第14話 ︎︎逢えない時間

 一人、お茶を飲みながらカミルの帰りを待つ韵華ユンファは、ソワソワと落ち着かなかった。何度も時計を見てユニに尋ねる。


「カミルはまだかしら。無事よね。何か連絡は無い?」


 そんな幼妻にユニは笑い、数分置きの可愛い問に、毎回丁寧に返していた。


「奥方様、大丈夫ですございますよ。まだ茶会からお帰りになって半刻30分も経っていないではありませんか。旦那様のお仕事は夕方までです。安否もしっかり確認しております。もうすぐお帰りになりますから、ご安心ください」


 何度そう言われても、韵華ユンファの心を不安が覆う。朝に別れてから、声も聞けていない。自分でも戸惑うほどに、韵華ユンファはカミルを待ちわびていた。


 毛足の長い絨毯を撫でながら、小さく溜息を漏らす。


 ――早く、会いたい。


 とくとくと鳴る心臓は、こそばゆいが心地良い。韵華ユンファにとっては初めての感情だ。敵ばかりの中で、カミルは頼れる人というだけの存在では無くなっている。


 ただ故郷のにえとして死ぬだけの自分を、カミルは救ってくれた。そして、妻にと願ってくれたのだ。


 必ずこの窮地きゅうちを共に乗り越え、国を良き方向へと導いていかなければ。そのためには、この手を血に染めようとも構わない。


 例え茨の道であろうと、カミルと二人なら怖くは無い。陽の光を浴びて、キラキラと輝く天窓を見上げる。もう陽は傾きかけていた。


 もうすぐ会える。


 そうしたら、茶会での出来事を報告をして、カミルの話を聞こう。カミルは蔵書の管理という仕事を逆手にとって、毒物や暗殺の方法を収集している。それを効果的に活かすために、どう動くべきか。韵華ユンファも、下手は打てない。たったひとつ狂うだけで、共倒れだ。


 慎重に、だが積極的に攻めていく。それがカミルの考えだった。それに韵華ユンファも同意し、自身も遠慮なく使えと伝えている。


 しかし、カミルは困ったように笑うだけだった。それが韵華ユンファにとって切ない。カミルはこの国盗りの計画に、自分の命を賭けている。


 失敗しても、自分だけが責任を背負い、死ぬつもりだ。韵華ユンファも妻として、殉じる覚悟を固めている。


 だからこそ、少しでもカミルと過ごしたいと思うし、邪魔な奴らの命など知った事では無い。まだ見ぬ王太子など、その辺りの虫と変わらなかった。


 ただでさえ、己の欲のためだけに、人の心など考えもしないクズだ。そんな奴らをのさばらせるのは、国のためにならないだろう。そして、その後は民達の道徳観も取り戻さねばならない。


 奴隷が許される国はそう多くない。例え建前だとしても、倫理観から禁止している国の方が一般的だ。今、時代は大きく動いている。世界規模で科学が発達し、遠い国では鉄道という移動手段が発明されたと聞いた。


 戦も忌避するべき物として認識が広まり、世は太平に向かっている。それなのに、この大陸のなんと稚拙な事か。時代遅れも甚だしい。


 それも高官達の私服を肥すためだけにだ。


 韵華ユンファは段々腹が立ってきた。お粗末な高官達にも、それに従おうとしていた自分にも。


 頬を膨らませ、苛立ちをクッションにぶつける。その時、こらえるような笑い声が聞こえた。慌てて振り向くとカミルが立っているではないか。韵華ユンファの顔は見る見るうちに紅潮していく。


「え、カミル!? ︎︎いつ帰ってきたの!?」


 パタパタと髪を整えるが、百面相はしっかりと見られている。カミルは優しく微笑みながら、そっと頭を撫でた。


「お前が何度も俺の帰りを聞いていた辺りから隠れて見てたよ。ユニには黙っててもらった。そんなに俺の帰りを待っててくれたなんて。嬉しいよ」


 その言葉に、韵華ユンファは更に赤くなる。もじもじと絨毯をいじりながら、上目遣いに非難した。


「な、何やってるのよ……悪趣味だわ」


 そんな仕草も、カミルの心をざわつかせる。今すぐにでも寝所に連れ込みたい衝動を必死に推し留め、背後の人物を呼んだ。


「ごめん。あまりに可愛かったから、ついね。でも、その提案者は俺じゃないぞ。こちらのお客様だ」


 その声に、ツェオンが進み出る。柔らかな笑顔で韵華ユンファに礼をとった。


「お初にお目にかかる。私はツェオン。名ばかりの第一王子だよ。是非、恵の姫君にお会いしたくて、カミルに無理を言って連れてきてもらったんだ。いじわるをしてごめんね。でも、君もカミルを好いてくれているようで、嬉しいよ」


 ツェオンはまるで試すように韵華ユンファの手を取るが、その表情に揺れる気配は無い。


「まぁ、第一王子殿下でいらっしゃいましたのね。これはご無礼を致しました。カミルの妻、韵華ユンファにございます。どうぞお見知り置きを」


 そう言いながら、失礼にならない程度に手を引っ込めた。ツェオンはそれに驚きを隠せない。今までならどんな女も、ツェオンの美貌に酔いしれていた。誘惑する気など微塵もないが、そのせいで王太子イアスの反感もよく買っているのだ。


 イアスは既に百人を超える女を囲っているというのに、欲は留まる所を知らない。何より、人のものを欲しがるたちの悪さは目にあまる。


 時には家臣の妻さえも欲しがり、無実の罪で家臣を死に追いやっていた。そうして、その妻をハレムに入れる。例え子があろうと節操無しにだ。酷い時には、子を殺し、出生すらも消していた。最も法を守るべき者が、それを無視している実情。


 もし、イアスが韵華ユンファを見たら。


 悍ましい結果が待っているかもしれない。これは早々に手を打たねばならないだろう。


 ツェオンとカミルは視線で会話し、計画に乗り出した。


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