オーロラの雨
壱単位
オーロラの雨
「おっす」
みぃこは教室の窓際にたって、こちらに片手をあげていた。
いたずらをした子供のように、にいっと、笑う。
わたしは息を呑んだ。動けない。
外はすでにくらい。
冬の入り口であり、時刻も午後七時をまわっている。雪でもふるのではないかという雲が、午後からずっと空を覆っていた。
吹奏楽部の練習で遅くなり、忘れ物をとりにきた教室。
その窓際で、みぃこは笑っていたのだ。
「どうしたの、なに固まってんのよ」
「……み、みぃこ……帰って、た、の……?」
「ん、ただいま」
わたしは目とくちを大きく開いたまま、はあっと空気を吸い込んだ。見開いたままの目から、おおきなしずくがいくつも落ちるのを感じた。
走る。みぃこにとびつき、抱きしめる。
「ちょ、くるしいよ、なっちゃん」
「よかった……よかった、帰ってきたんだね、よかった……!」
わたしはしばらく、みぃこの肩で泣いた。みぃこはわたしの背中に手を回して、ぽんぽんと、やわらかく叩いてくれていた。
それでもやがて、ゆっくりと、みぃこの手がわたしを引き離した。
「……ね、なっちゃん。隠れ家のこと、覚えてる?」
みぃこはわたしの肩に両手をおいて、しゃくりあげるわたしに、問いかけた。
「……ん、わかんない……なんだっけ」
「ほら。あたしがよくお母さんに叱られてプチ家出したとき、なっちゃん、あたしを押し入れに隠してくれたじゃない。隠れ家だよって」
「……そんなこと、あった、ね」
「うん、それでなっちゃんも、なっちゃんのお母さんにものすっごく叱られて。あはは。でも懲りずに、なんどもなんども、あたしのことかくまってくれたね」
「うん、うん……」
「あたし、あの頃のこと、ずっと忘れられなくて。いつでも、なにかあったら、ほんとうに辛いことあったら、なっちゃんの隠れ家に行けば大丈夫だって、思ってきた。それでずいぶん、救われたんだよ」
「そ、うなの……?」
「そうだよ。研究所の訓練が辛かった時も、魔王討伐隊に選抜されたときも、そうして、出発の時も、わたしは泣かなかったよ。なにかあれば、なっちゃんの隠れ家にいけばいいって、思えたから」
「ん、うん、うん」
「次元を破る旅のあいだだって、さびしくてさびしくて、おかしくなりそうで、でも、眠る前になっちゃんの隠れ家に、いつも入って。そうしたら、落ち着いたんだ。いつもそうやって、乗り切った」
「……」
「とうとう目的地について、あの装置を起動するとき。あたし、実は知ってたんだよ。これを使ったらもう、戻れないって。ちゃんと覚悟してきたつもりだったのに、怖くてさ。怖くて怖くて、ボタン、押せなくてさ」
「……みぃこ……」
「でも、あたしね。押せたよ。なっちゃんの隠れ家、見えたから。これを押せば、ずうっと、ずうっと隠れ家にいられる、って思えたから」
「……え、みぃこ、ねえ……」
「ふふ。だからね、あたし、いま隠れ家のなかなんだ。なっちゃんの、おうちの。だから、なっちゃんに会えたんだと思う」
「みぃこ。ねえ、みぃこ!」
みぃこの身体のむこう、窓のそとの景色が、彼女をとおして見えている。
うすぼんやりと、みえてしまっている。
みぃこは、手のひらをみて、寂しそうに微笑んだ。
「でも、そろそろ戻らなきゃ。あああ。やだなあ、消えるの」
「みぃこ、やだ、やだ、やだ」
「いきたくないなあ。おかあさんにも会いたい。研究所のみんなにも。でも、しかたないね。あたしにしかできないことだったんだから」
手を伸ばす。みぃこの肩に触れる。が、わずかな抵抗を残してすり抜けた。
みぃこの目が、わたしをまっすぐ、みている。
「ありがとう。また、会おうね。いつか、どこかの、隠れ家で」
わたしの前には、教室の窓。
しずかな教室に、わたしだけ。
窓の向こう、暗い夜空がふいに、輝いた。
きらきらと輝く幕のようなあわいひかりが、空を覆っている。
同時に、雨。
まばゆいひかりを背景に、雨がさらさらと、落ちてきた。
いくつかの次元が消滅することで発生する猛烈な磁気の歪みが、この国でもオーロラ現象を起こさせた、と、その夜、テレビでどこかの偉い人が喋っていた。
作戦は成功した、とも。
わたしは部屋にもどって、押し入れを開けた。
くらい空間が、くちをあけているだけだった。
オーロラの雨 壱単位 @ichitan
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