよ、博」

「いや、これは被告人の言い分を聞かないとなんとも言えませんね。では被告人に問います。あのとき、僅かなりとも「やったーラッキー。俺、主人公みたい」と思いませんでしたか?」

「思っ……て、ねぇよ……」

「とのことですが、どうしますか、裁判長」

「こいつはギルティだな。“半ケツ”を言い渡す。この場で脱ぎやがれ‼」

「おまッ‼ それ、判決じゃなくて半ケツにしようとしてるんだろ‼ や、止めろ‼ マジで脱がそうとするなって‼」

「オレ、“帰宅女子”。日本語ワカリマセーン‼」

「帰国子女だろ‼ お、おい、博‼」

「フフ、は、半ケツ、それに帰宅女子って……フフフ……」


 五年の時を経て、色々と大変な思いをしたけれど、どうやら二人の根っこは変わっていないようだった。そんな二人の様子に辟易する半面、どうしようもなく安心してしまいそうになるのは何故だろう。今こうしている内にも、ズボンを脱がされそうになっているというのに。


「ちょ、店の中だぞ‼ マジで止めろって‼」

「ま、しょうがねぇ、このくらいで許してやるか‼」

「そうだね。それにほら、なんて言ったって、僕たちはしゅうちゃんにほっぺにちゅーしてもらった訳だし」

「おぉ‼ そうだったな‼ ダハハハハ‼ 残念だったな、隼人‼」

「僕が思うに、最後まで隼人だけ青瀬呼びだったのがいけなかったんじゃないのかな? フフフ」


 こいつら、言わせておけば調子に乗りやがって。よし、もう良い。もう分かった。あのときは子供が故の羞恥心で使えなかったこの事実を突きつけて黙らせてやる。


「俺だってあいつに、ちゅ――……キ、キッス、してもらったけど」

「「えっ⁉」」

「そ、それっていつ⁉ どこで⁉」

「あ、あれでしょ、また夢の中でって言うんでしょ⁉」

「いや、現実マジで。あのとき、苦痛龍を倒して砂浜で目覚めたら、キ、キスされてた。しかも、く、唇……に」


 唖然とした表情で沈黙する二人。よし、勝ったぞ。どうだ参ったか。思春期を乗り越えた今の俺に、ちゅ――キスの告白くらいどうということはないのだ。


 優越感に浸りながら前を見ると、二人は真っ白に燃え尽きていた。確かに、小学生という多感な時期に好きになった子が特別というのは痛い程理解できる。だがしかし、それにしたってこいつら、落ち込みすぎだろう。この様子を見るに、今までずっと青瀬のことを思い、今日まで恋人も作らなかったのではないだろうか。まぁそれについては、俺も人のことを言えた義理ではないのだが。


「そ、それにしても、青瀬のやつ、遅いな」

「お、おう‼ そうだな‼」

「ここ、日本で最近流行ってるメイドさんのカフェなんでしょ? ほらあの、「お帰りなさいませ」って言ってくれるやつ」

「おお‼ 俺もインターネットで見たぜ‼ で、でもよ、あれってつまり、そ、その、エ、エッチな店じゃないんだよな……?」

初心うぶか! そういう店じゃないわ!」

「そ、そうか。でも、でもよ……何にせよ、ああいう恰好をしゅうちゃんがするってこと、なんだろ……?」

「まぁ、うん……」

「そういう、ことだよね……」

 

 沈黙する俺たち。恐らく三人が三人とも、各々成長した青瀬に思い思いのメイド服を着せる妄想をしているに違いない。そんなややいかがわしめな妄想にふけっていると――。


「君たち、本当に元気だね」


 そう言って、この店の店員と思しきカウンターにお兄さんが、トレイに飲み物を乗せて隣に立っていた。


「あ、す、すみません。うるさくしてしまって」

「いいよいいよ。久しぶりの再会なんだから、大いに騒いじゃってよ」

「おぉ‼ 兄ちゃん気前が良いなぁ‼ それに顔も男前だぜ‼」

「ありがとう。大地君の髪型もカッコいいよ。それ、エルビス・プレスリーかな?」

「分かるのか⁉ すっげーな、顔が良い上に“迫撃”なのか‼」

「大地、それは博識だと思うよ」

「おっ? …………、お、おぉ! …………、おぉ?」

「博君も。そのパーカー、凄く似合ってるね。流石はイギリスからの帰国子女。センスが良いなぁ」

「あ、ありがとうございます。…………、んん?」

「お兄さん、もしかして俺たちのことを知っているんですか?」

「いや、知っているって程じゃないよ。ただほら、色々と聞いていたからさ」


 聞いていた。それは今の俺たちの会話のことだろうか。もしくは予め青瀬から聞いていたとか。最初のカウンターでのやりとりや、今日のことを知っている様子からしても、やはり後者の可能性の方が高いかもしれない。


