二章 舐めるな、クソガキ!

 「あの、お芝居っ子だが……」

 コダイナ公子ミロクが人質として、ビャクエの屋敷に住むようになって一年。一二歳になった敗残の公子は帝国の宮廷でそう呼ばれていた。

 「あいかわらず劇場やら芝居小屋にびたっているらしいな」

 「ああ、もっぱらの噂だからな。それこそ、朝から晩まで一日中、芝居見物らしいぞ」

 「それも、一流どころの大劇場だけではなく平民どもがたむろする場末ばすえの芝居小屋にまで行くらしいからな。敗残の公子には支配者としての誇りさえないらしい」

 「まったくだな。いくさに負けたというのに武芸を磨いてとり戻そうとするでもなく芝居見物。芝居のことしか頭にないお花畑頭なのか、それとも、現実から逃げまわっているのか知らないが、情けないことだ」

 「そんな軟弱なことだから国を奪われる羽目になるのだ。自業じごう自得じとくよ」

 ブライ帝国の宮廷ではそんな陰口が毎日のようにささやかれていた。もっとも、本人のいる前でも堂々と、むしろ、本人の前でこそあざけるために声高に語られているのだから『陰口』とは言えないかも知れないが。

 当然、ミロク本人にもその声は聞こえているはずだった。なにしろ、『聞かせるため』に大声で言っているのだから。それでも、ミロクはなにひとつ言い返すことも、悔しそうなそぶりひとつ見せることもなく、今日も黙々と芝居小屋に向かっていた。

 世話役――と言う名の監視役――であるビャクエとしては、いろいろと複雑な思いだった。

 ブライ帝国皇帝バトウは、人質とした敗残の公子などにさしたる興味はなく『帝都から出さなければよい』としか言っていない。はじめて会ったあの日以来、会おうとしたこともないし、宮廷でのもよおしに招いたこともない。

 その意味ではミロクが毎日まいにち劇場や芝居小屋にびたろうがどうしようが問題ない。しかし、さすがに人質の身。ひとりで好きなように行動させる、と言うわけにはいかず、ミロクが外出するとなれば世話役であるビャクエも同行せざるを得ない。

 ミロクが毎日まいにち朝から晩まで芝居見物、となればビャクエも付き合わさせるを得ず正直、これはかなりの苦行だった。

 ――この公子さまは本当に言われているような『お花畑頭』なの?

 そんな疑いも芽生えてくる。

 ――コダイナ公国は征服されたとは言え、名目上は未だ独立国。お父上であるクバンダ大公も健在。ミロク殿下は将来のコダイナ大公。父さまがそれまで、コダイナ公国を完全に併呑へいどんしなければ、の話だけど。

 ――それでも、大公になる可能性がわずかでもある以上、そのときに備えて学び、準備するのが公子としての役目のはず。それなのに、政務について学ぶでもなく、武芸を磨くでもなく、人脈すら作ろうとせず、ただひたすら芝居見物なんて。

 公子としての自覚があるの?

 そうも思う。しかし――。

 ――真剣すぎる。

 芝居に目をやるミロクの横顔を見るたび、そう思う。

 ミロクの芝居を見る表情は――それがどんなに低俗で下劣なものでも――真剣そのもので、それこそ、食い入るように見る。

 芝居を楽しんでいるという表情ではない。

 それこそ、芝居を見つめ、分析するかのように見つめている。それは芝居好きの極楽とんぼの表情ではなく、自分の研究対象に全精力を注ぎ込む博物学者の態度だった。

 さらに、いつもペンとノートを用意していて芝居の合間あいまに気がついたことを書き込んでいる。そのノートの数はこの一年間で一〇〇冊を超えてしまったほど。

 屋敷に帰ればかえったで休んでなどいない。

 あさるように本を読み、自室にこもっては自分でも芝居の台本やら戯曲ぎきょくやらを書いているらしい。夜中に何度、様子を見に行っても扉の隙間からランプの明りがこぼれている。部屋が闇に閉ざされていることはない。

 どうやら毎晩、ベッドに入ることもなく、机に向かって書き物をしたまま眠り込んでしまっているらしい。

 ここまで来るとさすがに違和感を通り越して、ある種の恐怖さえ感じる。

 ――単なるお芝居好きのお花畑頭でここまでできるはずがない。かと言って、現実逃避と言うにはひどすぎる。こんな暮らしをつづけるぐらいなら現実を見た方が楽なはず。

 そんな暮らしをしているのだから当然と言えば当然かも知れないが、成長期男子でありながらミロクはこの一年、ほとんど成長していなかった。それどころか、もともと女の子のように華奢きゃしゃだった体つきはさらにせたように見える。

 無理もない。

 なにしろ、食事もほとんどとらずに部屋にこもり、ろくに運動すらしていないのだから。

 ――このままではいけない! 体を壊してしまう!

 『コダイナを滅ぼした敵国の皇女』という立場への負い目からこの一年間、見逃しできたビャクエだが、さすがに限界だった。おとなの責任と教師の義務感とか負い目に勝り、とうとうミロクに意見することとなった。

 「ミロク殿下。お芝居好きもけっこうですが限度というものがございます。こんな暮らしをつづけておられてはお体を壊してしまいます。どうか、ほどほどになさってください。せめて、夜はきちんと眠られますよう」

 心からの忠言だったが、ミロクの態度は、はなはだ非友好的なものだった。

 「あなたには関係のないことです」

 顔も見ず、視線をそらしたままそう言ってのけたのだ。

 この態度にはさすがにビャクエもムッとなった。

 「……たしかに。わたしは殿下にとって憎むべき敵。その敵から意見などされたくはないでしょう。しかし、わたしは初等科教師でもあります。その教師としての立場から言っているのです。どうか、もっとご自愛ください。健康をそこねる結果になっては復讐戦を挑むことも出来ないのですよ」

 「そんなことを言っているのではありません。とにかく、私にかまわないでください」

 ミロクはそう言って立ち去った。ビャクエに向けられた小さな背中が『よるな、かまうな、話しかけるな』と言っている。

 その態度に――。

 ビャクエはキレた。

 「なによ、あの態度! 生意気にもほどがあるわ。侵略した側だと思っておとなしくしていればつけあがって。いいわよ。そっちがその気ならこっちにだって覚悟があるわ。教師をめるんじゃないわよ、このクソガキ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る