第5話 稀代の悪女に名を連ね

 群青のローブをまとったエルダリオンが、真直ぐにラヴィニアに向かって歩く姿に、会場はシンと静まり返った。

 ため息ひとつ聞こえず、ただ、動揺を隠せない無数の人々から発せられるかすかな衣擦れの音だけが、サラサラと大広間を満たしていく。

 群青のローブをまとった魔術師が膝を落とし、王国一尊く令嬢の手を取る様を、誰もが息を飲んで見守っていた。

 

「ラヴィニア・ドラクロワ様。初めて出会った日からずっと、貴女だけを見てきた。嘘偽りない愛で慈しみ大切に護ると約束する。俺の花嫁となり、共に生きてほしい」


 意志の強さを宿した瞳に射抜かれて、ラヴィニアは言葉に詰まった。

 貴族令嬢への求婚としては率直すぎるし、自分の事を「俺」なんて言ってしまうほど言葉も切羽詰まらせていて優美なスマートさからは程遠い。

 けれど、わずかなブレもなく真っすぐに求められる心地よさに打たれて、淡く涙を浮かべながらフワリとラヴィニアは微笑んだ。


「喜んで。どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」


 一つ一つの言葉をかみしめるように答えながら、自分の手を支えるエルダリオンの指先をキュッと握りしめた。

 その途端、ぶつかる勢いで立ち上がったエルダリオンが、思わずといった調子でラヴィニアを抱き上げた。

 嬉しさのあまり付け焼刃の貴公子の皮がはがれてしまったのだ。

 

「やった! 絶対に大事にするから、今日から俺だけのお姫様だ!」


 子供のようにはしゃいでクルクル回るものだから、感情を隠すことに長けたラヴィニアも平静を保てず、恥ずかしさで真っ赤になっている。

 そんなラヴィニアの様子もなんのその。やっと回るのをやめてエルダリオンが感極まったようにギュッと抱き締めたところで、ガツンとドラクロワ侯爵の鉄拳が後頭部に炸裂した。


 調子に乗るなと怒声が飛ぶ寸前に、舞踏会の始まりを告げるファンファーレが合図として鳴り響き、大広間に音楽が鳴り響く。

 朗々とした王太子の声が舞踏会の始まりを告げ、王家の者が中央に躍り出てファーストダンスを踊り出す。それだけで、騒然として見守っていた周囲の視線はエルダリオンとラヴィニアから離れていった。

 つい先ほどまで息子に肩を握りつぶされそうになって顔色が白くなっていた国王も、美しい王妃に慰められて艶のある顔色を取り戻して優雅に踊っている。

 今回、婚約者候補を白紙にした王太子だけは壇上に残っていたが、目線でエルダリオンに退出の許可を出した。


 その視線を受けて、エルダリオンはラヴィニアの腰に手を回し、舞踏会の会場から別の場所に転移する。

 夜会会場に残って、挨拶に押し寄せようとタイミングを見計らっている貴族たちに囲まれたくはなかったのだ。

 ドラクロワ侯爵は何か叫んでいたが、転移してしまえば聞こえない。


 突然周囲の景色まで変わり、恐ろしくてギュッと魔術師のローブをつかむラヴィニアだったが、すぐに甘い花の香りで移動した場所がどこか分かった。

 王城の中であることは変わらないが、花々に満ちた庭園である。

 二人が初めて言葉を交わした場所であることに、すぐに気づいた。


 抱きしめていた腕が離れ、見つめ合ったが、すぐには声を出せなかった。

 お互いに、何から話せばよいのかわからなかったのだ。


 不意にエルダリオンがパチンと指を鳴らす。

 その瞬間、ブワリと淡い光の粒が舞い上がり、キラキラと輝きながら青い蝶へと変化する。

 光を散らしながら、ふわりふわりと優雅に舞う魔力から生まれた蝶の姿は幻想的だった。

 その情景に魅入られ、うっとりと魅入っているラヴィニアに、虹色の薔薇が差し出される。


 

