三章 女教師の本気
「おはようございます、殿下!」
その日の朝早く、ビャクエはミロクの部屋の扉を音高く開けて部屋のなかに躍り込んだ。一国の公子とは言えしょせん『人質』。部屋に鍵などかかるはずもなく、入ろうと思えばいつでも入ることが出来るのだ。
「な、なんだ、なんだ、いきなり……」
突然の乱入にミロクは飛び起きた。
なにが起きたのかを理解すると、敵国の皇女に向かって抗議の声を張りあげた。
「な、なんですか、いきなり⁉ 着替えもしていないうちから部屋に入り込んでくるなんて失礼ではありませんか」
その抗議を、ビャクエは聖剣並の切れ味で一刀両断にした。
「どうせ、昨日の服のままではありませんか」
ビャクエの言うとおり、ミロクの服装は昨日のままだった。昨夜も例によって椅子に座って本を読みながら寝落ちしてしまい、そのまま朝になったので寝間着に着替えていなかったのだ。
「そ、それはそうなんですけど……」
そのことに気がついてミロクはややバツが悪そうに頬を赤らめた。本人は不本意だろうがそんな表情がまさに『姫』的で愛らしいものなのはたしかだった。
そんな表情を見ながらビャクエは宣言した。
「今日から殿下のご生活は、わたしが管理させていただきます」
「なんだって⁉」
ミロクはさすがに
ビャクエはそんなミロクに対し、世の絶対真理を説くがごとく断言した。
「殿下のご生活はあまりにも不健康です。その暮らしを正し、健康的な生活を送っていただく。そのために、わたしが管理させていただくと言うことです」
「な、なんでいきなり……というか、なんの権利があって。僕に課せられているのは『帝都から出ない』、『ひとりで外出しない』という二点だけだったはずだぞ」
「わたしは初等科の教師です。児童の健康を守る責任があります。それに、『いきなり』ではありません。一年にわたって我慢にがまんを重ねた結果です。
さあ、まずはお着替えください。一国の公子ともあろうお方が洗濯もしていない、汗臭い服など着ているものではありません」
「わあっ! よせ、脱がすな! 着替えぐらい自分でする!」
ミロクは真っ赤になってビャクエの暴挙に抵抗した。両腕を振りまわし、なんとかビャクエの腕をふりほどく。それから、自分で着替えをした。
ビャクエはその間にもその場に立ち、監視していたので恥ずかしいことこの上なかった。だからと言って『あっち向いてて!』などと叫ぶのも女の子っぽくてやりたくない。仕方なく、なるべく体を隠しながらそそくさと着替えをすませた。
「けっこうです」
白衣は脱いだ服を――下着も含めて――受けとると、廊下に控えさせておいたメイドに手渡した。
「それでは、顔を洗い、髪を
むんず、と、ミロクの腕をつかんで洗面所まで引きずっていく。いくら男女と言ってもミロクは小柄な一二歳。ビャクエは一般的な体型の二一歳。力で対抗できるはずもない。ミロクはメイドや他の使用人の見ている前で廊下を引きずられていく。
それはまさに『連行』という言葉がピッタリくる光景であり、ミロクの姿はまるで無理やり散歩に連れ出される子イヌのようだった。
それがすむと今度は朝食。無理やりつかされたテーブルの上にはオニオンとレタスのサラダ、ライ麦パン、サーモンとジャガイモのミルクスープ、スクランブルエッグ、ローストビーフという朝食が並んでいた。しかも、そのすべてが大盛り。もともと小食のミロクにとっては胃の全容量の三倍はありそうな量だ。
その大ボリュームの食事を見て、ミロクは青くなって訴えた。
「な、なんで、朝からこんなに……」
「殿下のお年頃の男子であればこの程度、必要最小限のカロリーと栄養です」
「いや、多すぎるだろ!」
「そう思うのは殿下がいままで小食すぎたからです。これからはきちんと食べていただきます。すべては殿下ご自身の健康のため。ひいては、コダイナ公国とその民の将来のためです」
ビャクエはそう言いきった。その口調といい、表情といい、全身から噴き出す『先生の言うことを聞きなさい!』オーラといい、すべては決定事項であり、
