九章 ミロクの闘い

 ビャクエはいつもの生活に戻った。

 世話をする相手、と言う名目の監視対象である敗残の公子ミロクは相も変わらず芝居三昧。朝から晩まで芝居小屋に出かけ、食い入るように舞台の上の役者たちを見つめては、なにやらメモをしている。そして、夜になればなったで部屋にこもって本を読み、書き物をする。

 そんな毎日。

 ただ、そのなかで以前とは明らかにちがう点があった。

 ビャクエの態度だ。

 以前のビャクエならなにかとミロクの体調を気遣い『もっとよく食べるように』とか『夜はきちんと眠るように』とか、いかにも学園教師といったことを事あるごとに言っていた。

 ところが、ここ最近はそのような態度がすっかり消えていた。食事中も、芝居見物のさなかでも、心ここにあらずと言った印象でジッとうつむき、考え込んでいることが多くなった。

 その態度の変化にミロクの方が気になった。ビャクエの方はそんなことにも気がつかないほど自分の内にこもっていたけれど。

 「ビャクエ殿下」

 ある日、とうとう耐えきれなくなったミロクが声をかけた。

 「なにか、悩み事でもあるのですか?」

 「えっ?」

 「最近、明らかに様子がおかしいです。なにかあったとしか思えません」

 「あ、いえ、別に……。ミロク殿下に気にしていただくようなことでは……」

 「と言うことはやはり、なにかあったんですね? よければお話ししてもらえませんか? 私でもなにか、お力に慣れることがあるかも知れません」

 「殿下……」

 ビャクエはまじまじとミロクを見た。

 まだ一二歳の少年の愛らしい顔立ち。しかし、そのなかにたしかに自分のことを心配する表情が浮いている。

 「どうして……」

 ビャクエは思わずそう尋ねていた。

 「……どうして、ミロク殿下はわたしのことを気にかけてくださるのですか? わたしは殿下にとって憎んでも憎み足りない敵国の皇女なのに……」

 「私が憎んでいるのは私自身の父。以前にもそう言ったでしょう。もちろん、ブライ帝国やその皇族を憎んでいない……というわけではありません。ブライ帝国が侵略してさえ来なければ誰も死んだりせずにすんだのですから。

 でも、あなたはこの一年間、ずっと私の側にいてくださいました。私のことを気遣い、いろいろと配慮してくださいました。そのあなたのことを心配するのは当たり前です」

 「……殿下」

 ミロクは少年らしいまっすぐな瞳で見つめてくる。その瞳に誘われるようにビャクエは内心の疑問を口にしていた。

 「ミロク殿下。殿下は以前、おっしゃいましたね。自分の国が滅びたのは力に力で立ち向かったことの報いだと」

 「……はい」

 「でも、それならどうするのです? 父さまや姉さまの目的はブライ国民のためにコダイナ国民を奴隷として連れ帰ること。もし、戦わなければ、コダイナの全国民が奴隷にされてしまっていました。戦争を避けるためならそんな事態も受け入れると言うのですか?」

 その問いに――。

 ミロクは一切、おくするすることはなかった。まっすぐにビャクエの目を見返している。それは、ミロクのなかではっきりと決意が固まっていることを示していた。

 「『壊れたオルゴール』」

 「えっ?」

 思いもかけない言葉にビャクエは目をしぱたたかせた。

 「僕の一番、好きな戯曲ぎきょくの題名です」

 ミロクはそう説明した。

 「『壊れたオルゴール』の主人公として『大賢者』と呼ばれる人物が出てきます。作中でのこの大賢者の台詞として、私のもっとも好きな言葉が出てくるんです」

 「それは、どのような?」

 ミロクはいったん、間を置いた。その言葉を思い出し、また、その意味を噛みしめるように目を閉じた。それから、目を開いた。一語いちごゆっくりと噛みしめるように紡いだ。

 「誰からも攻められたくない? ならば、恋をさせることだ。世界中の人間すべてを自分のファンにしてしまうことだ。そうすれば、誰からも攻められることはない」

 その言葉に――。

 ビャクエは脳天を稲妻に直撃されるかのような衝撃を受けた。

 ミロクはつづけた。

 「コダイナは小さな国です。ですが、歴史と伝統のある国。豊かな文化が脈打つ国です。私はその伝統を戯曲ぎきょくとして作りあげる。世界中で公開する。そうして、世界中の人間をコダイナのファンとします。ブライ帝国の民も、皇帝も。そして、いつの日か必ず、奴隷とされたコダイナの民を取り戻します」

