第4話 夜会にて

 王国を揺るがせた王太子の婚約を巡る騒動から三カ月。

 王太子の誕生の祝いを兼ねた、華やかな夜会が開催された。

 伯爵位以上の貴族が集う豪奢な舞踏会で、シャンデリアが照らす大広間には、煌びやかな衣装をまとった紳士淑女が優雅に集う。


 事前に重大な発表が成されると告知されていたことから、自然にラヴィニアに視線が集まった。

 なにしろ、王太子妃教育を受けていた中で、唯一残った令嬢である。

 教養も立ち振る舞いも動じない気質も、総合して個人の資質は元より高い。

 王太子妃の座に就くための障害は、侯爵家の跡取り娘だという、その一点だけだ。

 王太子妃選定に関する内々の情報や、今後の王国の動向もつかんでいる可能性があると思われていた。

 

 ソワソワと落ち着かない期待を込めた数多の眼差しを、ラヴィニアは貴族らしい優美な微笑みで綺麗にやり過ごした。

 今宵のパートナーは父であるドラクロワ侯爵自身なので、無言で威嚇するその眼差しを越えて近づくような勇者は現れず、挨拶以上の声をかける隙もない。


 もし近付いて何かしら探りを入れられたとしても、実際のところこの夜会には出席するだけで良いと父から告げられ、それ以上の情報は与えられなかったのでラヴィニア自身は何も知らないのだ。

 いつもと違う何かがあるとすれば、父のドラクロワ侯爵がドレスを用意した事だろうか。

 今までは王族から公的社交への支度品として王太子色を刺し色にした、甘さの中に艶のある美麗なドレスが支給されていた。


 今宵のラヴィニアは、青銀を基調にしたグラデーションのドレスをまとっていた。

 華やかに結い上げた銀髪を彩る髪飾りも、豪奢なアクセサリーの宝石も煌めく濃い青で、爽やかな蒼天の瞳が印象的な王太子の色ではない。

 今までの印象の一切を排除した、豪奢で大人びたドレスである。

 細い腰や大きな胸を強調しつつも、匂い立つような色気は抑えられ、不思議と清廉な印象を見る者に与えている。


 艶やかなラヴィニアを清楚に彩るドレスの出来に、制作依頼に率先して関わった父・ドラクロワ侯爵は「亡くなった君の母もこうやって私色に染め上げたのだよ」と懐かしそうに目を細めた。

 嬉しそうな父の眼差しを嬉しく思いながらも、ラヴィニア自身はドレスの色を意外にも思っていた。

 青銀はドラクロワ侯爵家の色だが、定番の衣装は月光を溶かし込んだ淡い銀の色彩である。


 けれど、今回のドレスは夜の印象が強い。

 裾が青銀色した夜の湖で、襟元は星空を模した夜色の華麗な一着で、大胆なカットが施され胸の谷間を美しく強調し、夜闇の中を舞い踊る蒼い蝶が刺繍で彩られていた。


 青味の強い銀から上に向かう黒へのグラデーションは、ふと、エルダリオンを思い出させた。

 婚約者候補の令嬢たちの事件が解決すると同時に、エルダリオンの護衛は解かれている。

 自家の子飼いではないのだから、仕事でなければ関わる事がないとわかっていても、ある日突然会えなくなったのでラヴィニアは残念に思っていた。

 せめて、お別れの挨拶ぐらいは直接伝えたかったのに、ままならぬものだ。


 そんなことを考えているうちにファンファーレが鳴り響き、王族の入場が始まった。

 王女と、その婚約者。続いて、王太子と国王夫妻。

 そして、何故か魔術師と騎士が数名、同じ扉から入ってきた。

 王族は壇上に上がったけれど、続く魔術師と騎士たちは下に並んで控えている。

 なにが始まるのか予想もつかずざわめく一同を、国王が片手を上げて制した。


「静粛に。皆、良く集まってくれた。王太子ともども、今日の日を迎えられたことを嬉しく思う」


 朗々と声は響いたが、国王陛下は少し疲れた顔をしていた。

 そして、寿ぎの言葉の後に、当たり障りのない言い回しで、王太子の婚約者候補の選定はいったん白紙になったことが周知された。

 とはいえ、いつまでも空席にするわけにはいかないから、改めて候補者を探す予定であると続けたところで、ポン、と王太子が代われとばかりに父王の肩を叩くのが見えた。

 国王の言葉を遮るのは異例であったけれど、父王の肩をいたわるように手を添えて微笑む王太子を阻む者はいなかった。


「私の婚約者に関する次期選定にて、以前からの望み通りラヴィニア・ドラクロワ嬢は名を外す。長きにわたり国のため、民のために、学び続け、尽くしてくれたことに感謝する。今から、貴女は自由だ」


 ラヴィニアにやわらかな笑顔を向けて個人的な感謝を口にした王太子に、ハァ?! と言いたげな顔を一瞬した国王陛下が、急に表情をこわばらせた。

 よくよく見れば肩に置かれた王太子の手の指関節が白くかなりの力が込められていたが、口元を引き結んで国王は耐えている。

 気づいた者はほとんどいないだろうが、目のいいラヴィニアにはしっかりと見えたし、エスコートをしているドラクロワ侯爵はざまぁみろと言いたげな悪い笑顔を浮かべた。


「今日は喜ばしい報告もある。近年、王国内で起こった魔獣被害や災害の事は皆も知っているだろう。各地に飛び復旧や討伐に貢献した我が国の精鋭たちの中でも、著しい働きを見せた者に褒賞を与える事とする」


