五章 公子の本音

 ビャクエは自分の部屋のベッドの上で、シートを口元までかぶって目を閉じていた。

 恥ずかしさのあまり顔は赤く染まり、汗までかいている。いや、まったく、とんだ大事おおごとになってしまった。ミロクの悲鳴にも似た叫びを聞いた使用人たちがワラワラとやってきて(足のしびれのせいで)身動きできないビャクエを見て『すわ、一大事!』と大騒ぎ。

 部屋に運ぶ、ベッドに寝かしつける、医者を呼ぶ……と、まさに上を下への大騒動。もう、とてもではないが『足がしびれただけ』なんて言い出せる雰囲気ふんいきではなくなっていた。

 ――これは……もう、病人の振りをしているしかないわ。

 もう、足のしびれもとれて普通に動けるようになっていたというのに、おとなしくベッドの上に寝て、医師の診察を受けているしかなかった。

 いいおとなの、それも、教師である自分がなんとみっともない。

 そう思うと顔どころか全身が真っ赤に染まり、汗もダラダラ流れてくる。その様子がまた周囲を心配させる。ベッド脇でずっと看病しているミロクなど、もういてもたってもいられないという様子でオロオロしっぱなし。いまもあわてた口調で言う。

 「だいじょうぶですか、ビャクエ殿下? いや、だいじょうぶだったらこんなことになってないんだ、僕の馬鹿」

 ――いえ、もう、まったく、完全に、だいじょうぶなんですけどね。

 そう言いたいのに言い出せない。その思いがますます顔の赤みと汗になって表に出る。

 「顔はずっと赤いままだし、汗もこんなに……少しでも冷やした方がいい。まっていて。冷たい水とタオルをもってくるから……」

 「い、いえ、いいんです、ミロク殿下。だいじょうぶですから。そんなことをされる必要はありません。どうか、部屋にお戻りになってお休みください」

 「そうはいかない。あなたは僕の面倒を見ていてこんなことになったんだ。僕に責任がある。看病ぐらいはさせてください」

 ミロクはそう言って、駆けるようにして部屋を出て行った。その姿に――。

 ――うう。本気で心配させてしまっている……。

 もはや、恥ずかしさを通り越して罪悪感を覚えずにいられないビャクエだった。

 ほどなくしてミロクが水をいっぱいに入れた桶とタオルとをもって戻ってきた。桶のなかの水にタオルを浸し、ギュッと絞ってビャクエの額に置く。思った以上にひんやりとした感触が火照った肌に心地良い。

 「この冷たさ……中庭の井戸の水ですね?」

 「ええ」

 「まさか、ミロク殿下がご自分で汲まれてきたのですか?」

 「あなたを看病するのは僕の責任だ。他の人にはさせられない」

 敗残の公子とは言え一国の支配者の息子が自ら井戸で水汲みするとは。しかも、祖国を滅ぼした敵国の皇女相手に。

 どうして、そんなことができるのか。

 自分のことが憎くないのか。

 ビャクエはそう尋ねずにはいられなかった。

 「……殿下。殿下はなぜ、わたしのためにこんなにしてくださるのです? わたしはあなたの国を侵略し、多くの民を虐殺ぎゃくさつした国の皇女なのですよ? わたしのことが憎くはないのですか?」

 「憎いに決まっている! いま、助けているのはいつか、自分の手で殺してやるためだ!」

 そんな返事が返ってくるのではないか。

 ビャクエはそう思い、不安を感じた。しかし、もし、本当にそんな答えを聞けたならむしろ、安心していたかも知れない。自分は憎まれて当然の存在なのだ。それなら、実際に憎まれた方が気が楽だ……。

