一〇章 世界を変える恋

 「ミロクと結婚するだと?」

 「はい」

 ブライ帝国の皇宮。

 その謁見えっけん

 豪壮な玉座が置かれ、深紅の絨毯じゅうたんが敷かれたその広大な空間のなかで、ビャクエは父である皇帝バトウの前にひざまづきながらそう答えた。

 バトウはいつも通り、愛用の大剣を床に突き立てた格好でドッシリと玉座に座り、目の前にひざまずく娘を見据えている。

 見つめる、ではなく、見据える。

 それはどう好意的に見ても娘に向ける眼差まなざしではなかった。疑い深く、潜在的な敵の腹を見透かそうとする目だった。

 バトウの横にはこれもいつも通り、ただひとり帯剣たいけんを許されたルシャナが愛用の長剣を腰に差して立っている。ルシャナただひとりが剣をくことを許されているのは皇帝バトウの護衛役だから……では、まったくない。単に、次期皇帝としての立場を周知させるためである。

 素手でクマを殴り殺せるバトウに護衛など必要なはずもない。そもそも、バトウは『他人が自分を守る』ことを許すような人間ではない。

 もし、この場に刺客しかくが現れ、剣を突き立てたとしよう。

 それを見た衛士えいしが主君を守るために刺客しかくの前に立ちはだかったとしよう。

 バトウはその衛士えいしめるだろうか。

 とんでもない。

 めたりはしない。

 その逆だ。

 怒りの叫びをあげて衛士えいしを殴り飛ばし、自ら刺客しかくと相対する。

 そういう人間なのだ、バトウとは。

 ルシャナもわざわざ皇帝の身を守ろうなどとはしない。

 父バトウの性格を知っている、と言うこともあるにはある。だが、それとは関係なくルシャナ自身が『自らの身も守れないようで皇帝など務まるか!』という苛烈な思想の持ち主だからである。

 仮に、バトウが素手でクマを倒せる豪勇ではなく、ちっぽけな文弱の徒であったとしても、ルシャナはその身を守ったりはしない。自分で戦わせる。ルシャナが剣を抜くとしたらそれは、皇帝が殺されたあとの仇討あだうちとしての場合だけ。

 そんな性格の娘だからこそ、バトウも後継者として自らの側に置いている。

 そういう父娘なのだ、このふたりは。

 そしていま、そのふたりから『現実を知らないお花畑』としてさげすまれている末娘は、そのふたりを驚かせる提案をしてのけたのだ。

 「コダイナのあの小僧と結婚したいだと?」

 粗暴なまでの即断即決。

 それをむねとするブライが重ねてそう尋ねたのは、娘の発言に対する衝撃の大きさを示すものだった。

 「はい」

 と、ビャクエは答えた。それから、説明した。

 「わたしがミロク殿下と結婚すれば、コダイナ公家に父上の血が混じることになります。わたしとミロク殿下の子がコダイナ大公の地位に就けば合法的にコダイナを併呑へいどんすることが出来ます。それは、父上にとっても好都合のはず」

 「……たしかにな」

 渋々、と言う感じでバトウは認めた。

 内容自体はたしかに悪くない。しかし、それを言ったのがルシャナであればまだしも、ビャクエであると言うのが気に入らない。バトウのもつ、警戒感を呼び起こす本能を刺激するのだ。

 ただ勇猛なだけで肉食獣は務まらない。

 危機を感じるべきは感じてこそ肉食獣たり得るのだ。

 「しかし、ビャクエよ。どうにも、お前らしくもない提案だな。そのような覇権主義的なことを言うとは。誰ぞに入れ知恵でもされたか?」

 「とんでもございません、父上。わたしもブライ帝国皇家の一員ならば国のことを考えるは当然」

 ビャクエはきっぱりと言いきった。

 そこにはたしかに皇族としての義務感が見えていた。しかし、そんな妹を姉はせせら笑った。

 「ふん。利いた風な口を。いつの間にそんなさかしげな口を利けるようになったのか知らんが、本心は見え透いているぞ。お前の言うとおりになればコダイナの民もまた我がブライ帝国の民。となれば、父上やわたしとしても無下むげには扱えん。それを狙い、コダイナの民を守るための姑息こそくな手であろうが」