――これは、食べ尽くさないとはなしてもらえないぞ。
ミロクは心まで青くなってそう悟った。ミロクでなくても悟らずにはいられなかったろう。それぐらい、ビャクエは本気だったのだ。それに――。
――『コダイナ公国と民の将来のため』と言われては……。
コダイナ公国の未来を
小一時間ほどもかけてようやく、多すぎる朝食を平らげた。その頃には胃はぽっこりふくれ、息も苦しくなっていた。椅子の背もたれによりかかり、ゲップなどしてしまう。
一国の公子としてはあまりにもはしたない行為だったが、無理やり食物を胃袋に詰め込んだのだ。こればかりは致し方ない。
「けっこうです。では、食休みをはさんでから運動していただきます。まずは、中庭の散歩からはじめましょう」
「散歩って……僕はイヌじゃないぞ」
「殿下は栄養だけではなく運動と日差しも足りていません。適量の食事、適度な運動、そして、ほどほどに日光を浴びること。それらがそろってはじめて健康的な暮らしと言えるのです」
「食事量からして『適量』なんかではないでしょう!」
ミロクの胃袋の叫びは――。
もちろん、無視された。
ミロクはビャクエにしっかりと手を握られ、中庭を歩きまわされていた。
『引っ張りまわされていた』と言った方が適切だろう。そんな光景だった。
ミロクはしっかりとつながった手の感触に顔を真っ赤にし、顔をそらしている。ときおり、すれちがう使用人たちのなんとも微笑ましそうな視線がまた心に突き刺さる。
「……な、なんで、手なんか握っているんだ?」
「殿下が逃げ出さないためです、もちろん」
「だから、僕はイヌじゃない!」
「きちんと教育を受けていない児童なんて、イヌよりも始末に悪いです」
おそらくは――。
国立学園初等科教師としての日々の経験から発せられたその言葉に、ミロクはなにも言えなくなった。
「と言うわけで、今日からはわたしの授業を受けていただきます」
「授業だって⁉」
「そうです。芝居見物もけっこうですが、殿下のお年頃なら学ばなくてはいけないことは山ほどあります。おろそかにしてはなりません」
宣言通り、散歩のあとは授業と相成った。
数学、歴史、古典文学……国立学院で教えていることと同じ内容を一通り講義したが、ミロクの知識量と呑み込みの早さはビャクエの想像をはるかに超えていた。
――ルシャナ姉さまはミロク殿下のことを軟弱者呼ばわりしていたけど……学問においては相当に優秀だわ。軍人としてお亡くなりになったお兄さまたちとちがい、政治の道を進まれるおつもりだったんでしょうね。
おとなしく、生真面目で、読書好き。そして、頭脳明晰。
――ヤクシ兄さまと気が合うかも。
ビャクエはそんなことを思った。
それから昼食。
その場に並んだ料理もミロクにとってはあまりにも量の多すぎるものだった。朝、食べた分が多すぎたせいで胃がもたれており食欲などなかったのだが、ビャクエが目の前に立って監視しているとあっては食べないわけにはいかない。またまた無理してすべてを胃に詰め込む羽目に相成った。
午後になってようやくいつもの芝居見物。
それから、遅めの夕食をとり、それからは自由時間が認められた。認められたのだが、
「どうして、こんな時間に部屋のなかにくるんです⁉」
ミロクが叫んだ。
「
と、宣言しながらビャクエはズカズカと部屋に入り込んできたのである。
「体が成長するのは夜、寝ている間です。殿下のお年頃では早く寝て充分な時間、睡眠をとることが必要です。それなのに、殿下は毎晩、遅くまで起きて机に向かったまま寝てしまっているご様子。そんなことでは健全な成長は望めません。これからは毎日、
「そんなことが許されるのか⁉ 僕とあなたはその……」
「側にいられては気になって眠れませんか? それでは、子守歌を歌ってさしあげます」
「そういうことを言っているんじゃなくて……よせ、やめろ、子守歌なんて歌うな、子ども扱いするなあっ!」
ミロクの絶叫がビャクエの屋敷中に響いた。
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