年上皇女は、敗残の公子を推しとする

藍条森也

一章 皇女と敗残の公子

 「コダイナ公国第三公子、ミロク」

 ブライ帝国皇帝バトウはそう言ってから太い唇を『ニイッ』と曲げて見せた。

 わらったのではない。

 わらったのだ。

 人をあざけり、侮辱ぶじょくし、傷つけるための表情。仮にも一国の公子を相手にそんな真似をして許されるのは、バトウこそがコダイナ公国を蹂躙じゅうりんし、征服した『勝者』だからである。

 帝都の宮殿における謁見えっけん

 そのなかにしつらえられた玉座。

 その玉座に堂々と腰掛けながらなお、その全身をいかつい甲冑に包み、巨大な剣を床についている。その常識外れの大きさと重さから『熊さえも断つ』断熊だんゆうけんと呼ばれる剣である。

 ただ、そこにいるだけでその全身から吹きつけて来るかのような威圧感。

 それはもはや人間のものとは思えなかった。まさに、森の王たるクマが鎧をまとってその場に座っている。そんな印象だった。

 それこそが、ブライ。

 単に大陸最大の軍事国家の皇帝と言うにとどまらず、その実力をもって『人類じんるい随一ずいいち』と呼ばれるいくさ士の姿だった。

 その怪物とは対照的に、その前にひざをついて座り、こうべれているのはまだ年端もいかない少年だった。まだ一一、二といったところだろう。その年齢にしても体格は小さく、肩幅もせまく、まるで、女の子のような体つき。顔立ちも愛らしく、おとなしげで『姫』と呼ばれるのが似合う雰囲気ふんいきさえある。

 コダイナ公国第三公子ミロク。

 バトウにそう呼びかけられた少年だった。

 ブライはあざけりの表情のままつづけた。

 「いや、もう第三公子ではなかったな。第一公子であったな」

 「……はい」

 と、ミロクはバトウの言葉にうなずいた。

 「ふたりの兄は戦場にたおれましたので」

 「そうだ。わたしが斬った」

 堂々と自慢げにそう言ってのけたのはバトウの隣に立つ人物。波打つ豊かな赤髪に純白の鎧をまとった女性。バトウがクマならこちらはトラ。密林のなかをひとりき、あらゆる獲物を打ち倒す最強の捕食者。

 バトウの娘にして次期ブライ帝国皇帝、第一皇女ルシャナである。

 バトウその人をのぞけば帝国最強、すなわち人類最強と呼ばれる剣の冴え。そして、勇猛果敢な指揮力とによって、ミロクの祖国コダイナ公国を攻め滅ぼした帝国の総将である。

 純白の鎧をまとうのは『白い鎧が敵さ返り血を浴びて赤く染まるのが好きだからだ』と、まことしやかに噂されている。

 戦場において剣を振るい、返り血にまみれ、豊かな赤髪を振るわせて高らかにわらうその姿を見れば、誰もが永遠の悪夢にとらわれるという。次期皇帝、そして、バトウの護衛役としてただひとり、この謁見えっけんにいるときも剣をたずさえることを許された存在である。

 ルシャナは父に劣らぬあざけりの笑みをミロクに向けた。

 「お前のふたりの兄も一国の公子とはとても思えぬほど歯応えのない相手であった。しかし、お前はそのふたりに比べてもさらに軟弱そうだな。その身も、手足も、まるで娘のように細く、弱々しいではないか。そんなことでまともに食っているのか? 鍛えているのか? 噂ではろくに稽古けいこもせずに本ばかり読んでいるそうではないか。そんな軟弱なことだからいくさに負けて国を滅ぼされる羽目になるのだ。反省するのだな」

 ――なんと非道な。

 勝者の残酷きわまる台詞にいきどおったのはルシャナの妹、ブライ帝国第二皇女ビャクエだった。姉とはことなり父の隣に立つことは許されず、しかし、父たる皇帝バトウの命によって隣室に控えているビャクエは、わずかに開けた扉の隙間から謁見えっけんの様子をうかがっていた。

 ギュッ、と、武器などもったことのないたおやかな手を握りしめる。

 ――先の戦争は我が国が一方的に攻め込んだもの。なんの非もない相手に攻め込んで、蹂躙じゅうりんしておきながらなんという言い草。そもそも、どんなに鍛えたところで人口三百万程度の小国が、どうやったら人口五千万を越える大国に勝てると言うの?

 ビャクエは腹が立って仕方がない。

 三年前。

 大陸最大の軍事国家たるブライ帝国は突如として隣接する小国コダイナ公国に宣戦せんせん布告ふこく。第一皇女ルシャナを先頭に、大軍をもって攻め込んだ。

 その圧倒的な軍事力の差から『戦いはすぐに終わるだろう』と、誰もが予測したその戦いはしかし、三年に及ぶ長期戦となった。

 コダイナ公国大公クバンダが徹底抗戦をかかげて国民たちを鼓舞こぶし、さらに、ブライ帝国と並ぶ大国、タイクン共和国やその他の国々からの支援を受けて決死の抵抗を見せたからである。

 「祖国を守れ!」

 との国内の団結と、各国からの支援を受けて、一時的とは言え優位に立つほどの奮戦ふんせんを見せたこともある。

 しかし、しょせんは物量がちがう。戦いが長引くにつれてコダイナ公国は息切れし、抵抗力を失っていった。さらに、各国の支援も限界に達し、兵も、武器も、食糧も、なにもかもが足りなくなった。

