六章 残酷すぎる現実

 「なんだ、ビャクエ。お前がわたしのもとを訪問するとはめずらしいな」

 その日、妹であるビャクエの訪問を受けた第一皇女ルシャナは開口一番、そう語った。口調といい、表情といい、妹を迎える姉のものではなかった。むしろ、

 「なにをしに来た、よけい者」

 そう言っている口調であり、表情だった。

 もちろん、ビャクエにとっては姉のこんな態度は予想のうち。

 と言うより、これ以外の態度が予想できない。この姉とは生まれたときから気質も性格も正反対。お互い、まったく馬が合わなかった。姉妹でありながら親密に関わったことなどまったくない。

 とくに、姉のルシャナの方がはっきりとビャクエのことを『皇族にあるまじき軟弱者』としてさげすんでいたのでなおさらだった。ビャクエの方もそんな姉に対して姉妹愛らしき感情を抱いたことはない。ビャクエはルシャナよりも優しい性格の兄ヤクシの方がずっと好きだった。

 ――それでも、やはりお美しい。

 ビャクエはいささかの敗北感を感じながら思わざるを得なかった。

 いつも通りの燃えるような豊かな赤髪と純白の鎧。

 そのコントラストが目に映える。

 しかし、それだけではない。ルシャナにはこう一本、筋の通った『凜!』とした美しさがある。『天下一の美貌びぼう』と称された母親譲りのきわめて整った顔立ちなのだが、それは、女性的な美しさとはちがう。

 騎士としての美しさだ。

 獲物を襲う肉食獣の美しさだ。

 サーベルのように細く、強靱で、凛々しさを極めた美しさ。

 そんなものを備えた人間がいるとすれば、このルシャナこそがまさにそうだった。

 その美しさはあたり一帯を睥睨へいげいし、威圧する。実戦ともなれば純白の鎧を敵兵の血で真っ赤に染めあげ、それはそれは凄絶きわまる美しさだという。

 清楚で優しげだがどこか地味なビャクエとは、はっきり言って皇族としてのオーラがちがう。

 そのためだろう。父である皇帝バトウもほんの幼い頃からルシャナばかりを側に置いて、ビャクエのことは放ったらかしにしていた。ビャクエ自身、それが当たり前だと思ってしまう。そんな自分と姉との差にはとっくに慣れたつもりでいるが、ときとしていささかの劣等感を刺激されてしまうのだ。