 きっぱりと――。

 ミロクはそう言い切った。

 ――ああ。

 ビャクエは目の前の少年を見ながら思った。

 ――この方はそこまでのことを考えていた。だからこそ、あんなにも熱心に、まさに鬼気迫る面持ちで芝居を見、本を読み、自分でも戯曲ぎきょくを書いていた。その目的のために……。

 そう思うビャクエの目には、もう目の前の愛らしい少年はただの子どもとは思えなくなっていた。見た目は幼く、愛らしいけれど、賢者の魂を受け継ぐ、ひとりの人間だった。

 「……では、殿下。あなたは帝国を、わたしの父を許してくださるのですか?」

 「許す? 『許す』とはどういう意味です? なにをどうすれば『許した』ことになるのです?」

 「それは……」

 ビャクエは答えられなかった。

 許す。

 世間一般で当たり前に使われる言葉。

 ビャクエ自身、王立学園の教師として生徒たちによく言ってきた言葉だ。

 『許してあげることが大切』と。

 しかし、では、許すとは?

 なにをどうすれば許したことになるのか?

 ビャクエはそのことを説明できなかった。普段、当たり前に使っている言葉。しかし、その意味さえわからないとは。

 自分がいかに考えなしに『許す』という言葉を使ってきたかを思い知り、ビャクエは教師として恥じ入った。

 ミロクはつづけた。

 「大賢者はこうも語っています。

 『許すとは相手の罪を忘れたり、問わずにすませることではない。相手ととことん向き合い、自分の行為の意味を理解させ、自分で自分の罪を裁くことを認めることだ』

 ならば、私のすることはただひとつ。

 私の描く戯曲ぎきょくをもって帝国の民に、皇帝に、赤髪の総将に、自分のしたことの意味を理解させ、自分で自分を裁かせる。それだけです」

 そう語るミロクには高潔こうけつなまでの覚悟があり、ビャクエは思わず息を呑んだほどだった。

 「で、でも、ミロク殿下。父さまや姉さまが自分の罪を認めるとは思えません。あのふたりにとって『帝国の民を豊かにするために、他国の民を奴隷にする』ことは絶対の正義なのです。それを罪と思うはずがありません。まして、自分で自分を裁くなど……」

 「だからこそ」

 ミロクは言った。

 「いくら向き合っても、いくら伝えようとしても、相手は理解しないかも知れない。罪と認めないかも知れない。それを承知でなお、向き合うからこそ『許す』と言うことなのだ。

 大賢者はそう語っています。私はその言葉に従います」

 「……わたしたちの暮らしは奴隷によって成り立っている。それは事実です。殿下。あなたの食べる食品。あなたの着る服。それらもすべて、奴隷労働によって賄われています。その現実がある以上、父さまと姉さまの言い分にも一面の真理があるのはたしかです。

 もし、父さまと姉さまに自分の罪を認めさせようとするならば、奴隷制自体を否定しなくてはなりません。殿下。あなたにはそれができるのですか? 奴隷制なしで生きていけるおつもりなのですか?」

 そう尋ねるとき――。

 ビャクエの胸はバクバクと鳴っていた。全身に冷たいものが走っていた。

 それは、恐怖だった。

 ――もし……もし、ミロク殿下もヤクシ兄さまと同じように、現実を見ずに夢だけを語っているのだとしたら……。

 そのときは、ミロクの言葉のすべてが『単なる妄想』になってしまう。夢見るお花畑の戯言ざれごとになってしまう。そんなことにはなって欲しくなかった。ミロクの言葉には共感できる。賛成できる。ともに実現したいと思える。だからこそ――。