「ラヴィ。結婚してくれる? 本当に俺でいい? ああ、ラヴィってやっと呼べる」

「もちろんよ、エル」


 小さくガッツポーズを決めて浮き立つエルダリオンに、ふふふとラヴィニアは笑って薔薇の花を受け取った。

 子供の頃は身分差ゆえに断られたけれど、婚約者になれば愛称を呼ぶことが許される。

 たったそれだけのことではしゃいでしまうエルダリオンと同様、ラヴィニアの心も舞い上がり華やいでいた。

 子供時代には叶わなかったささやかな望みが叶い、気持ちだけ幼少時に戻ったのかもしれない。


「エル、ありがとう。ずっと貴方をエルって呼びたかった」


 お互いに初恋だと知って頬を赤らめ、意味もなく飽きるまで愛称で呼び合い、今まで会えなかった時間を埋めるように抱きしめ合う。

 しばらくハグをして、ようやく心が鎮まってきたころに、ポツポツとエルダリオンが今日までの経緯を軽く説明した。


「黙っていたら騙すのと同じだから、ラヴィには言っておく。幻想の魔術師なんて呼ばれても、俺に英雄じみた力はない」


 ぶっちゃければ、ドラクロワ侯爵の計略である。

 ラヴィニアの王太子妃の道を分断するついでに、婿候補を探していたドラクロワ侯爵のお眼鏡に、たまたまエルダリオンが叶ったのだ。

 貴族社会のしがらみに縁がなく、王家に取り入るような野心も皆無で、傀儡のように唯々諾々と従わずに自分の頭で考えて動ける婿となると、見つけるのも困難である。

 幸い、エルダリオンは孤児だが、後ろ盾は王国の筆頭魔術師シルヴァンドールが控えてるし、魔術師は基本的に野心や権力とは縁が薄い。

 かといって魔術バカでもなく、理不尽には抗う気概があり、それなりに実力を持っているものとなると、希少生物並みの価値がある。


 エルダリオンの調査をして、これは使える、と思ったドラクロワ侯爵に目を付けられたその日から、貴族家に迎い入れられるだけの実績を作り出す計略が始まった。

 魔術師の仕事と同時に侯爵家の当主補佐の勉強を強いられることになり、かなり苛烈な日々となる。

 もちろん、ご褒美はラヴィニアとの婚姻がぶら下がっているし、唯一の癒し時間である護衛任務でラヴィニアの様子も伺えるから、エルダリオンは全力で頑張った。

 そして、エルダリオン自身の価値を上げるために、ドラクロワ侯爵は二つ名を作り出して世にも広めた。


 そして今日の褒賞授与は、それら仕込みの集大成。

 侯爵の思惑に乗った王太子の悪ノリも加わった、一種の茶番劇である。


「残念ながら、王国魔術師の中でも実力は中の上。二つ名なんてもらえるような腕は持ってないけど、嫌になったりしないか?」

「ならないわ。わたくしが好きになったのは、泣いている女の子にハンカチを差し出して、綺麗な花をくれた優しい男の子ですもの」

「そうか、それならいい」


 そして手をつなぎ、ふたりでゆったりと庭園を散策する。

 魔法で生み出された青い蝶が、ひらひらと周囲を照らしながら先導する。

 思いつくままに、相手の事を知るための問いかけが繰り返された。

 深い意味のない会話も、相手の事を知るささやかな手掛かりになるから、話は尽きない。

 手入れをされ美しく咲いた花々は、夜闇の中で甘く香っていた。

 とりとめもなく話していたエルダリオンが、突然ポツンとつぶやいた。


「俺は作られた張りぼての英雄で、お姫様の父上や王太子殿下からしてみれば、手軽に動かせて潰しがきく使い勝手の良い駒だと思う」


 小さく「まぁ!」と驚いてから、ラヴィニアは小さな口をとがらせる。

 否定をしたかったが、絶対に否定出来ないと思ってしまったのだ。

 腹黒い二人の性質をよく知っている故に、今までエルダリオンを振り回してきたことも簡単に予想がついたし、この先もなんだかんだと新婚生活を邪魔される予感がした。

 そんなことはさせない、とラヴィニアの心の中で、ちょっかいをかけてきそうな困った相手に対抗するための炎が燃え上がった。


「わたくしの大切な旦那様を駒扱いするなんて許せませんもの。二度と手出しさせませんから、安心してくださいませ」

「それはまた、悪女らしくていいな」


 ハハハっと愉しそうに笑うエルダリオンに、ふふふとラヴィニアも微笑んだ。

 歴代のラヴィニアたちの逸話が示唆してくれるから、清廉な淑女でなくとも許されるのだ。

 豊かな胸を張り、軽くあごを上げて、高慢な口調で宣言する。


「そうよ。わたくしはラヴィニア・ドラクロワ。稀代の悪女の一人ですもの」





 その後、ふたりはつつがなく婚姻を結んだ。

「幻想の魔術師」の妻であるラヴィニアも、婚約時の予想通り、先人のラヴィニアたちと同じく歴史書に記述されることとなった。

 かつて婚約関係にあった国王をコケティッシュに翻弄し、夫である幻想の魔術師と共に災厄を打ち払い、国に貢献して実績を残していく。


 王国の繁栄に関わるここぞという要所で存在感を示す貴婦人。

 故に、ラヴィニア・ドラクロワ女侯爵も、稀代の悪女である。


【おわり】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

稀代の悪女に名を連ね 真朱マロ @masyu-maro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