第8話 ︎︎深謀遠慮《しんぼうえんりょ》

 二人はそれから七日七晩、寝室に篭った。密かに運ばせていた教本を睨みながら、韵華ユンファこの国の言葉セベルアを覚えていく。


 文字まで覚えるには時間が無さすぎる。書く事は後回しにし、とにかく耳で聞き取る事を優先させた。


 この七日間は、婚姻後の祝いの休暇だ。それが終われば、カミルも仕事があるし、一緒にいられる時間は限られる。


 カミルの仕事は第三王子としては閑職と言わざるを得ない、蔵書の管理だ。砂漠の環境は書物には厳しい。かつては食物繊維を叩いたパピルスが使われていたが、時代の移り変わりと共に上等な紙の書籍が増えてきている。それらを次代へ残すためには、慎重な管理保存が必要だった。カミルはこの仕事を、文句も言わずに忠実にこなしている。


 一方で、韵華ユンファは茶会への誘いが増えるだろう。その時、カミル配下の侍女が着いてきてくれはするが、上位の者と言葉を交わす事は禁じられている。


 一癖も二癖もある女狐達に、韵華ユンファ自身が相対しなければならない。シャハルは韵華ユンファを野ねずみと評した。それはある意味、当たっているかもしれない。悪意の巣窟に飛び込むのだから。


 篭ると言っても、当然生活する上で部屋を出る事はある。風呂や排泄といったものだ。しかし、二人共に寝不足で、いつも気だるげにしていた。


 それは案の定、下品な噂となって王都に広がっていく。


 曰く、第三王子は幼妻に溺れている、と。


 この離宮にはカミルの配下が優先して配置されているが、それ以外の者も多い。カミルと韵華ユンファは祝言の時に死ぬはずだったのに、未だ生きている。貪欲な狸達は肥太った腹を揺らしながら、再度二人を亡き者にしようと機会を伺っていた。


 そんな奴らの小飼が、二人の様子を見れば昼夜問わず愛し合っていると映るだろう。


 不名誉な噂ではあるが、韵華ユンファ達には優位に働く。だと思わせておけば油断も生まれる。


 カミルは元から疎まれていたし、韵華ユンファも幼い子供だ。しかも二人共に国に見捨てられている。


 後ろ盾も持たない籠の鳥を料理するのは、苦も無い事だと狸達は思っているだろう。


 しかし、籠の鳥は小鳥では無かった。籠を壊そうと、鉤爪を密かに研ぐ猛禽だ。二羽のつがいは、同じ籠に入れられた事でより獰猛さを増した。肥えた狸を喰らおうと、目を光らせている。


 当の狸達は、餌を貪る事しか頭に無い。その隙を突いて策を練るのは容易たやすかった。


 そして、八日後。


 韵華ユンファは別れを惜しみながら、カミルを仕事へと送り出した。カミルも見せつけるように妻の額へ口付ける。


 仲睦まじい様を印象付けるためだ。敵に噂は本当だと思わせなければならない。


 カミルは軽んじられてはいるが、仕事ぶりには定評がある。真面目で、女にもなびかない貞操の固い男だ。


 そんな男が、幼妻に入れ込んでいる。

 ならば、しとねに入る時の料理に毒を盛れば良い。王族の習わしとして、行為前には精の付く夜食を用意するのだ。


 それはカミルとて例外では無い。死を定められているとはいえ、王族である事には変わりないのだから。


 あとはいつ実行するかだ。

 ただ死ぬだけでは開戦の口実にはならない。


 婚姻式の時のように、大々的な公の場が好ましい。あの場には、他国の要人も招待されていた。地位の低い王子であっても、国同士の婚姻だ。その立会人として、そして開戦の証人として必要だった。


 次に公的行事が行われるのは、一ヶ月後の園遊会。王宮の庭園で、酒池肉林の宴が開催される。そこには峰嵩ホウシュウをはじめ、エディシェイダやイグアの王も呼ばれる、またとない機会だろう。


 だが、逆を言えば韵華ユンファ達にも予測がつくというものだ。狸達がこちらを探っているのと同様に、こちらも探っているのだから。


 韵華ユンファとカミルの反撃は、既に始まっている。狙い通り、王太子イアスのハレムから茶会の招待を受けたのだ。指定されたのは三日後。王太子の離宮で行われる。


 うまくいけば、王太子も現れるかもしれない。国王同様にハレムに入り浸っているからだ。面通りが叶えば、贔屓にしている姫も分かる。


 そこから更に探り、ハレムを崩壊させる事ができれば、王太子暗殺の容疑はそちらに移る。寵愛を奪い合った結果として。


 そして、あわよくばシャハルにも嫌疑が向くようにしたい。シャハルは第二王位継承者だ。王太子を殺す動機としては十分と言える。


 そのためには、茶会での立ち居振る舞いが重要になってくるだろう。寵姫を褒めつつ、下の者を焚きつける。


 女同士の腹の探り合いだ。


 韵華ユンファにそれができるのか。


 カミルは韵華ユンファの身を危惧し、別の案にしようと言ったが、韵華ユンファは譲らず、茶会の準備に取り掛かった。


 茶会では服装も序列で決まっている。今回は韵華ユンファが一番下だ。派手過ぎず、王太子の寵姫達を引き立てねばならない。


 テキパキと侍女に指示を出す韵華ユンファ。その後ろ姿を、カミルは心配そうに見守った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る