関西地方のアレについて

@aiba_todome

第33-4話

 仕事の都合で関西地方を訪れるのは、3年ぶり5回目だった。関西は嫌いではない。東京とはまた違った喧騒と、時に別世界のような顔をのぞかせる街。たまに観光する分にはちょうどいい。

 人に恵まれたことも大きい。こちらに住んでいる親戚がとても親切な人で、相談すると快く泊まらせてくれた。


 親戚の家は、いわゆるベッドタウンといった場所で、市街地からは少し遠い。だがその分空気はきれいだ。朝目覚めると気分がいい。

 

「おはようございます」


「おう、おはようさん。よう寝れたか」


「はい。おかげさまで」


 親戚のおじさんに挨拶すると、広げた新聞の上から顔を出してくる。話し好きの人なのだが、今日はよほど新聞に興味があるらしい。すぐに紙面に目を向け直した。

 代わって台所からおばさんが出てくる。この人も料理上手で明るい人なのだが、今日ばかりはどこか遠慮したような雰囲気があった。


「今日は休みなんやろ?どこか出かけるん?」


「ええ、まあ。街の方で羽根を伸ばそうかと」


「街はあかん」


 急な否定に思わず振り返る。新聞が下がっている。おじさんがこちらを見ていた。

 

「今日は街に行ったらあかん。夜は特にな。家からも出んほうがええ」


「せやなあ。アレがあるかも知れんしなあ」


?」


 反射的に聞き返したのも無理はない。アレとはあまりにも曖昧あいまいな言い方だ。

 私の問いに対して、普段ははっきりし過ぎるほどはっきり物を言うおじさんは、声を低めて話し出す。


「ああうん。アレがあるとな、街が騒がしくなるさかい」


「アレってなんのことですか?」


「そらあんた、アレゆうたら」


「おい」


 おじさんが短く叱責した。夫婦のどちらも気の強い人たちだから、聞いている方が身をすくめるような言い争いをすることがよくある。それでもずっと一緒なのだから、お互い相性がいいのだろう。

 ところがおばさんはあっさりと引き下がり、会話が途切れる。不自然な静寂に、この場の全員が困惑していた。


「まあともかく、街はあかん。特に川やな。特に。絶対近寄ったらあかん」


「そうやよお。今日は家で映画でも見とき。ほら、ネットフリークスやっけ。ああいうので」


 名前は違うが、言いたいことは分かる。何も言わず家にいてほしいようだ。

 だが私は好奇心が抑えられなかった。あけっぴろげなこの家族が、これほどひた隠しにするとはなんなのか。突き止めたいと思った。





 散歩に出ると言って、市街地へと向かう。感じる空気だけでも、いつもと違う。誰もが言いようのない不安を隠すように、吐き出したいものを吐き出せないかのように押し黙っている。

 少なくない回数、この地方を訪れているが、こんなことは初めてだった。


 家の前の椅子に座り込んで、老人が新聞を読んでいる。思えば新聞を読む人が多い。しかも、普段は天気予報さえ見なさそうな、いかにもな頑固おやじが、舐めるように文字を追っていた。

 一体何が書いてあるのか気になり、一面を覗いてみる。


アレ


 見てはいけないものを見たような気がして、視線を戻した。タイトルから図表、本文に至るまで、くまなくアレの文字が踊っている。

 見たところスポーツ紙とはいえ、情報を伝えるべき新聞でアレなどという単語を使うだろうか。隠語と言うには直接的過ぎる。というのはもっと大きい、この地方の誰もが知っている常識のようだった。



「あかんよ、お兄さん」


 幼い声が耳に届く。私は声の方ではなく老人を見た。覗き見をしたことがバレたらまずいと思ったからだが、幸い新聞に集中していて、気づかなかったようだった。


「あんお爺さんちょっと耳遠いから聞こえてへんよ。そんな人に変なことしてえ。悪い人やね、お兄さん」


 今度こそ声の方を向く。小学生くらいの少女が立っていた。ひらひらのフリルがたくさんついたワンピースを着ている。

 おかげで神秘的な雰囲気は一切無い。だがそれでも、その笑いを含んだ瞳には、背筋が凍るような気配があった。


「いや、ごめんよ。ただどうしてもアレが気になって」


「アレってのこと?」


「あ、ああ。多分そうなんだろう。それで街の方まで行こうと」


「殺されてまうよ?」


「え?」


 少女は笑みを貼り付けたまま、しかし氷のような声で言った。


「行ってしもたら、に殺されてまうよ?」


「はんしんさま?」


 しん、というと神様のしんだろうか。はんはなんだろう。そのはんしんさまとやらが、アレの正体なのだろうか。


「はんしんさまがアレってことかな?」

 

