第13話 ︎︎腐敗の都

 その頃、カミルも仕事を終え帰途についていた。韵華ユンファが呼ばれたのは三時の茶会だ。夕食前に軽く菓子を摘みながら、談笑する。表向きは穏やかな場だが、その裏で腹を探り合う。


 カミルは韵華ユンファの事が気がかりだった。故郷では後宮の片隅に追いやられ、社交とは縁遠い生活を送っていた少女に、酷な仕事を頼んでしまったのではないかと。


 ハレムには成人するまで、母と共に暮らしていた。だからこそ、どんなに醜悪な場所か分かっている。セーベルハンザでは、男子は十二歳で元服を行う。男として機能し始める年齢で母と離され、宮中の仕事を与えられた。


 そんな子供にまで、ハレムの女達は誘惑を仕掛けてくる。王の寵愛から外れ、性欲を持て余した女達だ。中には侍女に手を出す者もいた。


 そんな中に、幼い韵華ユンファを送り込んだ罪悪感がカミルの胸を刺す。


 この国を変えると誓った日から、犠牲は厭わなかった。それは主に自分自身であり、その身をかえりみず、率先して動いてきたカミルにとって、韵華ユンファは初めて得た守るべき存在だ。


 この国の男達は女をはべらせる事に価値を見出す。多くの女を養うには、金がかかるからだ。それは己の有能さを誇示し、羨望を集める。


 そんな習慣が根付くセーベルハンザで、妻をただ一人と決めたカミル。韵華ユンファとの出会いは僥倖だった。


 最初は父帝の命に忠実な、ただの子供だと思ったが、話す内にそうではない事が分かる。公主としての自覚と、強い芯を持つ少女。それが韵華ユンファだ。


 くるくるとよく変わる表情。

 時に垣間見せる色香。

 艶やかな黒髪。

 吸い込まれそうな漆黒の瞳。


 八日間、二人きりで過ごしたが、場所が場所なだけにカミルは忍耐力を試された。自分でも段々と惹かれていくのが分かり、今ではすっかり虜となっている。


 昨日ははぐらかしたが、政略結婚など関係ない。唯一と呼べる女性に出会えたのだ。それには感謝したいくらいだった。


 初めて離れて過ごした一日は、とても長く感じられ、自然と歩みが早くなる。しかし、離宮へと続く回廊に出た時、不意に呼び止められた。


「カミル。随分お急ぎのようだね。麗しの君が恋しいのかな」


 その声に振り返れば、女性と見まごうほどの美丈夫が面白そうに頬を緩め、カミルを見つめていた。波打つ金の髪を背に流し、菫色の瞳は優しげだ。


「ツェオン兄様!」


 カミルは弾んだ声を上げると、兄の元に駆け寄る。ツェオンは第一王子であり、現国王の長男だ。王太子の座は第二王子のイアスに譲り、隠遁生活を送っている。


「お久しゅうございます。王宮にいらっしゃるのは珍しいですね。……何かございましたか?」


 最後は声を潜め、菫の瞳をひたと見据える。


 しかし、ツェオンは薄く笑って否定した。


「いや、君が奥方に夢中だと聞いてね。一度ご挨拶をと思ったんだ。構わないかい?」


 その言葉に、カミルの頬が染まる。ツェオンはそれを目敏く認めると、くすりと笑った。


「おや、どうやら噂は本当のようだ。どんな女性にもなびかなかった君を捕まえた姫君とは、是非ともお目にかかりたい」


 ツェオンはカミルを促しながら、回廊に足を向ける。二人は並んで他愛ない話を交わした。


「そういえば、最近王都でとある茶葉が流行っているそうだよ。若者がこぞって買い求めているとか。美味うまいわりにとても安価で、庶民に行き渡りつつあるらしい」


 その言葉に、カミルは苦い顔をする。茶葉とは、二人の間の隠語だ。


 王都で麻薬が流れている。


 ツェオンはそう言っているのだ。


 それもエディシェイダからの流出物だろう。彼の国は麻薬を合法とし、戦闘薬として軍で支給している。薬がもたらす高揚感は恐怖心を取り払い、痛覚を鈍らせ、狂った兵を生み出す。


 それがこのセーベルハンザで流通しているとなると、いよいよ戦が近いのかもしれない。思考力の落ちた人間を操るのは容易たやすくなる。徴兵もはかどるだろう。


「それは……手に入れてみたいですね。宰相達にも振る舞わなければ。気に入ってくれると良いのですが」


 それに対し、カミルは高官に責任を取らせると返す。果たして茶を飲んだ者達はどうなるのか。体験してもらわなければ割に合わない。そのまま自害でもしてくれたら儲けものだ。


「ふふ、カミルは優しい子だね。私としては茶葉より鍋がいいな。きっと喜んでくれるよ」


 にこやかな声だが、目には暗い光が宿っている。ツェオンは見た目こそ柔らかく、権力に固執しないが、その内面は苛烈だ。


 鍋とはつまり、火刑。


 セーベルハンザで最も重い刑罰で、磔にされたまま業火に焼かれる。足元から這い寄る炎は、じわじわと身を焦がしていき、酸素を奪い、命を刈り取るのだ。


 事切れるまでの時間はまさに生き地獄。ギロチンの方が数倍マシだろう。


 そんな末恐ろしい事を、ツェオンは事も無げに言い放つ。カミルは苦笑いしながらも同意した。


「そうですね。鍋はよいお考えです。よく働いた者達に振る舞いましょう。良い宴になりそうです」


 二人の会話は、要所で宮中を監視する兵にも聞こえている。しかし、内容はなんの事はない、ただの晩餐の話だ。カミルがちらりと目線を向けると、しらっと顔を背けた。


 あの様子なら上官に報告したりはしないだろう。そんな些末さまつな事を報告すれば、逆に癇癪かんしゃくを浴びてしまう。


 高官達の関心は、ただ金を手に入れ、自分の富を増やす事のみ。兵の教育も年々杜撰ずさんになってきていた。


 だがそれも、今はカミル達に有利に働いている。王が壮健だった時代なら、これほど簡単な隠語など当に見破られていたはずだ。


 カミルはツェオンに視線を戻し、笑い合いながら、妻の待つ宮へと歩を進めた。

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