年上皇女は、敗残の公子を推しとする
藍条森也
一章 皇女と敗残の公子
「コダイナ公国第三公子、ミロク」
ブライ帝国皇帝バトウはそう言ってから太い唇を『ニイッ』と曲げて見せた。
人を
帝都の宮殿における
そのなかに
その玉座に堂々と腰掛けながらなお、その全身をいかつい甲冑に包み、巨大な剣を床についている。その常識外れの大きさと重さから『熊さえも断つ』
ただ、そこにいるだけでその全身から吹きつけて来るかのような威圧感。
それはもはや人間のものとは思えなかった。まさに、森の王たるクマが鎧をまとってその場に座っている。そんな印象だった。
それこそが、ブライ。
単に大陸最大の軍事国家の皇帝と言うにとどまらず、その実力をもって『
その怪物とは対照的に、その前に
コダイナ公国第三公子ミロク。
バトウにそう呼びかけられた少年だった。
ブライは
「いや、もう第三公子ではなかったな。第一公子であったな」
「……はい」
と、ミロクはバトウの言葉にうなずいた。
「ふたりの兄は戦場に
「そうだ。わたしが斬った」
堂々と自慢げにそう言ってのけたのはバトウの隣に立つ人物。波打つ豊かな赤髪に純白の鎧をまとった女性。バトウがクマならこちらはトラ。密林のなかをひとり
バトウの娘にして次期ブライ帝国皇帝、第一皇女ルシャナである。
バトウその人をのぞけば帝国最強、すなわち人類最強と呼ばれる剣の冴え。そして、勇猛果敢な指揮力とによって、ミロクの祖国コダイナ公国を攻め滅ぼした帝国の総将である。
純白の鎧をまとうのは『白い鎧が敵さ返り血を浴びて赤く染まるのが好きだからだ』と、まことしやかに噂されている。
戦場において剣を振るい、返り血にまみれ、豊かな赤髪を振るわせて高らかに
ルシャナは父に劣らぬ
「お前のふたりの兄も一国の公子とはとても思えぬほど歯応えのない相手であった。しかし、お前はそのふたりに比べてもさらに軟弱そうだな。その身も、手足も、まるで娘のように細く、弱々しいではないか。そんなことでまともに食っているのか? 鍛えているのか? 噂ではろくに
――なんと非道な。
勝者の残酷きわまる台詞に
ギュッ、と、武器などもったことのないたおやかな手を握りしめる。
――先の戦争は我が国が一方的に攻め込んだもの。なんの非もない相手に攻め込んで、
ビャクエは腹が立って仕方がない。
三年前。
大陸最大の軍事国家たるブライ帝国は突如として隣接する小国コダイナ公国に
その圧倒的な軍事力の差から『戦いはすぐに終わるだろう』と、誰もが予測したその戦いはしかし、三年に及ぶ長期戦となった。
コダイナ公国大公クバンダが徹底抗戦を
「祖国を守れ!」
との国内の団結と、各国からの支援を受けて、一時的とは言え優位に立つほどの
しかし、しょせんは物量がちがう。戦いが長引くにつれてコダイナ公国は息切れし、抵抗力を失っていった。さらに、各国の支援も限界に達し、兵も、武器も、食糧も、なにもかもが足りなくなった。
そこへ、ルシャナ率いる最強部隊が攻め込んだ。しかも、
それは、古代超文明の残した生物兵器。
いや、怪獣兵器。
ひとたび、卵から
しかも、溶け崩れた肉片はあたりを汚染し、動物と言わず、植物と言わず、荒れ狂う魔物へかえる。ひとたび使われればその後、何十年にもわたって辺り一帯を人の住めない魔界にかえてしまう。
その残虐性と、長きにわたって影響を残しつづけることから条約によって使用を禁じられている兵器。
大陸広しと言えどもブライ帝国以外にこんなものをもっているのはタイクン共和国だけ。それほどの禁断の兵器さえ、バトウは投入したのだ。
――おれに逆らえばこうなるぞ。
そう思い知らせるための見せしめとして。
高笑いをしながら。
その結果にさしもの徹底抗戦を唱えた大公クバンダも降伏せざるを得なくなった。そして、
そうしていま、わずか一一歳の少年はただひとり、敵国の
いくら人質とは言え、一国の公子たる身が
――お前はもはや一国の公子などではない。ただの無力な人質なのだ。
そう思い知らせ、
少年がいま、どのような思いでいるのか。
それは、ビャクエには想像もつかないことだった。
いや、もちろん、バトウを憎み、ルシャナを憎み、帝国そのものを憎んでいるであろうことは
しかし、その憎しみがどれほど深く、激しいものか。
それは、ビャクエにはまったくわからない。
ただひとつ――。
遠目にもはっきりと見えていることがある。
ミロクの手、その小さな手は皮膚が白くなるほどに強く握りしめられている。
わずか一一歳の少年がただひとり抱えているその思い。
それを思うとビャクエは胸が張り裂ける思いがする。しかし――。
――わたしに父さまや姉さまを責める資格はない。
そう思う。
ビャクエの怒りも、胸の痛みも、すべては苦い思いとなって自分自身に跳ね返ってくる。
――わたしはこの侵略に反対だった。でも、父さまが怖くてなにも言えなかった。ヤクシ兄さまのように堂々と反対を表明し、いさめることも出来ず、かと言って、姉さまのように祖国のために戦うこともせず……戦場から遠くはなれた宮殿にこもっていただけの卑怯者。そのわたしになにかを言う資格なんて……。
ギュッ、と、ビャクエは唇を噛みしめた。
バラのように紅い唇がさらに赤く染まった。あまりに強く噛みしめたために血が
バトウはミロクに向かい、ニィッと笑って見せた。
邪悪。そう言っていい笑みだった。
「まあ、安心しろ。お前を無下に扱う気はない。なにしろ、お前の父は我々の最大の協力者だったからな」
その言葉に――。
ミロクはさらに強く小さな手を握りしめた。
「ビャクエ!」
バトウの、ズシリと肚に響く声がした。
皇帝たる父に名を呼ばれ、ビャクエはハッとなった。あわてて控えの間から出て
「我が娘、第二皇女のビャクエだ。一応はな」
一応はな。
そう言って、
「ミロクよ。今日からこの娘がきさまの相手をする」
バトウが重々しくそう宣告すると、ルシャナも
「不出来な妹でな。国立学院初等科の講師という皇族とも思えぬ職に就いている。お前のような軟弱な小僧っ子の相手は慣れているというわけだ。軟弱もの同士、せいぜい仲良くするのだな」
「……よろしくお願いします、ビャクエ殿下」
ミロクはひざまずいたままビャクエに向かい、そう言った。
ズキリ、と、ビャクエは胸の痛みを感じた。
――わたしはまちがいなくバトウ皇帝の娘。国を侵略し、多くの民を
どれほど、つらいだろう。
どれほど、悔しいだろう。
憎まれて当然。
恨まれて当然。
一生、許されなくて当然。それでも――。
――それでも、ミロク公子。わたしはあなたの力になりたいのです。あなたの失ったものをほんの少しでも埋めてさしあげたいのです。
敗残の公子ミロク、一一歳。
ブライ帝国第二皇女ビャクエ、二〇歳。
歳のはなれた男女ふたりの、これが出会いだった。
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