 しかし、幸か不幸かミロクの答えはビャクエの予想とはまるでちがうものだった。

 「僕は……あなたのことは憎んでいない」

 「えっ?」

 「この国、ブライ帝国のことも憎んでないんかいない。僕が憎んでいるのは……」

 ――皇帝バトウただひとり。

 その答えを予測したビャクエの前で、ミロクはあまりにも意外なことを口にした。

 「我が父、コダイナ大公クバンダだ」

 その答えに――。

 ビャクエは目を見開いた。

 「クバンダ大公を……お父上をなぜ?」

 ミロクはギュッと両手を握りしめた。唇を噛みしめた。あまりにも強く噛みしめたので血がにじんだほどだった。ミロクは文字通り、血を吐くようにして答えた。

 「……帝国と戦えば多くの民が殺されることも、最終的には化生けしょう兵器へいきによって壊滅させられることも、すべては最初からわかっていた。それなのに、父は戦うことを選んだ」

 「それは……侵略から国民を守るために」

 「ちがう! 父は国民のことなんて考えていなかった!」

 ミロクは叫んだ。

 その叫びのあまりの激しさがビャクエを驚かせた。

 「僕はずっと父上の側でその姿を見てきた。だから、わかる。父上は帝国の侵攻を受けた時点で正気を失っていた。その事態に耐えられなかった。だから、『自分は救国の英雄になるのだ』という妄想に逃げ込んだんだ。

 その妄想を実現させるために父はあらゆる非道を行った。コダイナの民も徹底抗戦をかかげるものばかりじゃなかった。一刻も早い停戦を望むものもいた。それなのに父は『コダイナは一致団結して帝国の侵略を迎え撃つ』という姿勢を演出するためにその人たちを徹底的に弾圧した。停戦を求める人たちを捕まえ、無理やり最前線に送り込んだ。徴兵を逃れたいと思う人たちを無理やり、軍隊入りさせた。あげくの果てにクイドーロ大橋まで倒壊させた……」

 「クイドーロ大橋? あの橋を倒壊させたのは帝国軍のはずでは……」

 「父が帝国を悪役に仕立てあげるためにそう喧伝けんでんしただけです。クイドーロ大橋は帝国にとって食料輸出の要であり、資金源。その重要施設を自ら爆破するはずがないでしょう」

 「それは、そうですけど……」

 「あれは、父が自国の工作隊に指示して行わせたことです。大陸の西側にはブライ帝国からの食糧輸入に依存している幾つもの国がある。それらの国はブライ帝国との関係悪化を怖れて表立って帝国を非難することも、コダイナに協力することもできなかった。

 だから、父はクイドーロ大橋を倒壊させた。帝国とそれらの国とをつなぐ交易路である大橋を破壊し、食糧の輸送ができなくなるように。そうすることで、多くの国を自分たちの味方に引き込もうとした。そのおかげで西方諸国では飢えが広がった。本来であればコダイナと帝国の民が死ぬだけで済んだ争いなのに、父のせいで世界中に死者が広がってしまった……」 

「で、ですが、クバンダ大公はまちがいなく祖国を守ろうとした英雄でしょう? 自らタイクン共和国に赴き、支援を取り付け……」

 「その結果はどうなった? たしかに、タイクン共和国はコダイナに対して膨大ぼうだいな支援をしてくれた。そのおかげでコダイナは誰も予想しなかった長期にわたり、帝国と戦うことができた。でも……。

 そのせいで共和国は崩壊した。大きすぎる支援の負担に耐えかねて国内で支援賛成派と反対派で真っ二つに割れ、内戦にまで発展してしまった。いまでも、共和国では争いがつづいている。本来なら争う必要も、争う理由もなかった同じ国民同士の間でだ」

 「………」

 「すべては帝国の思うつぼ。唯一、帝国と渡り合える大国だった共和国が内戦におちいったことにより、もはや、大陸中に帝国に対抗できる国はなくなった。いまや、帝国こそが大陸の支配者だ。

 帝国は、バトウ皇帝は最初からそのつもりだった。共和国を消耗戦に引きずり込み、弱体化させることで自分たちが大陸の覇権を握る。そのために、コダイナを利用した。父はそんなことにも気付かず、いいように利用された。父こそは帝国にとって最大の武器だったんだ!