 そこへ、ルシャナ率いる最強部隊が攻め込んだ。しかも、化生けしょう兵器へいきまでもちこんで。

 化生けしょう兵器へいき

 それは、古代超文明の残した生物兵器。

 いや、怪獣兵器。

 ひとたび、卵からかえれば、見境なしに暴れまわり、蹂躙じゅうりんし、その場にあるものすべてを食らって成長をつづけ、自らの過剰な生命活動によって肉体が溶け崩れ、自壊するまで破壊をつづける魔性の兵器。

 しかも、溶け崩れた肉片はあたりを汚染し、動物と言わず、植物と言わず、荒れ狂う魔物へかえる。ひとたび使われればその後、何十年にもわたって辺り一帯を人の住めない魔界にかえてしまう。

 その残虐性と、長きにわたって影響を残しつづけることから条約によって使用を禁じられている兵器。

 大陸広しと言えどもブライ帝国以外にこんなものをもっているのはタイクン共和国だけ。それほどの禁断の兵器さえ、バトウは投入したのだ。

 ――おれに逆らえばこうなるぞ。

 そう思い知らせるための見せしめとして。

 高笑いをしながら。

 その結果にさしもの徹底抗戦を唱えた大公クバンダも降伏せざるを得なくなった。そして、服従ふくじゅうあかしとして、三人の息子のうち、ただひとり生き残ったミロクを人質として差し出す羽目になったのである。

 そうしていま、わずか一一歳の少年はただひとり、敵国の謁見えっけんでひざまずいているのである。祖国を侵略し、国民を虐殺した敵の目の前で。

 いくら人質とは言え、一国の公子たる身が随員ずいいんのひとりも従えることを許されず、たったひとりでここまでやってくることを強制されたのはひとえに、己の立場をわきまえさせるため。

 ――お前はもはや一国の公子などではない。ただの無力な人質なのだ。

 そう思い知らせ、尊厳そんげんを奪い、嘲笑あざわらうためだった。

 少年がいま、どのような思いでいるのか。

 それは、ビャクエには想像もつかないことだった。

 いや、もちろん、バトウを憎み、ルシャナを憎み、帝国そのものを憎んでいるであろうことは容易よういに想像がつく。

 しかし、その憎しみがどれほど深く、激しいものか。

 それは、ビャクエにはまったくわからない。

 ただひとつ――。

 遠目にもはっきりと見えていることがある。

 ミロクの手、その小さな手は皮膚が白くなるほどに強く握りしめられている。

 わずか一一歳の少年がただひとり抱えているその思い。

 それを思うとビャクエは胸が張り裂ける思いがする。しかし――。

 ――わたしに父さまや姉さまを責める資格はない。

 そう思う。

 ビャクエの怒りも、胸の痛みも、すべては苦い思いとなって自分自身に跳ね返ってくる。

 ――わたしはこの侵略に反対だった。でも、父さまが怖くてなにも言えなかった。ヤクシ兄さまのように堂々と反対を表明し、いさめることも出来ず、かと言って、姉さまのように祖国のために戦うこともせず……戦場から遠くはなれた宮殿にこもっていただけの卑怯者。そのわたしになにかを言う資格なんて……。

 ギュッ、と、ビャクエは唇を噛みしめた。

 バラのように紅い唇がさらに赤く染まった。あまりに強く噛みしめたために血がにじんだのだ。

 バトウはミロクに向かい、ニィッと笑って見せた。

 邪悪。そう言っていい笑みだった。

 「まあ、安心しろ。お前を無下に扱う気はない。なにしろ、お前の父は我々の最大の協力者だったからな」

 その言葉に――。

 ミロクはさらに強く小さな手を握りしめた。

 「ビャクエ!」

 バトウの、ズシリと肚に響く声がした。

 皇帝たる父に名を呼ばれ、ビャクエはハッとなった。あわてて控えの間から出て御前ごぜんに参上する。

 「我が娘、第二皇女のビャクエだ。一応はな」

 一応はな。

 そう言って、あざけるように唇をねじ曲げたところに、バトウの末娘すえむすめに対する思いが見えていた。

 「ミロクよ。今日からこの娘がきさまの相手をする」

 バトウが重々しくそう宣告すると、ルシャナもあざけりの声をあげた。

 「不出来な妹でな。国立学院初等科の講師という皇族とも思えぬ職に就いている。お前のような軟弱な小僧っ子の相手は慣れているというわけだ。軟弱もの同士、せいぜい仲良くするのだな」

 「……よろしくお願いします、ビャクエ殿下」

 ミロクはひざまずいたままビャクエに向かい、そう言った。

 ズキリ、と、ビャクエは胸の痛みを感じた。

 ――わたしはまちがいなくバトウ皇帝の娘。国を侵略し、多くの民を殺戮さつりくした敵のひとり。憎くないはずがない。そんな憎い相手に対して『お願いします』と言わなくてはならないなんて。

 どれほど、つらいだろう。

 どれほど、悔しいだろう。

 憎まれて当然。

 恨まれて当然。

 一生、許されなくて当然。それでも――。

 ――それでも、ミロク公子。わたしはあなたの力になりたいのです。あなたの失ったものをほんの少しでも埋めてさしあげたいのです。

 敗残の公子ミロク、一一歳。

 ブライ帝国第二皇女ビャクエ、二〇歳。

 歳のはなれた男女ふたりの、これが出会いだった。

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