 「だとしても」

 ビャクエは自分とは対照的に、武芸にひいでた姉姫をまっすぐに見返した。

 もちろん、剣の腕においては姉の足元にも及ばない。ルシャナがその気になればビャクエなど一瞬で首をねられる。しかし、その目に宿る意志の強さは、その姉を相手にしても一歩も引くものではなかった。

 「たとえ、姉上のおっしゃるとおりだとしても結果は同じはず。一国を合法的に併呑へいどんし、他国に介入の余地も与えない。となれば、我がブライ帝国にとってなによりの利益でありましょう」

 「……ふん。たしかにな」

 ルシャナはそう答えた。

 その表情を見れば妹を信用していないのは明らか。そもそも、『妹』を見る目ではない。どう見ても胡散うさんくさい敵の策士を見とがめる目だ。

 それでも、提言の内容それ自体は認めた。

 そう言う表情であり、口調だった。

 「それで? その話、コダイナの小僧は承知しておるのか?」

 「これは父上らしくもない。まさか、敗残の公子に『自分の意思』などをお認めになるのですか?」

 その言葉に――。

 バトウは虚を突かれた表情になった。それから、

 「ふっ……」

 身を震わせて大笑した。

 広大な謁見えっけん全体に笑声が響き渡り、柱と言わず、壁と言わず、ビリビリと震えるほどの大きな笑い声だった。

 「よかろう! 生まれてはじめて、おれの娘と思えることを口にしたな。なにを企んでいるかは知らんがその態度に免じて許してやろう。コダイナの小僧をきさまの婿として迎えるがよい」

 「ありがとうございます」

 「だが!」

 ルシャナが叫んだ。剣の束に手をかけながら妹に釘を刺した。その目には消えることのない警戒の念が宿っている。

 「忘れるな。我が剣は祖国を守るためにある。もし、きさまが祖国の不利益になることを企んでいたならば、そのときはコダイナの小僧もろともこのルシャナが斬る」

 「承知しております。もし、わたしの行いがブライ帝国の不利益になるとお思いでしたらそのときは、この首をばしてくださいませ」

 その一言を残し――。

 ビャクエは父と姉の前を去った。


 「なんだってえっ!」

 ビャクエの屋敷にまだほんの少年のものと思える絶叫が響いた。

 バトウのような凄みも風格もないが、声量だけなら負けないほどの大きさだった。

 「な、なんで、僕があなたと結婚するんだ⁉」

 すでに名目だけの存在と成り果て、事実上、ブライ帝国に呑み込まれているコダイナ公国。その公子たちのなかの唯一の生き残り、ミロクはそう叫んでいた。

 「わたしが殿下に恋をしたからです」

 「な、ななななな……」

 あまりにも毅然きぜんとしたビャクエの答えに――。

 ミロクは顔を真っ赤にし、身はわなわなと震わせ、言葉を詰まらせた。

 ビャクエは、そんなミロクにズイッと詰めよった。九つも上の女性から、まるでキスするかのように顔を間近によせられて、年端もいかない少年は卒倒そっとうしそうになった。

 「ミロク殿下。わたしは殿下の高邁こうまいなお心に恋をしたのです。殿下のファン第一号となったのです。そして、決めたのです。『ミロク殿下を世界の偶像アイドルにする!』と」