 僕は何度も父に意見した。でも、僕がいくら意見しても父はまったく聞いてくれなかった。

 『自分は英雄になるんだ』

 その妄想に取り憑かれ、戦いつづけた。

 本来、戦争とは政治の一形態。戦いと平行して交渉を行い、落としどころを探る。それが戦争。それなのに、英雄妄想に取り憑かれた父は一切の交渉を打ち切り、ひたすら戦うことを選んだ。戦って、戦って、勝利して、自分が英雄として世界中からもてはやされる。ただ、それだけを求めた。父にとっては国の将来も、民の身命もどうでもいいことだった。父の頭のなかにあったのは自分が英雄としてもてはやされる、ただそれだけ……。

 そのために、多くの民が死んだ。いや、殺された。ふたりの兄も……。

 それなのに、父はいまもコダイナ大公としてのうのうと生きている。

 そもそも、コダイナが小国の身でありながら帝国と共和国、ふたつの大国にはさまれて存在できていたのは、コダイナが緩衝かんしょう地帯ちたいとして存在していたから。両国が直接、領地を接しなくてすむよう置かれていたからだ。それなのに、父は共和国にすりより、共和国と一体化しようとした。そのことがバトウ皇帝に侵略の口実を与えた。

 戦争をはじめたのはたしかに帝国。でも、きっかけを作り、戦争を拡大し、世界的な被害を出したのは我が父クバンダ。父こそ、全人類の敵だった。コダイナの民は、世界中の人々は、誰よりもまず大公クバンダこそを憎むべきなんだ」

 あまりにも苛烈かれつな息子による父の弾劾だんがい

 その激しさがビャクエを驚かせた。いくら、潔癖けっぺきな少年期であり、身内に対しては見方がからくなるものだとは言え、これはあまりにもかたよった見方。

 ビャクエにはそう思われた。

 「それは……いくらなんでもクバンダ大公に厳しすぎると思われます。侵略を行ったのは帝国なのですよ?」

 侵略した国の皇女が侵略された国の公子に対し、侵略した国の罪を語る。

 その奇妙さを自覚しながらビャクエはそう言った。しかし、ミロクの姿勢はいささかもぶれることはなかった。

 「大地震が来たとしましょう。対応を誤り、被害を拡大させた。そのとき、『地震が来たのが悪い。すべては地震の責任だ』などと言う論理が通用しますか?」

 「それは……」

 「それと同じことです。帝国の行動は私たちには制御できない。その意味では天災と同じ。私たちに制御できるのは私たち自身の行動だけ。だったら、私たちがどう行動したかを問題にするのは当然です」

 ――この人は。

 ビャクエはキッパリとそう語るミロクの姿を見ながら思った。

 ――この人はなにが起きても他人のせいにしない。すべてを自分の責任において処理しようとしている……。

 まだ一二歳の、年端もいかない少年。

 そんな『子ども』がこれほど堂々と自分自身の責任を背負っている。

 ――この人こそ、本当の王族なんだわ。

 ビャクエはそう思った。

 侵略に反対しながらその意思を表明することも出来ず、ただ黙って眺めていることしかできなかった自分とのなんというちがいだろう。

 ミロクの姿勢があまりにもまぶしすぎて、まともに見ることもできないビャクエだった。

 「それなら……」

 ビャクエはようやく尋ねた。

 「それなら、ミロク殿下は我が帝国の罪を問おうという気はないのですか?」

 「帝国に罪があると思うなら……」

 ミロクは答えた。

 「その罪を裁くのは帝国の人々のやることでしょう。帝国の行動を制御できるのは帝国の人々なのですから」

 その言葉は――。

 深々とビャクエの胸に刺さった。

 そして、ミロクは部屋を出て行った。すっかりぬるくなった水を取り替えるために。

ひとり残されたビャクエは、ずきずきと痛む胸にミロクの言葉を抱えながら唇を噛みしめていた。

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