第9話 ︎︎魔窟への誘い

 歩く度に、ベールの飾りがしゃなりと鳴る。


 この国の民族衣装は峰嵩ホウシュウに比べ、露出が多い。首元は大きく開き、体の線を強調した半袖の上衣に、布を巻き付けただけの下衣。足元は刺繍の入った絹の靴。そして、大振りな金の腕輪や首飾り。


 何もかもが故郷と違う。


 風は砂を含み、乾燥していて、喉が痛い。


 韵華ユンファは、王太子のハレムへと向かっていた。離宮は自分達の宮とは王宮を挟んで反対側だ。歩いていくにはそれなりの距離がある。


 砂漠の昼間は暑い。その中を呼びつけるのも、韵華ユンファいやしめる行為だ。自分達の地位に、少しの疑問も抱いていない。


 だが、それも韵華ユンファには都合がいい。見下してくれれば、その分相手は口が軽くなる。韵華ユンファ如きには何もできないと高を括って。


 迎えに来た侍女も、韵華ユンファを見ると嘲笑した。大人びた化粧も、小さな体には不似合いだ。衣装もそう。峰嵩ホウシュウでは使い分けられていたが、この国では大人と子供で服の形は変わらない。ただ、既婚者と未婚者で使われる柄が違う。王家と庶民でも変わり、その数は膨大だ。


 その柄を選ぶのも、ひとつの教養と言っていい。この日、韵華ユンファが選んだのは桔梗の紋様だった。桔梗の花言葉は『従順』。暗に敵意が無いと示す事ができる。


 生地も絹ではあるが、色は臙脂えんじ色。鮮やかな色ほど高級になり、くすんだ色は下級として扱われる。


 韵華ユンファは、視覚からも己の立ち位置を理解していると示したのだ。


 離宮に辿り着けば、そこは自分達の宮とは比べ物にならないほどの絢爛さだった。貴重な紫の塗料をふんだんに使ったタイルの壁画、それを縁取る緻密な細工。さすが王太子の宮だけはある。


 先導の侍女について行きながら、韵華ユンファは間取りを頭に叩き込んだ。配置は自分の宮とそう変わらないが、広さが全然違う。


 峰嵩ホウシュウは狭い山間の土地に建てねばならないので上に高い。しかし、ここでは時折砂嵐が町を襲うため横に広く、入り組んだ作りは迷路のようだ。


 この広大な宮も、富と権力を誇示するためのもの。宮自体の絢爛さも勿論だが、その庭や至る所に飾られた生花は、新鮮さを保ったまま輸入するには莫大な金が必要だ。


 それが、廊下のあちこちにある。奥に進むにつれ、それは顕著になっていく。


 ハレムのサロンも奥まった場所にあった。ここに着くまで、幾度も角を曲がる。方向感覚が麻痺しそうな作りは、王太子を守るための物だろう。


 ハレムには王太子の子供もいる。まだ産まれて間もない乳児が三人。同時期に産まれた子供達も標的に入っている。男児が一人と女児が二人。次の王太子となる嫡男がいるのだ。残酷なようだが、後顧の憂いを絶つには非情にならざるを得ない。


 直接手を下す訳では無いが、韵華ユンファ達の計画によって命は失われる。


 カミルの辛そうな顔が脳裏を過ぎった。


 それもそうだろう。カミルにとっては甥っ子なのだから。血の繋がった産まれたばかりの子供さえ、後々ねじ曲がった倫理観を植え付けられる。国王や王太子のように、傀儡にしようと狸達が手をこまねいているのだ。


 そこにあるのは、ただ自分の栄華だけ。国という大きな箱庭は、奴らにいいように食い潰されている。人民を腐敗させ、私腹を肥やして。


 ハレムの女達もそうだ。


 王宮に上がっている上級婦人は皆、高官の娘達。父親は娘を使って王を操っている。娘達も贅沢ができるのだから協力的だ。王に強請ねだればなんでも手に入る。その味を知ってしまえば抜け出せず、要求は段々と肥大していった。


 そして、とうとう戦へと発展したのだ。この無意味な戦で、ハレムの女達は更に贅を手に入れられる。イグアからは脂の乗った肉を、峰嵩ホウシュウからは蜜の詰まった果実を、エディシェイダからは金その物だ。


 それらが民に還元される事は無い。


 韵華ユンファは知らず、眉間に皺を寄せた。国とは民あっての物だ。王族は民に生かされている。食べる物も、着る物も、住む場所さえ、民がいなければ得られないというのに。


 そっと溜息を漏らし、顔を上げる。韵華ユンファとカミルが望むのは、民が平穏に暮らせる国だ。奴隷を解放し、虐げられる人々を減らす事。まずはこの国、そして峰嵩ホウシュウへと手を伸ばす。


 負けはすなわち死を意味する。


 韵華ユンファは気を引き締め、近付いてくる大門を睨む。あの先が女の園だ。今日の茶会は第五夫人までが集まっていると聞いている。


 激しい争いを制した者達だ。油断はできない。おそらく、皆がカミルと韵華ユンファの殺害計画を知っている。もしかしたら何か仕掛けてくるかもしれない。


 表立っては動かないだろう。韵華ユンファを殺すのは、セーベルハンザでなくてはいけない。しかし、実際に手を下せば戦犯となってしまう。あくまで峰嵩ホウシュウがセーベルハンザの仕業と見せかけねばならないのだ。


 それはカミルも同じ。だから今の状況ではカミルの身の方が危険だ。周りは敵だらけだが、職場は文官しかいないので、殺すような度胸は無いと考えた。宮にいるよりも安全だと。


 それに二人同時に殺すなら園遊会だと睨んでいる。園遊会では侍女や給仕が忙しく動き回る。その波に紛れて毒を仕込むつもりだろう。


 時間は迫る。


 その前に王太子を殺さなければ、計画は頓挫とんざする。今日の茶会が勝負だった。


 大門の前に行き着くと、番兵が扉を開く。


 韵華ユンファは深呼吸をして、一歩を踏み出した。

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