「あぁ、そうなんですね。あの、騒いじゃって本当にすみませんでした」

「いいってば。今日は君たちの貸し切りだから、誰にも迷惑はかからないよ」

「貸し切り? あぁ、だから他に誰もいないんですね。あ、そう言えば、青瀬……さんはここに来ていないんですか? 俺たち、手紙で呼ばれてここへ来たんですけど」


 そう言って、俺は青瀬から送られてきた手紙をお兄さんに見せる。余談だが、その可愛いデザインの封筒の裏には「隼人へ」と、女の子らしい丸っこい文字で俺の名前が書いていあるのだ。


「うーん……実は、君たちが来るよりも前に待機していたんだよね。ただ、暫くぶりに三人に会うからって、恥ずかしがって皆の前で出て来られないみたいだ」

「えっ⁉ じゃ、じゃあもうここにしゅうちゃんがいるのか⁉」

「あぁ、そうだね。これ以上待たせるのも悪いから、そろそろ呼んでこようか」

「えっ⁉ あっ、ちょ、待っ――」


 と、引き留めるように声を発したときにはもう遅かった。既にお兄さんはバックヤードへ下がり、間もなくこの場所に青瀬を連れて来るだろう。


 落ち着け。落ち着け、梅原隼人。そもそも俺は青瀬に、成長した青瀬に会いに来たんじゃないか。言いたいことが沢山あるんだ。あの後どうだったのかとか、あのとき、どうして俺にだけキスしたのかってことを。俺、汗とか掻いてないないだろうか。服はダサくはないだろうか。待ってくれ、やっぱりまだ、心の準備が――。


 そのとき、コツコツと、ハイヒールの踵が床を衝く音が聞こえてきた。すると俺たち三人はその場でピンと畏まり、軽く俯いたままの姿勢でその瞬間を待つ。


 心臓の鼓動が早い。口の中がカラカラに乾いている。脂汗が出てきた。俺、なんて言うんだっけ。お元気でしたか? 本日はお日柄も良く? 付き合って下さい? ヤベェ、駄目だ俺、完全に頭がパニくって――。


「ひ、久しぶり……」


 声を掛けられた瞬間、心臓が跳ねて頭が真っ白になった。どうしよう。言いたかったこと、結局全部吹き飛んでしまった。視界の先に、白いエプロンと黒のスカートが見える。やった! メイド服だ! いや、あんまり下をジロジロと見るのは失礼だろうか。だけどこんなの、もうどうしたって目を逸らさずにはいられなくて、あぁ、でも――。


「……ん?」


 視界の端に、何かが映る。スカートと長いソックスの間に見えたそれは太腿。別にいやらしいつもりで言ったんじゃない。ただチラリと見えたその脚部のビジュアルが、ガシッ! っという効果音を伴っているかのように逞しいのだ。それになんだか毛も濃いような。少なくとも、多分俺よりは。


 それに今、もう一つおかしな点が無かっただろうか。そうだ、声だ。ハイトーンはハイトーンなのだが、女子にしては明らかに低く、こういった言葉を当てはめるのが正しいのかは分からないが、どこか“あざとい”というか。


 違和感に耐え切れず、俺たちは顔を見合わせた後、ゆっくりと声の方を向く。するとそこには、青瀬とは別の誰かが立っていた。もっと正確に言うならば、先ほどまでカウンターに立っていたお兄さんが。しかもその恰好というのが、正に今風なメイド服で、なんというか、こんなことを言っては失礼極まりないとは思うのだが、その恰好は違和感を通り越して最早化け物モンスターとしか言いようが無いのだ。