 そんな思いを振り払うようにビャクエは目前の光景に意識を向けた。

 そこでは数えることも出来ないほどの多くの兵たちが剣を振るい、稽古けいこに励んでいる。そのほとんどはまだ一〇代あまりの若い兵士たちだ。

 ルシャナはブライ帝国騎士団総将として、今日も新兵たちの稽古けいこを監督しているのだった。

 「……ご熱心ですね」

 ビャクエは稽古けいこに励む新兵たちに視線を向けながら、その意識は姉に向けてそう言った。

 その言葉に非難の棘が仕込まれていることはルシャナでなくとも気がついただろう。

 「コダイナとの戦いで多くの犠牲を出したというのに、もう新兵の稽古けいこですか」

 「たしかに、先のいくさでは多くの戦死者が出た」

 ルシャナはあっさりと認めた。ビャクエが遠慮して言葉を濁した事実をはっきりと認めてのけたのはいっそあっぱれだった。

 「だからこそ、その穴を埋めるために新兵の鍛錬たんれんが急務なのだ」

 「……つまり、これからも戦いをつづけると?」

 「もちろんだ」

 ルシャナは迷いなく断言した。その声には若干の苛立ちが含まれていた。

 「お前はわざわざそんなことを聞きに来たのか? わたしは仕事中なのだぞ」

 「申し訳ありません、姉さま。わたしが姉さまのもとに来たのは、どうしてもお聞きしたいことがあったからです」

 「聞きたいこと?」

 「はい」

 ビャクエは覚悟を決めてうなずいた。

 いつもならついつい気圧されて視線をそらしてしまう姉の目をこのときばかりはまっすぐに見つめた。

 「お姉さまはコダイナとの戦いを『正しいこと』だとお思いなのですか?」

 ――そんなことか。

 ルシャナは美しく整った鼻を鳴らして、ビャクエの問いを一蹴した。

 「当たり前だ。わたしは騎士だ。自分が正しいと納得できない理由で人を殺しはしない」

 「コダイナへの侵略は我が国の一方的なもの! そのどこに『正しさ』があったと言うのですか⁉」

 「ブライの国民を豊かにすることだ」

 妹の激昂げっこうに――。

 ルシャナは一切の迷いなく即答した。

 「わたしはブライの皇族だ。わたしの生活のすべてはブライの民によって支えられている。そのわたしがブライの国民を豊かにするために働くのは当然の責務だ」

 「豊かというならブライはすでに豊かではありませんか! 我が国は大陸でも一、二を争う大国なのですよ⁉」

 「お前はなにを見ている? たしかに我が国は強大だ。だが、国内をつぶさに見れば貧しい人間、不遇な人間は多い。ブライの皇族であれば、ブライ国民すべてに豊かで幸福な人生を約束する。それが当たり前ではないか。現にコダイナ国民数十万を奴隷として連れ帰ったことで、いままで奴隷をもてずに貧しい暮らしを強いられてきた国民も奴隷をもち、豊かに暮らせる立場を手に入れた。それを『正しい』と言わずになんと言う?」

 「自分の幸福のためならば、他人を犠牲にしてもかまわないとおっしゃるのですか⁉」

 妹の必死の叫びをしかし、ルシャナは嘲笑あざわらった。

 「ほう、これは面白い。では、お前は自分の暮らしのために誰も犠牲にしていないと言うのか?」

 「な、なにを……」

 「お前が毎日、飲み食いする料理に使われているスパイス、菓子や茶に入れられる大量の砂糖、衣服の材質である綿。それらはすべて、南方の土地に開発されたプランテーションにおいて栽培され、収穫されている。そこで働いているのはいったい、誰だ?

 奴隷だ、

 奴隷だ、

 奴隷だ!

 お前の食べるもの、飲むもの、着るもの。そのすべては無数の奴隷たちが鎖をつけられ、鞭打たれながら働き、栽培し、収穫したものだ。お前の暮らしは奴隷たちの犠牲なしでは成り立たん」

 「そ、それは……」

 ルシャナはますますさげすみの笑みを強くした。そんな表情があまりにも似合い、貫禄さえ感じさせる。それこそが、ルシャナ特有の凛々しさを極めた美しさの恩恵である。

 「頭お花畑のお前に現実を教えてやろう。我が国のなかにも奴隷解放を訴えるものは多い。父上はそれに対してどう対処なされたか。そう。お前も知っての通り、南方のプランテーションに送り込み、実際の働きを見学させたのだ。そして、ガイドは言う。

 『あなたたちの暮らしはこの奴隷たちの過酷な労働によって支えられております。もし、奴隷を解放すれば働き手がいなくなり、あなた方の食べるものも、飲むものも、着るものもなくなります。それでも、奴隷を解放しろと? それとも、あなたたちのお子さまをかわりの労働力として提供してくださるのですか? そうしていただけるならその分、奴隷を解放いたしますよ』

 そう言われてなお、奴隷解放を訴えるものなどひとりもいない。一〇〇人が一〇〇人、奴隷制の熱心な支持者になる。それとも、自分はちがうと言いたいのか? スパイスの効いた料理も、甘い菓子も、砂糖の入った茶も、すべてやめて裸で暮らすのか? 将来、子どもができたら、その子どもを奴隷のかわりに労働力として提供するのか?」

