After.

神話のその先で

 暑い。ミンミンと蝉の無く声が辺りから聞こえる。駅を出てから大して歩いた訳でもないのに、噴き出した汗でシャツが体に張り付いて気持ちが悪い。然程歩かないことが分かっていたいたからと油断していたが、今は飲み物の一本でも買っておけば良かったと切実に後悔している。


 あれから随分と経ったが、あのときもこの場所はこんなにも暑かっただろうか。何せ子供の頃の記憶だし、それに起こったことがことなだけに、気温のことなどすっかりと頭から抜け落ちてしまったようだ。


 あぁでも確か、海で泳いだ後に歩いた道すがら、あいつらと暑い暑いとヒイヒイ言いながら、飲み物を求めて駄菓子屋を目指したんだっけか。ならばこの暑さは、きっとずっと変わらずにこの場所にあるものなのだろう。


 だけど、何もかもが変わっていない訳じゃない。あのときは碌に買い物をする場所も見つけられなかったけれど、今では駅前にコンビニや小さな書店が建ち、心なしか子供の数が増えたような気がする。そう言えば、来年には隣の町と合併して、ここは村ではなくなるのだとか。きっと苦痛龍を退けたことで、気兼ねなくテコ入れをすることができるようになりつつあるのだろう。


 あの夏、神話の出来事のような夏休みから五年が経った。現在俺は高校二年生で、来年にはもう受験生だ。そして今、俺は玖津村へと来ている。五年も経ったのだから、少し歩けばノスタルジーな気持ちにもなろうかと思ったのだが、案外そんなこともなかった。まぁ、それもそうだろう。何せあのときはのんびり村を見て回る余裕なんてなかったのだから。それに、五年前にはいた友人が、大地と博が、今は隣にいないからだ。


 では何故、俺は今こんな場所に足を運んだのか。それは――。


「ここ、か……」


 目の前には“本格純メイド喫茶 LITTLEリトル BAYベイ”と看板を掲げた店が鎮座している。いや、いやいや、純喫茶なのにメイドって、それは最早純喫茶とは言えないのではないか? まぁ、ちゃんと然るべき許可さえ得ているのであれば、店名をどうしようと勝手なのだろうが。それにしても胡散臭いことこの上ないな。そもそも、こんな田舎でこの風潮は果たしてウケるのだろうか。


 俺は仕舞ってあった手紙を取り出すと、そこに書かれている手書きの地図と辺りの様子を見比べる。うむ、どうやら目的地はここで間違いないようだ。


 そう、今回俺がここへ来た理由。それは五年越しに、青瀬のやつから手紙が届いたからである。CAPでの検査が終え、体力を取り戻した青瀬は、現在では日常に復帰し、現在この村の喫茶店でバイトをしているのだとか。


 手紙の内容を大まかにザックリと説明すると、あのときのお礼がしたいから、是非青瀬の働いているバイト先へ遊びに来てほしいという内容だ。まぁ、俺としては、別に特別なことをした訳じゃないし、見返りがほしくてあいつを助けた訳じゃないけれど、でも、わざわざ断るのはなんか感じ悪いし、大地と博に青瀬の近況を報告してやらなくちゃと思っていたし、それに、それに……。


 いや、正直に言おう。もしかしたら何かあるんじゃないかって、実はめっっっちゃ、期待してる。子供の頃にはクールで気障きざなやつを気取っていたが、本当は青瀬のことがずっと気になっていたし、それに、子供の頃から抜群に可愛かった青瀬の成長した姿を、是非この目で見たいと思っていた。


 しかも、ここは純とは銘打っていてもメイド喫茶なのだ。であるならば、この場所で働いている青瀬の格好は、つまり……。


「…………、……ん、んん!」


 妄想を振り払い、緩んだ気を締め直すように小さく咳き込むと、窓に映った自分の容姿を確認して適当に身形を整える。予定していた時刻よりも少し早いが、これくらいならば誤差の範囲だろう。


「……フー。よし」


 意を決してドアを開けると、カランコロンと子気味の良いベルの音に出迎えられる。すると――。


「お帰りなさいませ、ご主人様」


 そんな声に出迎えられる。が、これは俺の求めていたものじゃない。何故ならそう出迎えの声を掛けてくれたのは、カウンターに立つ男性だったからだ。小麦色に焼けた健康そうな肌に、細身ながらも筋肉質な肉体。歳の頃は俺より少し上くらいだろうか。キリっとした精悍せいかんそうなその容姿に、ジャケットやベストを完璧に着こなすその様相は、誰が見てもイケメンと思うだろう。


 ちっ、なんだよこの店は。メイド喫茶じゃなかったのかよ。これじゃあ表の看板は、胡散臭いどころか詐欺ってものじゃないか。なんてことを考えながらも、平静を装い、疑問を口にする。


「あー……えっと、その……。俺、あ、いや僕、ここで待ち合わせをしていて……」

「はい、あちらの席でもう一人お待ちですよ」

「えっ、一人って、それはどういう……」

「隼人?」


 声をかけられた方を見ると、男が一人、ボックス席から顔を出していた。身長体形は俺とそう変わらない。ノースリーブの黄色いフードの下は、夏なのにやや色白目な肌。寝不足であるのか、目の下に薄いクマを浮かべたその顔は、五年前の俺の記憶とは少し違っていたけれど、それでも見間違える筈がない。あいつは――。


「博……えっ、ひ、博⁉」

「やっぱり! やっぱり隼人だ!」


 俺と博は同時に駆け寄ると、店の中であるにも関わらず、抱き合って再開を喜び合った。


「久しぶりだな、博!」

「隼人も! 背、伸びたよね?」

「それは博もだろ! あのときは俺たちより少し小さいくらいだったのにな」

「ジュニアスクールの頃から最近まであまり変わらなかったけど、去年くらいから一気に伸びたんだ。成長痛が大変だったよ」

「そっか。いやそれより、どうして博がこんなところにいるんだ?」

「それは多分、隼人と同じ理由だと思うよ」

「て、ことは……博も青瀬から?」

「うん、イギリスまで招待状が来たんだ。急なことだったから、隼人には連絡できなかったんだけどね」

「そっか、そっか……でも俺、なん、て、言ったら良いのか……」

「うん……うん……」


 言いたいことが沢山あった。聞きたいことも。でもいざ博を前にすると、嬉しくて、嬉しくて、頭に湧いて来る幾多もの言葉を口にすることができなかった。


 そうして少しの間、感極まった俺たちは二人で手を取り合ったままでいると、入口のベルが音を立てて開かれる。するとそこには――。


「えっ、マ、マジかよ……そ、まさ……えっ、えぇ⁉ は、隼人に、博⁉」


 そこには、大地が立っていた。


 大地のことも、すぐに大地本人だと確信した。俺たちと同様に成長はしているけれど、デカい声にやんちゃそうな顔つき。それに何よりも、夏だっていうのにスタッズの付いた真っ赤な革ジャンを着ているところなど、あのときのままの、アホ丸出しな大地そのものだったからだ。


「「大地‼」」


 お互いに姿を認識するや否や、俺たちは一斉に駆けだして、いつかのように体をぶつけ合うように抱き合った。


 俺たちに再開の言葉は無かった。けれど、そんなことをするまでもなく、きっとこのとき、口で伝える必要なんて無いくらいお互いに気持ちが伝わっていたんじゃないだろうか。

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