 その言葉は現実を見据えた上での『理念』であってほしかった。

 ビャクエの言葉に――。

 ミロクは指をあごに当てた。小首をひねった。その仕種がまた歳に似合わぬおとなびた印象だった。

 「……僕たちの生活は奴隷によって支えられている、か。その点はたしかに考えたことがなかったな」

 その言葉に――。

 ビャクエははっきりと失望を感じた。

 ――ああ、やっぱり、この人もか。この人もヤクシ兄さまと同じで現実が見えていないただの夢想家なのか。

 ミロク殿下はまだ子どもよ。それも仕方ないわ。

 ビャクエはそう思い、自分のなかの失望感を押さえようとした。だが、ミロクはヤクシとはちがった。ビャクエの問いにはっきりと答えた。

 「私なら他人に聞きます」

 「他人に聞く?」

 「はい。『壊れたオルゴール』の大賢者はこうも言っています。

 『わしが大賢者と呼ばれるようになった理由はただひとつ。常に人に尋ねてきたからだ。賢者であるコツは自分ひとりで解決しようなどと思わぬことよ。忘れるな。この世界にはおぬしよりも頭の良い人間がごまんといる。世界中の人間に聞くがいい。いつかきっと、おぬしの問題を解決してくれる人間と出会うことだろう」

 だから、私は世界中の人に聞きます。尋ねます。

 『どうすれば、奴隷を解放できるか?』と。

 それに答えてくれる人はきっといます」

 やがて、就寝しゅうしん時間じかんとなった。ミロクを寝室に送ったあと、ビャクエはひとり、拳を握りしめた。心のなかに決意を固めた。

 ――人に聞く。そうよ。わたしはなにをひとりで悩んでいたの? 世界にはこんなに多くの人がいるんだもの。なかには奴隷を解放できる手段を考えつける人だっているはずだわ。その人に聞けばいい。世界中から人を集めて、教えてもらえばいい。そのために――。

 ――ミロク殿下を売り出す!

 握りしめた拳を胸の高さにかかげて、ビャクエはそう決意した。

 ――ヤクシ兄さまはたしかに勇敢だった。でも、それ以上に無謀であり、愚かだった。帝国のあるじに堂々と反論する。それは確かに格好良い。英雄的な行為にはちがいない。

 ――でも、その結果はどう?

 ――兄さまは自分の人生を破滅させただけ。戦争をとめることも出来ず、誰ひとりとして救えなかった。

 ――正面から皇帝に反対するなんていう行為、英雄にしか出来ない。英雄にしか出来ない行為は広まらない。広まらない行為が力をもてるはずがない。だから、兄さまはなにも出来ないまま自分の人生を破滅させるしかなかった。

 ――そして、わたしも……そんな兄さまを救うことはおろか、ともに戦うことも出来なかった。

 ――でも、ミロク殿下のやり方ならわたしでもできる。

 ――たしかに『世界中の人間を自国のファンにする』なんて、人によってはとんでもなく甘ったるい考えに思うでしょう。

 ――『国を守るためには戦うしかない!』

 ――そう思う人は多いでしょう。

 ――でも、甘ったるい考えだからこそ、誰にでも出来る。誰にでも出来ることだからこそ、世界に広めることが出来る。世界に広めることの出来る行いだからこそ、力をもつことができる。それこそ、世界の未来をかえることだって出来るほどの。だから――。

 ビャクエは自らの胸に決意を刻んだ。

 ――ミロク殿下の思いを世界中に発信し、ミロク殿下を世界の偶像アイドルとする。世界中の人々をミロク殿下に共感するファンとする。そして、多くの人を集め、教えてもらう。戦争しなくてすむ方法を。奴隷を解放できる方法を。

 ――父さまにしても、姉さまにしても、決して戦争狂というわけではない。ふたりともただ単に祖国のためになることをしているだけ。戦争や、奴隷労働よりも国を豊かに出来る方法があるならそちらを選ぶ。そうなれば……戦争も奴隷もいない世界を作れる!

 ビャクエは決意を込めた目で振り返った。寝室の扉を見た。その奥でいまも必死に本を読み、書き物をしているはずの少年の姿を。

 「ミロク殿下。わたし、決めました。あなたを世界の偶像アイドルとします。わたしはいま、あなたに恋をしました。いまから、あなたがわたしの推しです。わたしがあなたのファン第一号です!」

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