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三十八

 幽暗朔月の頭領・淵衰は、隠し刀を持っている。ただし、特別な武器や、特別な薬ではない。――「千里眼」を持つ少女である。

 名前は龍眼りゅうがん。一見しただけでは少年に見える。まだ若い肢体に歴然とした男女の差はなく、加えて髪が短く、与えられている衣服も男物なので、性別の判別がつきにくいのだ。男だろうが女だろうが、特に問題も利点もはない。だが彼女は――いや彼は、龍眼は、とにかく見下されるのをことさら嫌っていた。どうせ子供、どうせ女、などと言われたら、すぐさま発言者に鋭い蹴りを叩き込み、つんと顎を上げて言い捨てるのだ。

「無礼者が。ボクはお兄様の懐刀ふところがたなだぞ」

 組織の長を義兄と気安く慕えるのは、龍眼ただ一人だった。

 そして龍眼は今、淵衰と共に立っていた。〝死神〟に荒らされた幽暗朔月の塔の中、血で汚れに汚れた廊下にて。

「おい、なんだお前たち、この有様は」

 威圧的な龍眼の声。治療を施す者、その治療を受けている者、処置は終わったが動けないでいる者、様々だが誰一人として答えない。

「療養部屋に向かってくる敵が見えたから、お兄様を隠し部屋にお連れして、難を逃れたが……ボクの千里眼がなかったら、幽暗朔月は今頃崩れ去っていたぞ。…………おい。なんとか言ったらどうなんだ」

「申し訳、ございません」

 比較的軽傷の、まだ床にひざまずいて敬意を表せる構成員が応じた。がたがたと全身が震えている。

「た、ただ、龍眼様、侵入をわかっておられたのなら」

「ボクが伝えろと? お兄様よりもお前を優先して?」

「ご、誤解でございます! 淵衰様をご案内したのちに、我々にと!」

「じゃ、ボクが言わなかったのが悪いって言うんだな」

「ですから、違」

「言い訳無用」

 構成員の体が吹き飛んだ。龍眼の蹴りが、完璧に、鳩尾みぞおちへと決まった。

「ふん、弱いのが悪いんだ」

 と、隣で咳が出た。淵衰である。数歩前に出て、皆を見回して告げる。

「まずは治療班、ご苦労。死者が出ていないことに感謝する。それから他の者。意識があればよく聞け。……お前たちの愚鈍さには呆れたが、過ぎたことだ。早く怪我を治して、仕事と稽古に励め」

 御意、と言う声がぱらぱらと上がった。どれも小さくて、とても弱々しかった。

「もういい。龍眼、行くぞ」

「はい」

 踵を返す淵衰。龍眼も続く。

「今日と同じ奴らは、また来るのでしょうか」

「ああ、近いうちに相まみえることになりそうだな。私を狙っているというのだし」

「……お兄様。倒されたり、しませんよね」

 不安にかられた龍眼が淵衰の袖を引く。淵衰は立ち止まり、咳をしてからにこりと笑った。

「心配するでない、死になどするものか。お前が守ってくれるのだろう?」

「はい。この龍眼、命の続く限り、お兄様のお側にいます」

 龍眼の頭に大きな手が乗って、短い髪をかき撫でた。

「頼むぞ」

「はい」

 はにかみがちに、されど誇らしそうに、龍眼は返事をした。

「そういえば、書簡長の砂京から差し入れの菓子が届いているらしいぞ」

「一緒に食べましょう、お兄様!」

「名案だな。早く行こうか」

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怪し死神、夜陰に雨 一嘘書店 @1_lie_sen

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