 小さな災難の一覧は会場の後ろに張り出していると言い、王太子は大きな戦歴を口頭で並べていく。

 中でも大きなどよめきが上がったのは、先月、穀物地帯に出現したワイバーンの群れを退けた偉業である。


 魔物が放つ魔力は土壌を腐らせる。

 飛来してすぐ去るならともかく、居着かれたら豊かな土壌そのものが穢れを帯び、復興までの数年は耕作も出来ず飢餓を招いたかもしれない。

 王国の台所を守った功績は大きいと、関わった騎士団大隊にも褒賞が与えられたことを告げられた。


 中でも目覚ましい働きをした者は、特別に夜会の場に招かれていた。

 王太子は共に入城してから檀下に控えていた騎士と魔術師の名を一人ずつ呼んで、何を望むかを尋ねていく。


 ある者は没落した家の再興を、ある者は王太子の近衛への志願を、ある者は病に苦しむ親のために貴重な薬草を、それぞれの願いを口にする。

 王太子は一人一人に大きくうなずいて、褒賞として叶えると確約しながら「これからも励めよ」と爽やかに微笑んだ。


 そして、最後の一人は魔術師だった。


「エルダリオン・シルヴァンドール、幻影の魔術師の名を持つ者よ。きみは何を望む?」

「二つ名を得ただけの一介の魔術師でありますが、貴族の御令嬢に求婚する権利を頂きたく存じます」


 丁寧な魔術師の礼をしてハッキリと告げたエルダリオンに、成り行きを見守っていたラヴィニアは思わず息を飲む。

 今まで、姿を見るだけで満足して胸をときめかせていたので、エルダリオンが恋願う令嬢が現れるという、当たり前のことに気が付いていなかった。

 その幸運な令嬢はどこの誰だろうと考えても、エルダリオン自身の事を何一つ知らない事に気付き、気持ちがズンと沈んだ。

 硬く表情をこわばらせたラヴィニアだったが、王太子とエルダリオンの会話は続いていた。


「求婚の権利だけでいいのか? 望むなら婚姻まで手配するが」

「断る権利も与えねば、相手にとってはただの災難になります故。許可さえいただければ全力で口説きます」

 

 エルダリオンはキリリと顔を引き締めて答えたが夢を見ているような、ふわふわとした不確かな気持ちだった。

 調べればわかる事だが、エルダリオンはスラムの孤児だった。

 たまたま才能を見出され、師匠に引き取られたから魔術師になれたが、本来なら王城にこうして足を踏み入れるのも叶わない、取るに足りない存在だった。

 王宮魔術師になれたことも幸運だが、爵位と同等の権威を持つ二つ名まで得た。


 一目惚れした貴族の綺麗なお姫様を目で追っているうちに、ドラクロワ侯爵との縁ができた。

 貴族間ではさほど広まっていないが、市井や軍部にまで「幻影の魔術師」の名を広め演出したのはドラクロワ侯爵で、出会いの果てに得た類まれな僥倖だった。

 エルダリオンには、胡散臭い雰囲気で娘大好きな御父様の顔しか見せないドラクロワ侯爵だが、そこから伸びた縁は目の前で爽やかに笑っている腹黒な王太子なのだから、人生とは不可思議なものである。


「許す。今、口説け。私が見届けてやろう。証人はここに集った全員だ」


 他者の介入はいらないと目で訴えるエルダリオンを、王太子は綺麗に無視した。

 ハハッと声を上げて笑い、王族の傲慢さを発揮してクイッとあごで「行け」と示す。

 優美で清廉な顔立ちに騙される者も多いだろうが、完全に面白がっているその表情に、当のエルダリオンは眉間に深いしわを刻んだ。


「いや、これだけ多くの人の前での公開プロポーズだと、無理強いと変わらないだろ」

「侮るなよ、場に流され、意に添わぬ是を返すような令嬢ではない。なに、ふられたらとっておきの酒で慰めてやるから、当たって砕け散れ」


 褒賞授与の場というのに非常に砕けた物言いで「行け」と指示する王太子の表情に、逃げられないと理解してエルダリオンは覚悟を決めた。王族の圧には逆らえない。鷹揚な笑顔を作っていても、いっさい目が笑っていないので、背筋がヒンヤリと冷たくなっていた。


 振り向いて、まっすぐにラヴィニアを見る。

 ドレスをまとい着飾ったラヴィニアは、いつも以上に綺麗なお姫様だった。

 幼い頃に庭園で出会った時、一目惚れしたのは事実だが、それはエルダリオンだけの気持ちだ。

 相手の気持ちはわからないし、ラヴィニアは目が合った時に嬉しそうな表情をしてくれるから嫌われてないとは思っているが、それだけだ。


 ドラクロワ侯爵も王太子も、派閥問題は起こらないが使い勝手の良い「幻影の魔術師」を彼女にあてがうために、この茶番劇を仕掛けたのだが、肝心の主役だがその役割を知らない。

 ぶっつけ本番で求婚するという荒業を披露させられるのは、理不尽だが余計な横やりを防ぐためにも致し方ないことだ。


 目が合うとビクリと震えたラヴィニアに、胸の奥までかき混ぜられるような気がした。

 余裕のある歩調でゆったり歩くが、魔物討伐よりも怖いと気ばかり焦る。

 惚れたとか求愛だとかそんな欲はエルダリオンだけの心情で、お互いに言葉を交わし関係を育てた事実はないので息が詰まりそうだ。

 彼女の元に走り寄りたいような、いっそ背中を見せて走り去りたいような、相反した衝動がわくのを必死で抑えるが、のどがカラカラだった。


 一歩、一歩と近づいて、小さくフルフルと震える佳人の前で、エルダリオンは片膝を落とし、そっと右手を差し出すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る