 とりあえず聞いてみると、少女はきょとんとした表情になって、すぐにくすくす笑いだした。


「なんではんしんさまがアレやねん。面白いなあ、お兄さん。はんしんさまがアレするに決まっとるやろ?」


 はんしんさまがアレをする。つまりアレとは何らかの行為なのだろうか。より詳しく話を聞こうと、少女に顔を寄せた時、彼女の笑みが凍った。

 怖がらせたかと焦るが、その視線を追えば、私の斜め後ろに向かっている。

 後ろの方で、老人がじっとこちらを見ていた。


「うち宿題あるから帰る。またなお兄さん。街に行ったらあかんよー」


 駆け出す少女。私も到底ここには留まれず、小走りで老人の目から逃げ去った。


 身の危険を感じてきたが、謎の本質に近づきつつあるのは間違い無い。はんしんさまが成すというアレ。とてつもなく大きな行為らしい。

 がぜん好奇心がつのる。どうあってもアレの正体を確かめたい。私は市街地へ向かうことに決めた。




 車もなければ土地勘もないので、ずいぶん迷う。昼になってようやく市街の中心に来れた。

 街中のにぎわいが凄い。いつもとは明らかに違っている。田舎者が都会に出て、今日は祭りかと驚く古くさい演出があるが、今の人出はまさにお祭り騒ぎだった。

 それも、ただ人が多いだけではない。明らかに指向性がある。渦の中心に向かうように、あらゆる道から一点へ、人が流れていく。


アレ


アレが


もうすぐアレ


はんしんさまがアレする


 人々は口々にその単語をつぶやく。さざなみのような声は、数十数百万が寄り集まることで怒涛と化す。

 私はその本流に乗った。いや、もう戻ろうとしても戻れない。足を止めても身体が運ばれる。


 ゆっくりと太陽が落ちていった。私はまだ運ばれている。どれくらいの速度なのか、今どこにいるのか。まるで分からない。


六甲颪に ……と

蒼……ける …輪の

青春……気 うるわ

輝く…… 名ぞ…… 神……ス


 どこからか勇壮な歌が聞こえてくる。祭ばやしだろうか。

 群衆はいつの間にか止まっていた。静かに夜が忍び寄ってくる。人々はただそれを待っている。


 皆が待っていた。その時を。アレが訪れる時を。


 両腕を天に掲げる巨大な人形ひとがたが点滅している。人波の熱気を通り抜けて漂ってくるドブ臭い川の臭気。


アレや


 その時は夜のように力強く、あっさりと訪れた。


アレ


アレ


アレ


アレ


アレや


アレ!


アレ!


アレ!


 どよめきが、骨肉を通して伝わってくる。大地が揺れていた。

 いや、橋だ。私はいつの間にか橋の上にいたのだ。設計強度を上回る重量と、飛び跳ねる勢いが、コンクリートを波打たせている。


 半月が川に昇った。いや、天にかかるはずの月が、こんなところにあるはずがない。

 それは見事な弧を描く、白い服を着た人間だった。

 水しぶきが上がる。音は手拍子と歓声にかき消されて、耳鳴りほどにも聞こえない。


 それが合図であったのか。人ごみから次々と人が飛び立つ。翼もないのに跳躍した彼らは、濁った川に消えていった。まるで自らを”はんしんさま”へと捧げるように。

 私のいる人ごみも、川へと移動を開始していた。増えすぎると、自らを川に埋葬する鼠の話を思い出す。逃げることはできない。この大観衆と融合した私は、深みへと身を投げ出す彼らを眺めることしかできない。

 暗幕が下りた。私の前から人がいなくなり、暗闇に慣れない瞳孔は、川の闇を二次元としてとらえている。


 身体にかかる力が重力だけになる瞬間、ついに私はアレの正体を耳にした。

 全てを理解した私は、無数の看板が見下ろす中を落下していく。はんしんさま。アレ。はんしんさまがアレする。皆がその時を待ち望んでいた。18年の歳月を耐えて、ずっと待っていた。



 汚物の臭いがする。


 六甲おろしが聞こえる。


 もうなにもみえない。








ゆうしょうおめでとうございます

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