砂塵に咲くは小さき恋歌

文月 澪

反撃の狼煙

第1話 ︎︎徒花の公主

 ――私は今日、この場所で死ぬ。


 煌びやかな宴の席で、真紅の衣に金糸銀糸で縁取られた花嫁衣裳に身を包み、静かに座したまま、踊り子の舞を冷めた目で少女は眺めていた。


 大勢の男女が緻密ちみつな意匠の絨毯に座り、祝杯を上げている。賑やかな楽器の音色が響き、踊り子が身をくねらせる。


 その中で、少女だけが暗く沈んでいた。


 艶やかな漆黒の髪を結い上げ、黒曜石の目元には朱を引き、口元を紅が彩る。着慣れない異国の花嫁衣裳は首周りが大きく開き、落ち着かない。歳の頃は十代半ば。まだ幼さの残る面差しに、悲痛な決意が込められていた。


 その隣に座するのは、長身で逞しい褐色の肌に眩い金の髪、切れ長の翡翠の瞳は精悍さを備えている青年。少女とは対になる純白の衣に身を包んでいた。歳の頃は二十前半と言ったところか。


 名をカミル・ハマディオルいう、この国の第三王子。少女が知っているのはその程度の事だった。


 ここは砂漠の国、セーベルハンザ。


 オアシスを中心に町が広がり、大陸中央を支配下に置く、貿易航路の要として栄えた都だ。砂に覆われた国土は一見貧しく映るが、古くから岩塩を特産品として富を集め、国々を渡るキャラバンが休息の地として立ち寄るため、外貨が舞い込む。


 宮殿はぜいを極め、遠い海から運ばれた螺鈿らでんや、岩塩との交易で得た金が惜しげも無く使われている。


 少女はそれを見て、自分の死の無意味さを悟った。


 少女の名はゴウ韵華ユンファ

 山の国、峰嵩ホウシュウの第八公主、今上帝倖壽コウジュの末姫だ。


 父は皇帝を名乗ってはいるが、山ばかりの国は土地が狭く、民の暮らしも決して豊かとは言えない。けれど資源だけは豊富でそれなりの国力は有している。林業や鉱山、茶や山菜が主な産業だ。


 宮殿も地形を活かした山の砦。攻めにくく、篭城ろうじょうしやすい。緑の生い茂る中に建つ朱色の宮殿は確かに美しいが、ここを知ってしまえば東屋にしか見えないだろう。


 韵華ユンファはそっと溜息を吐く。


 これから自分は苦しんで死ぬのだ。例え犬死でもそれが使命。


 ちらりと隣を見れば、美丈夫が柔和な笑みを湛え、喜びに湧く臣下を見つめていた。


 これは峰嵩ホウシュウとセーベルハンザとの親交を深めるための婚姻式。


 海を持たない峰嵩ホウシュウは塩を求め、昼夜の寒暖差が激しいセーベルハンザは木材を求めた。渓谷を隔てて隣合う両国に取って、利害関係が成立した婚姻だ。


 だが父帝はそれで満足しなかった。この国を手中にしようと企てたのだ。そのための布石が韵華ユンファだった。


 今は余興の時間。この後、盃を交わし夫婦の契りとなる。その盃に毒が仕込まれる事になっていた。そして、それをセーベルハンザの仕業に仕立てようと言うのだ。口実を大義名分に、峰嵩ホウシュウに都合のいい戦を仕掛け、この豊かな国を手に入れる。


 父帝や高官達は勝ち目があると思っているようだが、韵華ユンファには無謀としか思えない。


 この国に入って、宮殿までの道程はセーベルハンザの軍が周りを固め、通り過ぎる村や町でお披露目しながらの行軍だったからだ。


 峰嵩ホウシュウの軍とは比べ物にならない装備、統率、練度。何より、その数。


 たかが親交を建前にした政略結婚の相手に、セーベルハンザは人員を惜しみなく使うという行動で誠意を持って応えた。宮殿に着いてからは、カミルが直々に出迎えたほどだ。


 そんな優しい人達に、これから仇を返す。

 韵華ユンファの顔は苦痛に歪んだ。


 それでも時間は待ってはくれない。踊り子の舞が終わり、酒杯が運ばれてくる。


 神事を執り行う司祭が前に出て言祝ことほぐと、粛々として式は進んでいく。


 盃を受け取り、かぐわしい澄んだ酒が注がれる。司祭の合図と共に口を付けた。手が震えぬように。国のため、演じきらなければならないのだ。


 韵華ユンファは一気に飲み干すと、苦しみが訪れるのを待った。どんな見苦しい死に様を晒すのか、それも一種の見世物だ。その死が惨たらしいほど、峰嵩ホウシュウは強気に出れる。


 しかし、司祭の神事が終わり、再び酒宴が始まっても一向にその気配が無い。


 韵華ユンファは公主だが、特別な訓練を受けている訳でもないのだ。強力な毒だと聞いていたからすぐに効くのだと思っていたのだが。


 そして、とうとう宴が終わりを告げる。


 韵華ユンファは慌てた。自分は死なねばならないのに、未だ生きている。どうしていいか分からず、父帝の勅使に視線を投げるが、勅使自身もそれどころでは無いようで気付いてくれない。国元では既に軍備が進んでいるのだ。ここで中止する事などできないのに。


 そして、何やらセーベルハンザ側もざわついているようだ。一体、何が起きたというのか。


 しかし、そんな騒動などお構い無しに、時は無情にやってくる。


 カミルが手を差し出し、立ち上がるように促した。韵華ユンファは死ぬつもりだったので、その後の進行が分からない。素直に手を取っていいのか、逡巡するもカミルが優しく掬った。


「ユンファ、これからよろしく。末永く、な」


 低く、それでも涼やかな声。

 初めて正面からまともに見た夫に、韵華ユンファは見惚れた。


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