七章 奴隷から奴隷主へ

 ビャクエは打ちひしがれて帝都のなかをさまよい歩いていた。

 姉と会って話をしたからと言って、翻意ほんいさせられるなどと思っていたわけではまったくない。そんなことが可能ならとっくにそうしていた。しかし、ルシャナの信念の固さはビャクエの想像をはるかに超えていた。しかし――。

 なによりも、ビャクエを打ちのめしたのはルシャナの一言。

 「お前の暮らしを支えるためには奴隷の犠牲が必要だ」

 たしかにその通りだ。ルシャナの言葉は完全に正しい。生まれてこの方ビャクエが口にしてきた食べ物、飲んできた飲み物、着てきた服。そのすべてが『奴隷労働』という犠牲なしには考えられない。

 奴隷たちの犠牲の上にのうのうと暮らしてきた自分に、奴隷制を非難する資格などあるのだろうか?

 それはまさに深刻な疑問だった。

 帝都をさまよい歩くビャクエの耳に商人らしき男たちの会話が聞こえてきた。

 「やあやあ、最近は羽振りが良さそうでなによりですな」

 「ええ、まったくです。それもこれもすべては皇帝陛下のおかげ。皇帝陛下がコダイナを征服し、多くの奴隷を連れ帰ってくださった。おかげで、これまで奴隷をもてなかった私も奴隷を使えるようになりましてな。おかげで利益はあがる一方。笑いがとまりませんな」

 「いや、まったく。皇帝陛下には足を向けては眠れませんなあ」

 「おや。奴隷に関わらず皇帝陛下に足を向けて眠るなどできないのでは?」

 「それもそうですな、わっはっはっ!」

 かと思えば貧相な服を着た柄の悪い、いかにも貧民街でくすぶっていそうな男たちの会話も聞こえてくる。

 「おい、聞いたか? サックのこと」

 「ああ、あの野郎、コダイナとの戦争で活躍して奴隷一〇〇人と土地をもらったらしいな。おかげで金持ちになれる、嫁ももらえるって大喜びしてたぜ」

 「いいよなあ。戦争なんぞで死にたくないと思って参戦しなかったが……そんな思いができるならおれも参戦しとけばよかった。どうせ、このまま生きていたって貧民街でくすぶったまま金持ちにもなれず、嫁ももらえず、野垂れ死にするだけの人生だもんな。それぐらいなら一発、賭けてみりゃよかった」

 「いやいや、まだ遅くはないぞ。皇帝陛下はこれからも奴隷狩りのために他の国を侵略するそうだからな」

 「……ってことは。おれたちも戦争で活躍して出世する機会があるってことだな」

 「ああ、その通りだ。そうなりゃおれたちも奴隷主になって、金持ちになって、嫁ももらって……人生一発、大逆転だぜ」

 「よおし、そうとなったらこうしちゃいられねえ。さっそく募兵事務所に行って登録しようぜ」

 「おおっ!」

 そして、ふたりの男は駆けていった。

 さらに、別の通りではまだ幼い男の子を連れた若者が歩いていた。男の子はやけにはしゃいだ様子であちこちの店の前を駆けまわっている。

 「すごいや、兄ちゃん! 自分のお金があるんだね。もうなんでも買えるんだね。買って、自分のものにしていいんだね?」

 喜びにあふれるその言葉に――。

 若者は誇らしげに胸を反らして答えた。

 「ああ、そうとも。兄ちゃん、戦争に行って活躍したからな。奴隷から解放されて自由民にしてもらえた。これからは自分の金でなんでも買えるぞ。冬用の暖かい服だって、足を守るための靴だってな」

 「すごいや! もう鞭で打たれながら一日中、農園で働かされなくていいんだね? 冬の間、外に放り出されて凍えなくてもいいんだね? 一日中、お腹を空かせていなくてもいいんだね?」

 「ああ、もちろんだ。もうお前にも、母さんにも、そんな思いはさせるもんか。なんたって、いくさの報奨として奴隷ももらえたからな。これからはおれたちこそが奴隷主だ。暖炉の前でうまいものを食いながら、奴隷たちを鞭で叩いて働かせる立場だ。どんな贅沢だってできるぞ」

 「すごいや! 兄ちゃん、大好き!」

 幼い弟は戦場帰りの兄に飛びついた。

 ――これが現実。

 ビャクエはさらに打ちひしがれた気持ちで思った。

 ――帝国の行いを悪と思うなら、それをとめるの帝国国民のすること。ミロク殿下はそうおっしゃった。でも……ブライ国民の多くは戦争から得られる利益に目がくらみ、戦争を認め、お父さまを支持している。そして、たしかに、多くの犠牲が出た一方で富を手に入れた人間もいる……。

 ビャクエはキッと顔をあげた。

 歯を食いしばり、ある思いのもと、ある場所に向かった。

 クデリアナ監獄。

 ブライ帝国最大の牢獄。

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