 「なんでそうなる⁉」

 「殿下はおっしゃったではありませんか。『自分の描く戯曲ぎきょくで大陸中の人間をコダイナのファンにする』と」

 「そ、それは確かに言ったけど……でも、それはあくまでコダイナという国のファンにするという意味で、僕個人のファンにするという意味じゃ……」

 「いいえ!」

 ビャクエはミロクに迫った。その小さな手を両手で握りしめた。距離をつめすぎたせいでミロクの手が胸元に当たっているのだが、ビャクエはそんなことに気づかない。

 しかし、ミロクはちがう。手がいままでさわったことのない柔らかなふくらみに押しつけられているのだ。その感触に気がつかないわけにはいかない。はじめての体験に顔中が真っ赤になり、全身が硬直している。全身の肌という肌が汗に濡れていた。

 ビャクエはそんなことは無視してつづけた。

 「コダイナという国ではなく、ミロク殿下個人のファンとするべきです。殿下の思いを大陸中に伝えることで、大陸中の人々を殿下に恋するファンにするのです。そうすれば、大陸中の人が殿下の思いを叶えたいと願う同志となります。以前に殿下がおしゃったように、そのなかには必ず、どうすれば戦争を防げるか、どうすれば奴隷を解放できるか、その答えを見つけ出す賢人がいるはず。そんな賢人たちをコダイナに集め、平和と繁栄のための組織を作るのです。そのために……」

 ビャクエはミロクの手を握りしめたままありったけの思いを込めて叫んだ。

 「ミロク殿下こそが大陸の偶像アイドルとなるべきなのです!」

 「だから、どうして僕なんだ⁉ 僕はそんな、偶像アイドルなんかになるような人間じゃ……」

 「いいえ、そんなことはありません。ミロク殿下には偶像アイドル足るべく立派な理由があります。男子でありながら女の子のように小柄で華奢きゃしゃな体つき、可愛らしく、愛らしい顔立ち。はかなさを感じさせるうれいを含んだ表情。思わず、守ってあげたくなるか弱さ。まさに、理想の姫とも言うべき……」

 「それはめているのか⁉ 僕は男だぞ!」

 「『かわいい』は正義なのです!」

 ピシャリとそう言い切られ――。

 ミロクはもうなにも言えなくなった。

 「可愛いに男女など関係ないのです! 可愛いものこそ人々の心をとらえ、世界を動かすのです!」

 「なんだ、その謎理論は」

 「では、お聞きします。他にコダイナの民を守る方法をおもちなのですか? 大陸中の人々をコダイナのファンにすることによって侵略されないようにする。殿下のそのお心はたしかにご立派です。ですが、奴隷なしには我々の生活は成り立たないという現実があります。

 失礼ながら、殿下。殿下の食べる食物、殿下のお召しになっている服、それらはいずれも奴隷たちが鞭で打たれながら働かされ、生産したものなのですよ」

 「そ、それは……わかっているつもりだけど」

 「だからと言って、ものを食べず、服を脱ぎすてて暮らすことは出来ない。そうでしょう?」

 「あ、当たり前じゃないか。なにも食べず、服も着ないなんてそんな生活ができるわけが……」

 「そう。わたしたちはいまの暮らしを捨てられない。そして、いまの暮らしを維持していくためには奴隷の存在が必要。その現実がある限り、『自国の民すべてを奴隷の身から解放し、奴隷主にする』というバトウ父さまやルシャナ姉さまの目的は正義なのです。そして、あのふたりはなにがあろうとひとたび決めた目的は達成します」