「えっと……あの、お、お兄さん?」

「そんな他人行儀じゃなくても良いじゃない。ほら、昔みたいにしゅうちゃんって呼んでよ」

「えっ、ちょ……えっ、あ、いや……はい……?」

「だからね、俺がしゅうちゃん」


 凍り付く空間。戦慄する空気。告げられた言葉の意味が理解できず、混乱して何も言えないでいると、狼狽えながらも大地が先陣を切るように口を開いた。


「う、うう、嘘だぁ‼ 嘘を吐くな‼ お、俺がアホだからって、そん、そんな……だ、騙されないぞ‼」

「嘘じゃないよ。俺がしゅうちゃんだって。あっ、ちなみに本名は“青瀬秀三しゅうぞう”ね」

「しょ、証拠は⁉ 証拠はあるんですか⁉ あ、貴方がしゅうちゃんだっていう確たる証拠は‼」

「はいこれ、戸籍情報。住民票やら免許なんかで本名住所年齢は証明できるけど、それでもまだ信じられないって言うなら、うちの母さんに会って行ってよ」

「しゅうちゃ……秀三さんの、お母さんの名前は……?」

「青瀬晴美。今でも青瀬旅館を切り盛りしていて、今日三人が来るって話したら、五年前はお握りしか作ってあげられなかったから、今度こそご馳走を作るんだって張り切っていたよ」

「な、何故あのとき……お、女の子のフリを……?」

「いやぁ、俺って昔は女の子と間違われるくらいに可愛くてね。だから、前は時々ああやって誰かしらを揶揄っていたりしたんだ。ま、あの事件の後にはどんどん男らしくなっちゃって、流石にもう誤魔化せないけどさ」

「じゃあ、その格好は……な、なんで……?」

「あぁ、これはただの趣味だよ」


 あの夏、窓際で初めて出会ったときのこと。海で泳いで負けた時、確かに抱いた微かな恋心。彼女を追って歩いた、暑い日の道。夢に現れ、気丈な彼女が見せた一縷いちるの儚さ。最後の瞬間、唇に触れたあの柔らかくて塩辛い感触。


 次々と明かされてゆく真実。その度に積み重ねられる、彼こそが現実で、彼女は幻だったのだという事実。あれは全部、嘘だったというのか。


 全てが嘘。全てが幻。この五年間、追い求めてきたものが全て虚構であったという事実を突きつけられた俺たちのショックは計り知れず、しかしこの三人の間では、例え言葉を介さなくとも、互いの気持ちは痛い程理解できてしまう。


 それが分かっていながら、否、分っているからこそ、自らが負った傷の痛みを誤魔化そうとしたのだろう。突如俺の目の前で、大地と博が――。


「い、いえーい‼ よ、良かったは隼人‼ お前、しゅうちゃんのこと好きだったんだろ⁉」

「そ、そうだよね! だって、ほらその……ちゅ――キ、キスしてもらったって、自慢していたじゃない」


 なんてことを言い出した。こいつら、俺を槍玉に上げて笑い話にすることで、自分の負った痛みを誤魔化そうとしていやがる。クソ、そんなことをしたって、どうせ後で自分が辛い思いをするっていうのに。どうすんだよ、この空気。笑い話にしろって言われたって、こんな精神状態じゃ、俺だって……。


「あー……、俺、今はこんなだけどさ。でも、あのとき助けてくれた隼人のことは嫌いじゃないっていうか。むしろ、五年間ずっと気になっていたし、なんて言ったら良いのかな……その、隼人、カッコ良くなったよね」


 と、二人の野次を真に受けてか、頬を赤らめて秀三さんが言う。


 えっ、ちょ、えっ……これ、そういう流れ? いや、いやいやいや、俺、普通に女の子が好きなんですけど。これ、冗談だよな。だってほら、確かに昔は女の子みたいだったけど、今はもう完全に秀三さんな訳で。ていうか、顔、近――。


 気付いたとき、俺は店の入口へ向かってダッシュしていた。最短距離、最効率の歩幅でその場所まで辿り着くと、俺はそのままドアノブ捻って脱出を試みる。が、しかし。


[不思議な力によってドアは開かなかった]


 不思議な力ってなんだ⁉ ふざけんな‼ こんな所で俺の初めてが奪われてたまるか‼ いや、初めてというならば、海でした青瀬とのキスが初めてなのだけれど。でも、結局それは青瀬からのキスではなく、秀三さんによるものだった訳で。だがしかし、結局のところ、青瀬も秀三さんも同じ人物な訳で……。


「ち、ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉッ‼」


 と、俺は色々な感情を入り混じらせて叫ぶことしかできなかった。


 世の中、知らない方が良いことというものがある。しかしその対極には、知らないが故に苦しみ続けるという現実があることもまた事実だ。今回の俺は間違いなく前者に当たる訳だが、それでもこの場所へ足を運んでいなければ、後者でずっと苦しむことになっていただろう。ならば結局、その二つのどちらで悩めば良いのか。それは、今こうしている俺にも分からない。


 ただ一つだけ言えることがある。それは今日、俺はまた一歩、大人に近付いたということだ。

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少年神話~The Boyhood en:Cosmicism~ 黒ーん @kulone

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