 「そ、それは……」

 ビャクエはさすがに怯んだ。

 スパイスの効いた料理や甘い菓子をやめることならできるかも知れない。しかし、裸で暮らすというのは。まして、自分の子どもを奴隷のかわりにするなんて……。

 「ふん。『奴隷を解放しろ』だと? そんなことはな。自分が奴隷のかわりをしなくていいと思っているから言えることだ。

 我々の暮らしは奴隷抜きには成り立たん。

 それが現実だ。我々の暮らしは誰かの犠牲なしには成り立たん。ならば、我が国の民は犠牲になる側ではなく、犠牲を得る側にする。それが、皇族として当然の義務と責任だ」

 「で、でも……! 労働力が必要ならなにも奴隷でなくても。きちんと賃金を払って労働者として雇えば……」

 「だから、お前は現実を知らないお花畑頭だと言うのだ。お前の暮らしを支えるために奴隷たちが行っている労働はきわめて過酷なものだ。そんな仕事に就かなくていいとなったら誰も就きはしない。お前のいまの暮らしを維持していくためには『自由な労働者』ではなく『自由のない奴隷』が必要なのだ」

 「で、でも……! コダイナとの戦いでは我が国にも多くの戦死者が出ました。民を殺しておいてなにが『国民を豊かに、幸福にする』と言うのですか⁉」

 「事実、我が国の民は幸福になった」

 「死ぬことのなにが幸福だと言うのですか」

 「お前は生きていることが常にいいことだと思うのか? 貧民街の暮らしを知らないのか? そこに暮らす人間たちにはなんの希望もない。生涯、なんの望みもなく、酒におぼれ、死んでいくだけ。それぐらいならほんの一瞬でも『自分も奴隷主になって豊かな暮らしができる』という夢を見ながら死んだ方が幸せではないか。

 そして、父上とわたしはそんな貧民街の人間たちも奴隷主となって豊かに、幸福に暮らせるよう、奴隷を求めて戦うのだ」

 「……それなら、奴隷を得るのが侵略の目的であり、正義なのだと言うならなぜ、化生けしょう兵器へいきなどを使ったのです? 化生けしょう兵器へいきによって何十万というコダイナの民が亡くなりました。化生けしょう兵器へいきの残した汚染によって、これから先も多くのコダイナ人が死んでいきます。生きていれば奴隷として使えた人たちです。その人たちをなぜ、大量たいりょう殺戮さつりくしたのですか?」

 質問という形をとってはいる。しかし、その内容は質問ではなくはっきりと弾劾だんがいだった。

 妹の弾劾だんがいにもルシャナはまったく、一切、揺らぐことはなかった。

 「世に、国はコダイナだけではない。他にも多くの国がある。そして、それらの国々は我々が化生けしょう兵器へいきを使ったことで思い知った。

 『ブライ帝国には逆らってはいけない。逆らえばとんでもないことになる。おとなしく従うしかない』とな。

 その代表がタイクン共和国だ。あの生意気な国は我々が化生けしょう兵器へいきを使うまではイキがっていた。

 『ブライ帝国が化生けしょう兵器へいきを使えば大変な不幸を自分たちにもたらすことになる』

 と、報復を示唆しさしていた。

 だが、実際はどうだ。我々が化生けしょう兵器へいきを使った途端、あの国は抗戦派と和解派、双方にわかれ、内戦に突入した。我々に対抗できる唯一の国が内戦によって自らその力を失ったのだ。おかげで、もはやこの大陸は我らの思うがまま。いつでも、他国を侵略し、コダイナ全国民を奴隷にするよりも多くの奴隷を手に入れられるようになった。まさに、完璧な勝利ではないか」

 「それでは……それでは、姉さまはこれからも他の国を侵略しつづけるおつもりなのですか?」

 「もちろんだ」

 きっぱりと――。

 一切の迷いなくルシャナはそう言い切った。

 その姿はビャクエでさえ『もしかしたら、姉さまが正しいのでは……』と思ってしまうほどに、堂々と凜々しいものだった。

 ルシャナは揺らぐことのない凛々しさのまま断言した。

 「すべてのブライ国民を奴隷主に。それが我が父バトウ皇帝のかかげた大義であり、わたしが信じる正義。その正義を実現させるまでわたしは戦いつづける」

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