 その言葉に――。

 ミロクの表情が深刻なものにかわった。

 「それはつまり……帝国、いえ、バトウ皇帝はこれからも侵略戦争をつづけると言うことですか?」

 「そうです」

 きっぱりと、迷いなくビャクエはうなずいた。

 「そして、そのとき、コダイナの民がどのような扱いを受けるか。ミロク殿下ならおわかりのはず」

 その言葉に――。

 ミロクはたちまち真顔に戻った。その表情はすでに年端もいかない少年のものではなく、幼くとも一国の命運をになう公子のものだった。

 「……帝国の先兵せんぺい、ですね」

 「そうです」

 ビャクエは無慈悲なほどはっきりとうなずいた。

 「ブライ兵の損害を押さえるためにコダイナの民を強制的に徴兵ちょうへい、もっとも危険な戦場へと送り込む。おそらくは、逆らえないように妻と子を人質にとって」

 「……私もそのことは気にしていました。戦争をつづける国が征服した国の民を使い捨ての手駒として使う。そんなことは歴史上、当たり前に起きててきたことですから」

 「そのとおりです。ミロク殿下はコダイナ公子として祖国の民がそのような扱われ方をするのを良しとなされるのですか?」

 「そんなわけがないだろう! 僕はコダイナの公子だ。コダイナの民を守る義務と責任がある!」

 「ならば、そうさせないためにいまから対策を立てる必要があります。幸い……と言うわけにもいかないでしょうが、コダイナとの戦いによってブライ帝国もかなりの被害を受けています。そうたやすく次の戦争は行えません。最低でも三年はかかることでしょう」

 「……三年。逆に言えば、バトウ皇帝は三年たてば次の戦争をはじめる。コダイナの民を守ろうと思えば、その三年の間に対策を立てなければならない。そういうことですね?」

 「そうです。そのために……」

 ビャクエはいったん言葉を切った。大きく息を吸い込み、次の言葉を放った。

 「ミロク殿下を大いに売り出し、世界中の偶像アイドルとするのです!」

 「だから、なんでそうなる⁉」

 「先ほども申しあげましたとおり、我々の生活が奴隷なしには成り立たない以上、父さまと姉さまの考えはブライ皇帝として完全に正しいのです。その正義を打ち破り、くつがえすためには奴隷抜きでもいまの暮らしを維持できる仕組みを考え出さなくてはなりません。

 そのために、大陸中の人間を集め、知恵を集める。そのために、殿下に大陸中の偶像アイドルになっていただき、人を集められる存在になっていただく必要があるのです」

 ビャクエはジッ、と、ミロクの瞳を見据えた。その真剣そのものの眼差しは先ほどまでの怒濤どとうの勢いが嘘のようだった。その真剣さを前にしてはミロクとしても異を唱えることなど出来なかった。

 「たしかに……あなたの言う通りかも知れない。だけど、僕に務まるだろうか? 大陸中の偶像アイドルなんて、そんな大それた役が……」

 「務まるだろうか? 殿下はその程度の思いで大陸中をコダイナのファンにしようと思っていたのですか? 『そんなことができるだろうか?』などと」

 「ちがう! 何がなんでもやり遂げる。そう決意していた」

 「そうです、その意気です。『出来るだろうか?』なんて、そんな弱気な態度ではなにひとつ成し遂げられるわけがありません。大切なのは『何がなんでもやり遂げる!』という意思。強靱な意志なきところに成功はないのです。殿下がその決意をおもちであれば、わたしは生涯を懸けて殿下をお支えします」

 「僕を……支えてくれるのか?」

 「もちろんです」

 にっこりと――。

 ビャクエは少年に向かって微笑んだ。

 「わたしは殿下に恋したのです。殿下のファン第一号となったのです。『ファン第一号』の名にかけて、殿下を生涯、支えてみせます」

 ミロクはうつむいた。目を閉ざし。唇を噛みしめた。目を開け、顔をあげたとき、そこにはもはや戸惑う少年などではなかった。決意を固めたひとりの人間だった。

 「ビャクエ殿下。あなたが支えてくれるなら僕はきっとできる。いや、何がなんでもやり遂げてみせる。大陸中の偶像アイドルとなって、大陸中に僕の思いを届け、僕と同じ未来を望む人間だらけにする。協力してくれ、ビャクエ殿下」

 「はい。ミロク……さま」

 「ビャクエ……」

 その一言に――。

 ビャクエは顔を動かしていた。

 帝国の皇女は幼い恋人に口づけしていた。

                完

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年上皇女は、敗残の公子を推しとする 藍条森也 @1316826612

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